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日本創造の母神 イザナミノミコトの墓(御陵)のある神社が島根県安来市伯太町にあると知り参拝しました。安来市観光協会 比婆山久米神社

万物を生み出した神様の、「御墓」が実在するとは、とても混乱しそうな話です。

まあ 日本人の祖先の墓だと思えば、そう不思議な話でもないでしょう。

イザナミの御陵の伝承地というのは、全国にあります。

明治政府は、明治33年調査を行い、宮内省は松江市八雲村の神納山を最も有力として陵墓参考地」に認定し 岩坂陵墓参考地

内務省は船通山(鳥取県日南町と島根県奥出雲町の境にある)の北にある御墓山を「伊弉冉尊御陵流伝地」に指定していました。

「古事記」によりますと、「かれその神避りし伊邪那美の神は、出雲の国と伯伎の国(伯耆の国)の堺、比婆の山に葬りき」とあります。

比婆山というと、島根県安来市の比婆山だけでなく広島県庄原市にも比婆山があり、両方共イザナミの御陵の伝承地です。

本居宣長の『古事記伝』の記述からは出雲と伯耆の境に近い島根県安来市の比婆山のほうが妥当性が高いと、考えられています。
Wiki 比婆山より)

「日本書紀」となるとまた、話が違い、紀伊の熊野の有馬村(三重県熊野市有馬の花窟神社)に葬られたといいます。花窟神社

さて、この「比婆山」ですが、一説には「火場の山」で、たたら製鉄に関係があるとのことです。

火の神を生んで亡くなったイザナミノミコトですが、鉄器の技術を朝鮮半島から運んできたとされるスサノオノミコトの母神です。

そういう鉄器の伝来という流れで考えると、つながりが面白い気がします。

さて、前置きが長くなりました。

この比婆山というのは、一つの峰の山ではありません。

比婆山は、社祠峰、御陵峯、妙見峰の3つの峰で成り立っています。

イザナミの御陵があるのが、この御陵峰の山頂です。参道が3つあり、私は、久米神社 下之宮(里宮)がある「横屋参道」から登っていきました。


母神眠る 比婆山・久米神社  安来市伯太町(1)_e0354697_15051179.jpg

社祠峰の麓にある 久米神社 下之宮です。

本殿が、なぜか出雲地方の「大社造り」ではなく、お伊勢さんと同じ「神明造り」でした。


母神眠る 比婆山・久米神社  安来市伯太町(1)_e0354697_15051162.jpg


久米神社 下之宮の本殿
母神眠る 比婆山・久米神社  安来市伯太町(1)_e0354697_15051133.jpg


# by yuugurekaka | 2014-02-02 23:00 | Trackback | Comments(14)

出雲国造の祖先である天穂日命は、熊野大神から燧臼(ひきりうす)・燧杵(ひきりぎね)という古代の発火器を受けたと言われます。

神聖な火の発祥地でもある熊野大社は「日本火出初社」(ひのもとひのでぞめのやしろ)とも言われています。

ここで古事記を振り返りますと−この熊野大社にまつられている母神イザナミノミコトですが火の神であるカグツチ(軻遇突智、迦具土神)を産んだために陰部に火傷を負って亡くなります。

この同じ火をその息子である(厳密に言えば、夫であるイザナギノミコトの禊ぎにより、アマテラス、ツキヨミ、スサノオの三神が生まれる)スサノオノミコトが神聖な火として、伝授するのです。

現代でも、出雲大社の出雲国造は、代替わりになると国造家に伝わる燧臼・燧杵を持って熊野大社におもむきます。

そして、熊野大社の鑚火殿(さんかでん)で、神火を切り出しその火で調理した食事を食べることにより、新たな出雲国造となります。

熊野大社 鑚火殿(さんかでん)
出雲大社より格上の神社 熊野大社 (二)_e0354697_15051054.jpg


また、熊野大社で毎年10月15日に行われる鑚火祭(さんかさい)では、出雲大社の宮司が、「古伝新嘗祭」(こでんしんじょうさい)に使用する神聖な火をおこすための燧臼・燧杵をもらいに訪れます。

出雲大社側は、長さ一メートルもある長方形の餅を持ってくるのですが熊野大社側の下級神官が、この餅の出来栄えについて「色が黒い」とか「去年より小さい。」とか難癖をつけるのです。

出雲大社側の神官は、ひたすら聞き手にまわり熊野大社の神官がようやく餅を受け取り燧臼・燧杵を渡すという神事があります。(亀太夫神事)

上記のような火継神事を考えると、古くから、熊野大社の方が出雲大社より格が上だったと想像できます。

また、大和朝廷の解釈(出雲大社は国津神を祀っているので位が低い)とは別にしてイザナミースサノオを、出雲王朝の祖神として祀り、出雲大社よりも古くから熊野大社の存在感があったのではないかと、私には思えてなりません。

ちなみに熊野大社の存在する八雲村の入り口に神納山がありますが、母神イザナミの御墓ではないかと伝えられております。

出雲大社より格上の神社 熊野大社 (二)_e0354697_15051144.jpg


〇参考文献 「熊野大社」(熊野大社崇敬会 発行)
 
熊野大社社務所で販売していました。




# by yuugurekaka | 2014-01-25 08:55 | 熊野大神の謎 | Trackback | Comments(0)

奈良時代にはすでに格が高い神社 熊野大社

『出雲國風土記』(733)に「熊野大社」、『延喜式神名帳』(927)に「熊野坐神社」と記述されており杵築大社(出雲大社)と並ぶ、出雲の国の大社です。

所在地は、松江市八雲町熊野2451で、松江駅よりバスで40分の距離の所にあります。


中海に注ぐ意宇川(おうがわ)の氾濫によって造られた意宇平野(おうへいや)は、古代出雲文化の中心地と言われています。

奈良時代から平安時代にかけても、出雲国庁(昔の県庁)が置かれておりいました。大和朝廷の全国統一後、出雲国造(いずもこくそう)として(その子孫が出雲大社の宮司)出雲地方を収めた一族も、この平野を拠点として住んでいました。

出雲国造は、松江市東部(意宇平野)からわざわざ、車で1時間半かかる出雲大社まで祭祀に通っていたことになります。

意宇川の源流に近い山あいに鎮座している熊野大社。

「厳」というか「凛」とした感じのする渋い神社です。

標高610メートルの天狗山の山頂近くには、神が降臨した巨大な岩(磐座ーいわくら)がいくつか見られ、毎年5月に「元宮祭」が行われています。

この天狗山に祭られていた神をふもとに迎えて祭ったのが熊野大社です。

熊野大神は、「出雲国風土記」(733年)の「意宇郡出雲神戸の条」(おうぐんいずもかんべのじょう)というところに、「熊野大神は伊弉諾(イザナギ)の愛しい子であるクマノカムロノミコト」と書かれています。

ここは、ヤマタノオロチ伝説で有名なスサノオノミコトの別名であると解説されるのが多いのです。

ここから南西方面に上がったところに、スサノオノミコトが稲田姫と夫婦になったとされる須我神社があります。


熊野大社 拝殿
出雲大社より格上の神社 熊野大社 (一)_e0354697_15050907.jpg


拝殿の向こうに本殿、向かって左側に「伊邪那美神社」右側に「稲田神社」があります。

「延喜式」に収められている『出雲国造神賀詞』(いずもくにのみやつこかむよごと)という文書によると、「熊野大神櫛御気野命」(くまののおおかみくしみけぬのみこと)とあります。

みけ」というのは、食物のことで、食物の生産を見守られる神でもあるとのことです。

「出雲一之宮」という「一之宮」というのは、平安初期から中世にかけて行われていた「社格」の一種です。

「一之宮」は、出雲の国の場合、昔は出雲大社ではなく熊野大社でした。

「日本三大実録」(901年)という書物にも「熊野大神は従二位勲七等、杵築大神(出雲大社の大国主命)は従二位勲八等」というように大和朝廷においても熊野大社を第一位、出雲大社を第二位に取り扱っていたのでした。

それはなぜなのでしょう。

承和元年(834年)に成立した『令義解』(りょうのぎげ)と言う法令の説明書によると「出雲国造がまつる熊野大神は、イザナギノミコトの愛しい御子であり皇室とのつながりのあるアマツカミ(天津神)であるが、オオクニノカミ(大国主命)は国土を開いた神であっても皇室とはつながりを持たないクニツカミ(国津神)である」と記されています。

〇参考文献 「熊野大社」(熊野大社崇敬会 発行) 

熊野大社社務所で販売していました。


熊野大社 本殿
出雲大社より格上の神社 熊野大社 (一)_e0354697_15051003.jpg


舞殿
出雲大社より格上の神社 熊野大社 (一)_e0354697_15051019.jpg



# by yuugurekaka | 2014-01-24 00:48 | 熊野大神の謎 | Trackback | Comments(0)

昨日は、たくさん歩きました。良い運動になります。

出雲大社神楽殿の後ろの神社もお参りしました。観光客の方は、ほとんど知りません。

私は、裏に天満宮があるのを知っていましたが、他の神社については、あまり知りませんでした。

奥にある三社です。左から「稲荷社」、真ん中が 「天夷鳥命社(祭神 二代目出雲国造)」、「天穂日命社(祭神 初代出雲国造、天照大神の第二子)」です。

ちなみに、今の出雲大社の宮司が、八十四代目です。
 
出雲大社 神楽殿裏の神社_e0354697_15050868.jpg


稲荷社です。ここのキツネ様は寝ています。あまり横になって寝ているキツネ様は見たことがありません。

出雲大社 神楽殿裏の神社_e0354697_15050991.jpg

狛犬です。いわゆる獅子という感じではありません。ばくか、犬みたいな狛犬です。

出雲大社 神楽殿裏の神社_e0354697_15050987.jpg


出雲大社 神楽殿裏の神社_e0354697_15050969.jpg



# by yuugurekaka | 2014-01-03 23:00 | Trackback | Comments(0)

出雲大社に初詣

平成の大遷宮後の初詣

昨年、本殿の大遷宮が行われた出雲大社に、初詣に行きました。「平成の大遷宮」が行われたせいか、初詣の人出が多かったように思います。

摂社・末社の改修工事は平成28年まで続けられるそうで、「素鵞社」(祭神スサノオノミコト)は、釜社を仮殿にしていました。
60年ぶりの出雲大社「平成の大遷宮」とは?


拝殿の前で、スマホで参拝の仕方を調べている20歳前後の女性が友達に「二拝四拍手一拝だって。」という声が聞こえました。今は、検索すれば、すぐ答えが出る便利な世の中になったものです。

他の神社では、「二杯二拍手一拝」ですが
出雲大社では「二拝四拍手一拝」です。

なぜそうなのか諸説ありよくわかりません。

今日は、特別に本殿の八足門が開放され、中の楼門前まで入ることができました。本殿の敷地内では、カメラ禁止でした。

出雲大社拝殿
出雲大社に初詣_e0354697_15050667.jpg


現在の本殿は1744年(延享元年)の建てられているが、中古には16丈(48m)、上古には32丈(およそ96m)であったと伝えられており、日本一の巨大建築物であったようです。なぜ作られたのでしょうか。

『古事記』(712年)によれば、大国主神は国譲りに応じる条件として

「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」

と述べて、造られたとのこと。

そして、創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担って来られました。(ウィキペデイア 出雲大社より)
つまりは、出雲王朝を滅ぼしたヤマト王権に建てられ、ヤマト王権に祭祀を担われてきたことになります。

『古事記』を読んだ限りでは、大国主命が幽閉されたように自分は感じます。

美しい、今でも大きな神社です。

出雲大社 本殿 東方向から
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出雲大社 本殿 北方向から
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出雲大社 本殿 北西の方から
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稲佐の浜と弁天島

古事記では、「伊那佐の小濱」として書かれており、国譲りの交渉の舞台となっています。 出雲大社から、歩いて15分のところにあります。

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# by yuugurekaka | 2014-01-02 23:01 | Trackback | Comments(3)