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人麻呂渡し 江西駅

江の川と橋   江津市

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江の川に橋が架かったのは、近代になってのことで1904年(明治37年)でした。

それまでは、ずっと舟で渡っていたのでした。

河岸の細い道路を南に行くと、柿本人麻呂ゆかりの場所、「江西駅」があります。

インターネットや本を見ても、フリガナがうってないので、「ごうさいえき」と言うのか、「ごうのにしのうまや」というかわかりません。

島根県教育庁埋蔵文化財調査センターのパンフレットには、「こうせいのうまや」と記してありました。)

奈良時代には、駅(うまや)があった場所です。

人麻呂渡し  柿本人麻呂が上来の際、舟で渡ったという場所です。

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駅といっても、当然汽車が走っているわけではありません。

行政の通信連絡の拠点で、山陰道の場合、駅ごとに駅馬が5匹居たそうです。

一般的には30里ごと(約16km)に一駅あるはずですが、江の川の反対側の東側に「江東駅」があったということなので、地域の実情で、絶対的な基準ではなかったのかもしれません。

説明版

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人麻呂渡しのところにあった祠

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どんな神様を祭っているかわかりませんでした。

昭和3年まで、渡し舟をやっていたということなので、もしかすると、川の神なのかもしれません。

柿本人麻呂とは関係ないかもしれませんが、柏手を打って拝みました。

人麻呂渡しの場所の江の川です。

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# by yuugurekaka | 2023-12-30 21:27 | 柿本人麻呂 | Trackback | Comments(3)

江津市和木の真島

角の浦の島 真島(まじま)

島と言っても、現在は陸続きです。

いつの時代まで島であったのでしょう。



近くまで寄ってみると、土で埋まった鳥居が見えます。

左側の像はなんでしょう。お地蔵さんのようでした。




高いところまで登ってみました。

仏教系の塔がありました。他の方のブログによれば法華塔らしい。



下の海を見ますと景色は良いのですが、怖い。


まだ先には、細─い石段と狛犬があります。



昔の人たちは、あそこまで皆お参りにいったのでしょう。

行って拝んでみたい気持ちもありましたが、万一バランスを崩して下に落ちたら大変です。

それで断念しました。

弁天島で弁天さんの祭っていたらしいのですが、真島の先にくっついている柏犬が見える島を昔は弁天島と言ったのか、他にも小さな島があるので、そこなのかよくわかりません。

真島には、恵比寿さんの祠があったらしいですが、その場所が、さきほどの狛犬が見えるところなのか、それとも法華塔があったところだったのか わかりません。

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星の里山(江津説で言えば、古代の高角山 たかつのやま)がよく見えます。

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東に見えるあの山は、室上山(屋上山)でしょうか。違っているかもしれない。

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北緯35度線 最西端

海岸を歩いていたらいろいろな表示がされていました。

北緯35度線 最西端?

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北緯35度は、西から江津市-岡山県新見市-兵庫県西脇市-京都市四条河原町-滋賀県大津市-愛知県知多市-千葉県南房総市であるらしい。

北緯35度が社会的になんの意味がある?

調べたら、地理学的には日本の中心は、ほぼ東経135度、北緯35度のようです。縦から見れば、ちょうど日本の半分の場所ということみたいです。





# by yuugurekaka | 2023-12-11 13:32 | 石見国 | Trackback | Comments(0)

恵良の里とは違う伝承

二宮村恵良の出生伝承では、依羅娘子(よさみのおとめ)は二宮町神主恵良(神主は地名)の豪族の娘であり、石見守・柿本人麻呂に請われて妻になった人です。『恵良媛』(えらひめ)と称される才色兼備の女性でした。

しかし、ここでは違います。
江戸時代の地誌『石見八重葎』(いわみやえむぐら)には「人麻呂は当地の医師・井上道益の娘を依羅姫と名付けて内室(妻)とする」と書かれています。恵良の豪族の娘ではなく、都野津の医者の娘ということです。

都野津柿本神社  島根県江津市都野津町1750
公園の中に神社が建てられていました。

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柿本人麻呂と依羅娘子が住んでいた場所

都野津柿本神社の説明

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〝依羅娘子の末裔と伝う井上氏によって祀られたという人麻呂依羅娘子の寓居跡(姫御所とも云う)の祠を解体。明治四十三年九月新たに現社殿を造営〟と、書かれています。

※ 寓居(ぐうきょ)・・・仮の住まい

ここに、夫婦で仮住まいしていたんだそうです。
本当の住居はどこにあったのでしょう。

人麻呂の松

神社の左横にもうひとつ建物がありました。
神輿なのかと思いきや、切った松の一部がありました。

昭和44年(1969)に、島根県の天然記念物に指定されていた樹齢800年以上と推定される松があったのですが、枯れてきて、平成9年(1997)1月17日に伐採されたようです。

柿本人麻呂が、仮住まいを始めた記念にその松が植えられたという伝承があったそうです。当時は「塚松」「歌聖松」「神様松」などと呼ばれていたそうです。


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歌碑

ここにも歌碑が建てられていました。

〝石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香

(意訳)石見国の高角山(たかすみやま)の木の間から見える我が着物の袖を妻は見てくれたのだろうか。



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# by yuugurekaka | 2023-11-27 13:49 | 柿本人麻呂 | Trackback | Comments(0)

恵良の里 

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二宮交流館

柿本人麻呂の妻である依羅娘子 (よさみの おとめ) 誕生の地とされる恵良の里に訪ねた。
まずは、二宮交流館に行き「依羅娘子生誕伝承の里」と書かれた歌碑を見に行く。

二宮は、石見国二ノ宮の多鳩神社があるから、二宮らしい。

生誕伝承の場所はここではなくて、「恵良の里」まで行かねばならない。 

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道路の反対側に「二宮町史跡案内図」が掲げてあった。神社や恵良の里の位置関係が詳しく書かれてあり、大変参考になった。「鴨」と「石川」は関係があるらしいから、「加茂建角身命鴨の宮跡」が
恵良の里にあり。


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君寺

グーグルナビにしたがって、恵良の里めざして行ったら、「通行止め」の表示があり、あてずっぽうで、飯田八幡宮の前を通る道を行ったら、恵良の里になんとかついた。しかし、帰り道はその通行止めの道を走ることになった。工事はしてなかった。

君寺についた。公民館と思ったら、鐘が付いていた。お寺だったのだ。
近くに駐車増が設けてあって助かった。

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君寺の歌碑

『勿念跡 君者雖言 相時 何時跡知而加 吾不戀有牟』(万葉集 巻二 一四〇)
な思ふと 君は言へども  逢はむ時 何時と知りてか わが恋ひざらむ


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表示板に沿って歩いて行ったら、民家の家の方に。
大丈夫だろうかと、思いつつ入って行ったら、家先に生誕の地の石標が建ててあった。

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スイ床

「スイ床(柿本人麻呂の終焉伝承地)」の表示板に沿って歩いて行ったら、ここも民家の庭だった。
終焉地というのは斎藤茂吉説だそうな。

スイ床  柿本人麻呂がこの地に来たおり熱病に罹った時、熱をとるために巨石に横になり、また枕石を使っての熱をさましたとの伝承がある。その時の石床をスイトコ、石枕をマクライと言ったという。」



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那賀郡の郡家、仮国庁跡
 

小さな広場のような所だった。こんな小さな場所が、石見国の元のお役所、その後は那賀郡の役所だったのだろうか。


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# by yuugurekaka | 2023-11-21 17:16 | 柿本人麻呂 | Trackback | Comments(0)

江津市の多鳩神社 ( たばとじんじゃ)へ行った。
国道から約1.5キロ、車一台やっとこさ通れる道を、自動車で走った。
古代の神社なので、自動車で便利に行けるところにあるとは限らない。

やっと、一の鳥居に着いた。
右手に白い「御神幸所」と書いてある鳥居があった。
なんだろう?もしかして、多鳩神社は天狗山(多鳩山)の頂上に元宮があったらしいから、山を拝む場所なんだろうか?



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遠くに天狗山が見える。
登山のブログを見る限りでは、頂上に多鳩神社 のあった場所に、標柱が建てられているようだ。


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石見国二ノ宮 
多鳩神社

島根県江津市二宮町神主イ307

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大変立派な本殿である。
石見の国には珍しく大社造りの社殿だ。
祭神が積羽八重事代主命なので、大社造りで建てられたのだろうか。


多鳩神社が鎮座しているので町名が「二宮町」になったみたい。
石見国一之宮が、大田市の物部神社。二ノ宮が江津市の多鳩神社。

二ノ宮・・・いつの時代からのランクなんだろうか。
通説では、11世紀から12世紀にかけて成立したことのようだ。詳しくは⇒ ウィキペディア 一宮

いつの時代の創建か、ほとんど出雲国の場合、創建は不詳となっているが、ここの神社の場合は、社伝によれば、創建は貞観三年(861)で、大和国の高市神社から、多鳩山古瀬谷に勧請したものという。また社伝では、元はタマト神を祀っていたが、天武天皇の御代(673~686)に事代主神を祭神とする社を創建したともある。


「大和国の高市神社を勧請」と「861年」のがっかりするような話だけれど、最近読んだ本に、石見の式内社は、由緒に偽書の悪影響があると書いてあった。

地元の著名な神社研究者の桜井貞光氏の言葉である。

〝石見の有名な式内社の由緒はその根拠として『延喜式鈔頭註』によっていることは明白である。『延喜式鈔頭註』に卜部兼倶の『延喜式神名帳頭註』を模して江戸時代卜部家によって作られたと思われる偽書で・・・・・・石見部全部の式内社が由緒のよりどころとしてゐる。

大和国の高市神社というのがどこの神社かわからないが、おそらく、現在の祭神からの想像によって高市御県坐鴨事代主神社(比定社 河俣神社)か、飛鳥坐神社などであろう。

祭神は時代時代によって違ったりするから、当時は事代主命でなかったのかもしれない。
しかし、多鳩山頂上(社伝では古瀬谷になっているが…)に神社があったことを考えると、創建は奈良時代以前だと思う。おそらく、大和の有名神社を勧請したものでなくて、多鳩山の神だったろうと想像する。

ヤタガラスの神伝承

社務所にサッカー日本代表のユニフォームがあって、なんでだろうなあとその時はわからなかったが、八咫烏(やたがらす)の神の伝承でも有名な神社であるようだ。

八咫烏(やたがらす)こと賀茂健角身命(かもたけつのみのみこと)は、系図から読むと、事代主命の姑だから関係がなくはないが、(賀茂別雷命は、味鋤高彦根命あるいは事代主命 同神説もあり。)、隣の恵良(えら)の里の高神ノ丘に鎮座する賀茂健角身命を祀る神社が関係しているのではないか。

恵良(えら)の里は、万葉歌人・柿本人麻呂の妻(恵良媛)が生まれた里となっており、那賀郡の古代の役所があったところと言われていいる。
自動車で行くと関係性はわからないが、奈良時代の古道が恵良(えら)の里とつながっている。

恵良の里の「君寺」前の説明版から、私が加工した地図

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境内社の中にどれかわからないが、高神神社(賀茂健角身命・伊可古夜日女)が、祀られている。


多鳩神社 境内社


 
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賀茂健角身命関連で、石川という名前がついているのかもしれない。(現在は平石川という名前はあります。)







# by yuugurekaka | 2023-11-11 19:25 | 石見国 | Trackback | Comments(0)