荒神谷遺跡を後にして、西に進みますと
右手に小山があり 神社がありました。

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曽枳能夜神社と書いて そきのやじんじゃと読むらしいです。
説明板には 下記のことが書いてあります。

【御祭神】 伎比佐加美高日子命(きひさかみたかひこ)
当社は、延喜式内社で、出雲風土記に「神名火山(中略)曾 枳能夜社に
坐す伎比佐加美高日子命社、即ちこの山の嶺 に在り。故れ神名火山と
云ふ」と記されてあります。
 御祭神はこの地方(キヒサの里)一帯を守ります首長神 であり、出雲大
神の祭り主でありました。
 古事記垂仁天皇の条に見られます「出雲国造の祖、伎比佐都美」は当
社の御祭神であり、同条「石硐の曾の宮」とは 当社であると考えられます。
 明治五年二月郷社に列せられています。
例祭日 十月十九日


これに書かれていることをまとめると
①もともとは 神名火山の山頂の上にあった
②御祭神は、出雲国造の祖であり ここら辺の首長
③古事記に出てくる「石硐(いしくら)の曾の宮」がこの神社

①山頂にあったと言うならば 今も何か名残があるはずです。
神名火山は、現在の仏教山です。

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神名火山→詳しくはウィキペデア神奈備 という神道の神が宿る山の名称が
なぜ仏教山というのか。戦国武将尼子経久が12の寺を立て薬師22体を安置し
名を仏教山に改めたそうです。

出雲に行った折、突然 登って見たくなりました。
標高366メートルの山ですが、
結構しんどいものでした。突然思いついたように
上ったので、展望台を山頂と勘違いしてしまい
曾枳能夜神社奥宮の跡地や
大きな磐座群(いわくらぐん)を見ることもなく 下山しました。
他の方のブログを後で 見てがっくりきました。

供養塔がありました。
この展望台から南に降りて 山頂につながる道を登らないと
いけなかったのです。展望台の仏教山のいわれに書かれていることを
良く読めばわかるはずなのですが
そういうことを見る体力さえもう 残っていなかったのかもしれません。

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展望台といいますが、出雲大社方面は、
木が邪魔して、良く見えませんでした。 

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曽枳能夜神社には、本殿がありました。
奈良の大神神社のように→ウィキペデア 大神神社
三輪山そのものが神体であり、本殿がない と、いうのとは違うようです。


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by yuugurekaka | 2014-08-04 12:26 | 出雲国造 | Trackback | Comments(0)

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出雲大社の境内から北島国造館へ出て、東へ約200メートルの所に
命主社(いのちのぬしのやしろ)があります。小さな社です。
左手に鉄棒とか 子供の遊び場がありました。

祭神は、神産霊神(カミムスビノカミ)です。
以下 wikipediaより引用→カミムスビ Wikipedia
“カミムスビ(カミムスヒ、カムムスビ)は、日本神話の神。
『古事記』では神産巣日神、『日本書紀』では神皇産霊尊、
『出雲国風土記』では神魂命と書かれる。
天地開闢(てんちかいびゃく)の時、天御中主神・高皇産霊神の次に高天原に
出現し、造化の三神の一とされる。”

この世界が始まった時から 存在する「造化の三神」の一つであるのに
このような小さな社で良いのか 素朴に疑問を感じます。

大国主命が、異母兄弟に殺された時、蘇させるために尽力する神でもあり
大国主命が、共に国造りする神、少彦名神の親でもあります。
高天原の神とはなっていますが、出雲の神様をサポートする天神です。
出雲風土記に至っては、出雲の国の祖神のように書かれています。
天津神=大和 国津神=出雲 という構図だけで考えると
頭が混乱してきます。

出雲にも大和とは別に天神がいるという風に理解した方が、話がわかりやすい
と思います。

出雲風土記 楯縫郡の条で
「楯縫と名づけるわけは、神魂命がおっしゃられたことには、
『わたしの十分に足り整っている天日栖宮の縦横の規模が
千尋もある長い栲縄を使い…所造天下大神の住む宮を
造ってさしあげなさい。』とおっしゃられて、
御子の天御鳥命を楯部として天から下しなさった。」
(「解説 出雲風土記 」 島根県古代文化センター編 より引用)

※ 天日栖宮(あめのひすみのみや)…出雲大社のこと
※ 所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)…風土記では
  大国主命のことを言います。

※ 天御鳥命(あめのみとりのみこと)…アメノホヒの子
  アメノヒナトリと同一視する説もあるらしいです。

ここの神魂命を、出雲国造の祖神 アメノホヒと読み替えても
つじつまが合います。
勝手な想像ですが、松江市大庭町の神魂神社の神魂とは
出雲風土記のうえでのカミムスビー神魂命だったのでは
ないか、などと思ってしまいます。

命主社境内に生えている樹齢1000年とも云われる
ムクノキのこの根っこにまず 圧倒されます。

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命主社の後ろに真名井遺跡?と思われる祠。
私が行ったときには、表示板が抜き取られていました。
木にわらのへびが巻き付いています。荒神さんなのでしょうか。
ここの遺跡から、弥生時代の銅戈と硬玉(ヒスイ)勾玉が発見されています。

銅戈は北部九州から、ヒスイ製の勾玉は北陸地方からのものと考えられており、
弥生時代から、出雲大社の場所が重要な祭祀の場所だったということらしいです。


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by yuugurekaka | 2014-08-02 10:33 | 出雲大社 | Trackback | Comments(4)