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国道431号線のところに、「両産土社」と書いた一の鳥居があります。そこから、旅伏山の麓まで行きますと、縣神社に着きます。
両側が広いのは、自動車でも上がれるということなのでしょうか。歩いて、境内まで登りました。

縣(あがた)神社 島根県出雲市国富町2番地_e0354697_21404502.jpg

『出雲国風土記』には、「阿我多社」として記載されています。

縣(あがた)とはなんぞや。

『デジタル大辞泉』によると

あがた【▽県】
読み方:あがた

1 大化の改新以前、諸国にあった大和政権の地方組織。また、県主(あがたぬし)が統治した地域とも。

2 平安時代の国司の任国。また、その国司。

3 地方。いなか。

「田面(たづら)なるわら屋の軒の薦簾(こもすだれ)これや—のしるしなるらん」〈夫木・三〇〉

1の大和政権の地方組織だと思います。『出雲国風土記』に美談郷のところに、天御領田(あめのみた)と書いてありますが、ヤマト王権の直轄地みたいのがあったのかな。


縣(あがた)神社 拝殿
縣(あがた)神社 島根県出雲市国富町2番地_e0354697_21410197.jpg

神社名の扁額かと思ったら、漢詩の抜粋 「山月照弾琴」が掲げられていました。
唐代の高級官僚で詩人であった王維の作品だそうです。以下、中野孝次『わたしの唐詩選』(文春文庫)より。

  晩年惟好靜   晩年は惟(た)だ静を好み
  萬事不關心   万事 心に関せず
  自顧無長策   自ら顧みて長策なく
  空知返舊林   空しく旧林に返るを知る
  松風吹解帯   松風 解帯を吹き
  山月照弾琴   山月 弾琴を照らす
  君問窮通理   君は窮通の理を問う
  漁歌入浦深   漁歌 浦に入って深し


縣(あがた)神社 島根県出雲市国富町2番地_e0354697_21412598.jpg

 縣(あがた)神社 本殿

縣(あがた)神社 島根県出雲市国富町2番地_e0354697_21485838.jpg


以下『神国島根』より抜粋

[通称] 八幡宮
[主祭神]若帯彦命
[配祀神]誉田別命、息長足姫命、武内宿禰 他六柱
[由緒・沿革] 創立不詳。風土記所載社。
       右主祭神(※縦書きなので、ここでは右ではなく上)、国造、県主等の制度を整え給うたによる社名(社記、口碑)
       貞観二年八月十五日、大秦宿禰此雄、宇佐八幡別宮を勧請として奉記し、宇佐八幡別宮と称した(社記)
       国主、地頭の崇敬厚く、地頭から天文八年後毎年反引米二俵外あり、社領寄進され、社殿修理、供米料の御免地があった。
       又、例祭には明治三年迄神酒三斗寄進、拝殿向拝掲の大額面には山月照弾琴とあり。
       旅伏山都武自神社と共に産土神社。

一の鳥居に「両産土社」とあるのは、縣(あがた)神社の鳥居でもあり、旅伏山頂上の都武自神社の鳥居でもあるということなのですね。八幡宮なのに、御祭神を若帯彦命(第13代天皇の成務天皇)としているのは、縣(あがた)と何らかの関係があるのかもしれません。

境内社にお参りしていきました。

社日様

縣(あがた)神社 島根県出雲市国富町2番地_e0354697_21421101.jpg


境内社 瀬戸物のお稲荷さんが見えました。稲荷神社なのかな。

縣(あがた)神社 島根県出雲市国富町2番地_e0354697_21423032.jpg


あれ、境内社 
伊爾波神社(いにはじんじゃ)が見えません。
都武自神社の参道を探していたら、ありました!

境内社というより、もともとあの場所に鎮座しているかのような感じです。

現在の伊爾波神社の祭神は、阿須波神、波比伎神、庭津日神、庭高津日神。
伊爾波神社も『出雲国風土記』記載社です。(本によっては、美談神社境内社 印波神社を比定している)


縣(あがた)神社 島根県出雲市国富町2番地_e0354697_21433718.jpg


伊爾波神社の左には、都武自神社の参道があります。
伊爾波神社は、都武自神社との関係が深いと思われます。

縣(あがた)神社 島根県出雲市国富町2番地_e0354697_21441020.jpg

あくまで、私の想像ですが、縣(あがた)神社は、もとは『出雲国風土記』に登場する都牟自神社のひとつだったんじゃなかろうか。(通説ではない)
山の頂上の神社が、麓に鎮座するケースがたくさんありますから、そう想像しました。
また、伊爾波神社は、伊和の大神(大国主命)の息子神 伊勢津彦命と関係があるんじゃなかろうか。突飛な考えですが、別サイトで展開しています。別サイト ⇒ 鰐淵寺と風の神・伊勢津彦命








# by yuugurekaka | 2025-05-15 12:27 | 神社探訪 | Trackback | Comments(0)

ここの神社は、鰐淵寺の開祖 智春上人を招き入れた三翁とは関係ない神社です。
ですが、韓竈神社のちょうど北方の日本海側に面したところに鎮座していまして、これまた風の神です。

大宮神社 島根県出雲市大社町鵜峠115

大宮神社 島根県出雲市大社町鵜峠_e0354697_16064594.jpg

祭神が、風の神こと、級長津彦神・級長津姫神の両神です。

この級長津(しなつ)ですけれど、長野県の信濃(しなの)の「しな」と関係がないだろうかと思い始めました。

なぜに、長野県の信濃地方が風の神である諏訪神の本源地とされたのでしょうか? とりわけ、長野県が風の強い場所というわけではありません。ただ神話では、風の神 伊勢津彦命が信濃国に鎮座したことが記述されています。(『伊勢国風土記』逸文)



大宮神社 島根県出雲市大社町鵜峠_e0354697_16061807.jpg

ここの神社の説明版を見て、ひとつだけ腑に落ちたことがあります。

〝北前船の難船回避を夢告された観音様を安置する西隣り「西方寺」とともに、航海の安全と豊漁を願う人々から崇敬されてきた。

風の神は、船の航行に関係がある神なのです。


大宮神社 島根県出雲市大社町鵜峠_e0354697_16045819.jpg

だから、智春上人を招き入れた三翁が皆風の神に関係したというのは、船を安全に導いてきたということなのかなあと想像しました。
通説的には、都武自神社だけが、風の神ですが。






# by yuugurekaka | 2025-05-09 16:38 | 神社探訪 | Trackback | Comments(0)

⇩ 11年前の記事です。これが昔の人気記事でした。今は見向きもされなくなりました。
 
あの頃は、頚椎症を発症したころで、ここの参道を歩く度に、じんじん手の指がしびれていたのを思い出します。
今は、首のケアを覚えて、しびれるのはまぬがれていますが、

テレビ朝日 「マツコ&有吉の怒り新党 正月特番 」で韓竈神社を放映していたのですが、その頃はまだこの神社の記事を書く人が少なかったようです。

さて、11年ぶりに? もう1回参拝したような気もしますが、よくわかりません。最初行ったとき、スサノオノミコトが乗られた船だという岩船という石の写真を撮りませんでした。その時は、神社に参拝することしか頭になく、岩船という石は各地にあるので、関心がなかったのです。

しかし、今 鰐淵寺(がくえんじ)の開祖 智春上人(ちしゅんしょうにん)が信濃の国から来られたとき、三人の老翁が船で出迎えて、その後、分かれて、翁は石になったとのことでした。

その一つが、韓竈神社の岩船だとわかり、写真を撮りにやってまいりました。
石に柏手を打って拝みました。

再び 韓竈神社へ 【もしかして釜ではなくて鎌】_e0354697_19111583.jpg

写真では見づらいですが、三角になっていまして船の先のように見えます。
旅伏山の登山を終えたばかりでしたので、そのまま家に帰ろうと思いましたが、韓竈神社の参拝をせず帰るのは失礼かなと思い、参道を登って行きました。

再び 韓竈神社へ 【もしかして釜ではなくて鎌】_e0354697_19195514.jpg

自然石の石段が良い感じですが、勾配が急です。


再び 韓竈神社へ 【もしかして釜ではなくて鎌】_e0354697_19240764.jpg

さて、約40センチの岩の間を通り抜けて、韓竈神社にたどりつきます。
古代は、この岩自体が、信仰対象だったのでは?と思います。(いわゆる女陰石です。)

11年前より体重を5キロ落としていますので当然自分は通り抜けれます。


再び 韓竈神社へ 【もしかして釜ではなくて鎌】_e0354697_19290059.jpg

旅伏山の頂上近くの都武自神社の参拝を思えば、楽な参拝でした。

ここの韓竈ですが、朝鮮の釜ということになっていますが、民俗学の本を読んでいて、もしや鎌なのではと思ってみました。信州諏訪では、「薙鎌(ないがま)」という神事があり、風を鎮めるために木に鎌を打ち込むのだそうです。







# by yuugurekaka | 2025-05-02 19:45 | 神社探訪 | Trackback | Comments(0)

旅伏山の都武自神社

鰐淵寺の話の続きです。

鰐淵寺を開山した智春上人が「信濃」の国から渡って来られた時、三人の老翁が船で出迎え、鰐淵寺の浮浪の滝へと案内しました。
その後、三人の老翁は別所・唐川・旅伏の三所に飛び去って岩船、帆柱石、帆筵石という別々の岩へと化身したといいます。

船の帆が旅伏山の「帆筵岩」になったというのだから、その石を見に行きたくなりました。帆筵石の筵は、むしろと読みます。要は、帆にむしろをつけていたということです。

旅伏山(427m)の9合目に都武自神社があります。登山の距離として、約2キロです。登山用の靴を履き旅伏山に向かいます。


旅伏山の登山口に来ました。しかし、「遊歩道 通行止め」の表示板が・・・。がーん。あきらめて、家に帰るかと思いましたが、表示板をよく読むと、都武自神社参拝などは、注意事項を守ってお通りくださいというように書いてあります。
工事作業中は、通ってはいけない、休止中は注意事項を守って通って良しということです。もっとわかりやすく書いてほしいです。


旅伏山の都武自神社_e0354697_14161291.jpg

なんべんも表示板をよく読んで、このゲートを通りました。
右側が工事のためのモノレールのレールです。レールにはさわっちゃいけんとのことです。


旅伏山の都武自神社_e0354697_14163623.jpg

直線の道ばかりで、けっこうしんどいです。平坦なところがあまりありません。
休憩ポイントです。
休憩ポイントとは関係なく、30mごとに脈拍を落ちつかせて登って行きました。


旅伏山の都武自神社_e0354697_14164894.jpg

休憩ポイントであともうちょっとと思いましたが、
それからもずーっと、坂道が続きます。休憩ポイントは、半分ぐらいのところだったみたいです。


旅伏山の都武自神社_e0354697_14170537.jpg

木々の間から、神社の鳥居が見えてきました。
もうちょっとです。

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やっと到着しました。

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都武自神社 本殿  島根県出雲市国富町 1
江戸時代は、事代主命を祀っていましたが、やはり名の通り、祭神は、風の神のようです。
都武自別命は志那津比古、志那津比売神の荒御魂という説もあります。

私は、伊勢津彦が頭に浮かびました。

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都武自神社 参拝を済ませ、
帆筵岩(ほむしろいわ?)を見ていないことを思い出しました。
どこに鎮座しているんだろう。
インターネットで調べました。県神社付近から別の参道がああるそうな。南東の方向ですね。

遊歩道の道から比べると、細い道で少し怖いですが、ちょっと歩いたら、帆筵岩」がわかりました。
単なる巨石かと不安に思いましたが、取れたしめ縄が見えました。


旅伏山の都武自神社_e0354697_14180396.jpg

帆筵岩に柏手を打って拝みました。






# by yuugurekaka | 2025-04-26 13:14 | 神社探訪 | Trackback | Comments(0)

浮浪の滝 鰐淵寺

鰐淵寺(がくえんじ)に行きました。

参道横に流れる川です。鰐(わに)がこの川を上って行ったのでしょうか。ちなみに、古代史の世界では、日本の鰐は、サメとされています。

河のなかの石と流れる水を見ているだけで楽しいです。すごい雰囲気ですね。


鰐淵川



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浮浪の滝 鰐淵寺_e0354697_14160442.jpg

鰐淵寺が見えてきました。
古いお寺は、山の中にあります。

鰐淵寺  島根県出雲市別所町148
根本堂が石段の奥に見えます。


浮浪の滝 鰐淵寺_e0354697_11185777.jpg

長い石段を登って、鰐淵寺に着きました。
推古天皇2年(594年)に、信濃の智春上人が当地にやってきて鰐淵寺と万福寺(大寺薬師)を建てたということになっています。

こんなに古いお寺なのに、なぜ『出雲国風土記』には載っていないのでしょうか。

出雲御埼山(北山山系)をはさんで南北に、万福寺と鰐淵寺があります。
万福寺付近には大寺古墳という4世紀後半の古い古墳があります。青木遺跡という弥生時代の四隅墳丘墓の初期のものもあります。
場所からして、古代栄えた場所です。

鰐淵寺の真南には、日下町があります。日下部氏に関係した古い神社もあります。一説によれば、開化天皇の皇子日子坐王の後裔ともいう。
いわゆる和珥王朝が関係して、鰐なんでしょうか? 

鰐淵寺境内の参拝をすませ、鰐淵寺の起源と言われる浮浪の滝に向かいました。


浮浪の滝 鰐淵寺_e0354697_14371260.jpg


山王七仏堂


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ここから、崖の縁の細い道を歩きます。


浮浪の滝 鰐淵寺_e0354697_14422496.jpg

崖下に落ちたら大変なので、崖に傾いて手を置きながら、おそるおそる進んでいきました。ここから自分の場合は、10分。
休憩所を通り過ぎて、滝の水が見えてきました。


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やっと到着です。15mあるそうです。(18mとも)
蔵王堂を造るのに、あの細い道を歩いて、たいへんだったろうなということが真っ先に頭に浮かびました。

浮浪(ふろう)の滝



浮浪の滝 鰐淵寺_e0354697_14452566.jpg

智春上人がここで修行を行っている時に、
誤って滝壺に落とした仏器を、鰐がそのえらに引っ掛けて上げたということから、鰐淵寺という名になったそうです。





# by yuugurekaka | 2025-04-18 14:52 | 日記 | Trackback | Comments(0)