2025年 08月 17日
出雲市大社町付近の社稷神 (3) 弥山(みせん)さん


昭和7年2月から昭和8年6月に島根県農会報に連載された文章をまとめた『島根県農会の郷土誌』の『彌山さんの雨乞ひ』(上野久在衛門)の文章を読むと、いかに信仰が盛んだったかがわかります。
しかし、『神門郡(簸川郡)神社明細帳』によると、

2025年 08月 15日
出雲市大社町付近の社稷神 (2) 社稷神は社日碑なの?



社日碑の起源は、古くは無く、明治維新前後ということになります。


2025年 08月 09日
出雲市大社町付近の社稷神 (1) 菱根池の干拓に関係していないか







歩いていたら日が落ちて、少し手ぶれ写真になっています。

2025年 08月 06日
出雲市大社町の堀川
三木与兵衛翁氏の頌徳(しょうとく)碑のある川は、Google地図では、「堀川」とありますが、固有の川の名前は、高浜川です。




乙見神社に向かう橋である乙見橋から東の方向の見た堀川です。
なぜに仕切りが真ん中にあるのでしょうか。どこまで、この仕切りは続いているのでしょう。
水量の調整のためにあるのかしら?

三木与兵衛が、乙見山を開削して堀川を通しました。





川が途中までしか見えないし、日本海とはつながっていません。
浜山はわかりますが、乙見山や神光山が描いてありません。
あの道路は、現在の国道431号線は当然なく、出雲大社の境内から横に流れているので、社家通り、神魂伊能知奴志神社につながる道なのかもしれません。浜山が、神門通りまで押し寄せて描いてあるので、そもそもが写実的ではありません。

2025年 07月 05日
三木与兵衛翁頌徳(しょうとく)碑



神光寺川は、ここで約90度に曲がっています。ここの山を削って人工の川を造ったのです。



