2016年 12月 27日
天照らす 高照姫命 (4) アマテラスとスサノオ


2016年 12月 11日
天照らす 高照姫命 (3) 出雲の起源
■ 高照姫命は、イザナミ命のモデル?
海部氏勘注系図および先代旧事本紀の系図を見て、私が強烈に思うのは、天火明命と高照姫命
の二人が、ヤマト王権の始原というものであって、高照姫命が、海部氏・尾張氏・紀氏、また
その後継の蘇我氏、阿部氏等の古代豪族の母祖神であるということです。

しかしながら、高照姫命という女神は日本書紀に出てもきませんし、古事記では、下照姫命の
別名「高姫」となっており、戦後の古代史学者が、「下照姫命と同神」としており、全く存在
感がありません。
いわゆる葛城王朝の豪族の母祖神であるが故に、イザナミという国土創生神にされてしまった
のではないか…と、いうのが私の想像するところです。だから、東出雲の方には、イザナミ信
仰なるものがあり、島根県と鳥取県の県境や島根県東部と広島県の県境の山にイザナミ御陵な
る伝承地が集中してるのだと思います。
黄泉平良坂(よもつひらさか) 松江市東出雲町揖屋

その上の、高照姫命の母の宗像三女神とも考えれるのかもしれませんが、「黄泉比良坂」の伝
承地が松江市東出雲町にあることを考えると、高照姫命をモデルとしているようにしか思えな
いのです。
しかし、国土創世の神が死ぬのか…?、ここが、理解に苦しむところですが、他にも私が、釈
然としないのは、①素戔嗚命の八岐大蛇退治(出雲の神様を切ってもいいのか?)②国譲り神
話(ヤマト王権を共に造っていてヤマトに国譲りもなかろう)と、③黄泉比良坂の話です。こ
の話をここで展開すると、ややこしくていけないのでまたの機会に譲ります。
火の神を生んで―カグツチー、あれは、天香具山命ではないかと思うのです。天香具山命は、
奈良の葛木坐火雷神社の祭神で製鉄の神でもあります。高照姫命は、出産でなくなったわけで
はなくて、丹後風土記に母子で登場してきます。たぶん、亡くなった場所はたぶん丹波でしょ
う。
一方のイザナギ命のモデルになった、天火明命は、母子を残して、ぴゅーんと九州の宗像族を
頼って行き、九州を開拓したのでしょう。
詳しくは 過去の記事 ⇒ 黄泉平良坂の考察 (2) イザナギとの離婚
黄泉比良坂近くにある神社、揖屋神社ですが、日本書紀 斉明五年(659)のところで出てくる
「言屋社」比定地でもあり、かなりの古社です。『出雲国風土記』意宇郡の条の在神祇官社
「伊布夜社」の比定地でもあります。
この「揖屋」ですが、もともとは「いや」ではなく「いふや」だったのでしょう。
現在の祭神は、伊弉冉命、大巳貴命、少彦名命、事代主命です。元は東出雲王家の系統の神社
であったのではないかと自分は思います。この揖屋神社は、日本書紀斉明天皇の条で、天子の
死の予兆として描かれております。「黄泉比良坂」といい「揖屋神社」といい「死」というも
のと関連付けられています。
このことは、通説的には、大和から見て日が沈む西の方向に出雲地方があるため、「黄泉の国」
として位置づけられたのではないかと云われていますが、私思うに、これは「東の(事代主系
の出雲王家)出雲の王朝は滅びた、死んだ。」ということを、述べている「隠喩」ではないで
しょうか。





2016年 12月 03日
天照らす 高照姫命 (2) 海部氏勘注系図
思いついたのが、その日の夕方。
豊岡まで、JRの鈍行列車で乗り継いで、豊岡駅前のビジネスホテルで一泊。
豊岡駅で7時前の電車に乗り、天橋立駅に着いたのが、8時過ぎでした。
駅を出て、海を見ると、これが日本三景の天橋立ですか―。
下の写真は、駅側ではなく、北側の籠神社の上の傘松公園から写したものです。
天橋立は、丹後風土記逸文によれば、イザナギノミコトが天に通うことを目的として立てた梯子が、
休んでいるうちに倒れたものだと云います。
“初めの名を天の椅立と名付け、後の名を久志浜と名付けた。そう名付けたわけは、
国土をお生みになった大神である伊射奈芸命が、天に通おうとして、椅を作ってお立てになっ
た。それで、天の椅立と名付けた。伊射奈芸命がおやすみになっている間にその椅が倒れてし
まった。
それで、伊射奈芸命は霊妙な働きが表れたことを不思議に思われた。それで、久志備の浜と名
付けた。これを中古の時代には久志といっていた。ここから東の海を与謝の海といい、西の海
を阿蘇の海という。この両面の海に、種々の魚貝等が住んでいる。但し、蛤はすくない。”
「ハマグリが少ない」の言は、よけいな気がします…が、イザナギノミコトに関係した地域なんだ
なと思いました。

■ 海部氏勘注系図に見られる高照姫
天橋立を渡ったところに、籠(この)神社が、鎮座しています。なんで籠(かご)なのか、彦火火
出見命とも云われた彦火明命が、竹で編んだ籠船に乗って、龍宮に行ったことから命名されたとい
う。
祭神の彦火明命ですが、(⇒ウィキペディア 天火明命)『日本書紀』では、ニニギノミコトの子ども、
あるいは、兄となっています。
また、祭神は、『丹後国式社證実考』では伊弉諾尊となっているらしい。
籠神社の宮司家、海部氏(あまべし)の所蔵する海部氏系図ですが、最古の系図として昭和51年(
1976年)6月国宝に指定されました。『籠名神社祝部氏係図』と、『籠名神宮祝部丹波国造海部
直等氏之本記』(以後「海部氏勘注系図」と称す)から成っています。
(詳しくは ウィキペディア 海部氏系図 )
さて、その内容の一部ですが、
◇ 国宝 海部氏勘注系図 巻首(原本 漢文) 抜粋 ◇
始祖 彦火明命
またの名 天火明命 またの名 天照國照彦火明命 またの名 天明火明命 またの名 天照
御魂命。
この神は正哉吾勝勝也速日天押穂耳尊の第三の御子にして、母は高皇産霊神の娘 栲幡千々姫
命です。
彦火明命が高天原に坐しし時、大己貴神の娘―天道日女命をめとって天香具山命を生みます。
天道日女命はまたの名 屋乎止女命と云います。
大己貴神は、多岐津姫命、またの名 神屋多底姫命をめとって、屋乎止女命、
またの名 高光日女命を生みます。
…中略…
ここに火明命は佐手依姫命をめとって穂屋姫を生みます。
佐手依姫命は,またの名 市杵嶋姫命、またの名 息津島姫命 またの名 日子郎女神です。
…後略…
(籠神社の宮司 海部光彦編『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』を
参考に平易な文章に変えました。)
つまりは、大己貴神が義理の父親になります。
記紀の編集者が見たら怒り出すような系図ですが、『播磨風土記』や『丹後風土記』でも、父親と
なっています。
詳しくは拙なるブログで⇒ スサノオ一族の上陸地(4) 播磨風土記・丹後風土記
それと、宗像三女神の市杵嶋姫命もめとったとあります。
なんと天孫族は、始祖からして既に、出雲族や宗像族と婚姻していることになります。
そして、その天火明命の後の海部氏、尾張氏が、初期大和王権の王族として葛城王朝を造っていく
ことになります。
富家伝承では、天火明命の孫となる天村雲命が、丹波から南下、磯城登美一族(大和の出雲族)と
三輪山の麓で初の王都を築くことになるそうです。つまりは、物部の東征は、もっと後代の話とい
うことになります。
それから、抜粋したところには載せてないですが、天火明命のまたの名として饒速日命とあります。
つまり九州から攻め上がってきた物部氏と丹波から南下した尾張氏が、同祖ということです。


さて、物部系の『先代旧事本紀』(⇒ ウィキペディア 先代旧事本紀) では、どのように高照姫を述べ
ているかと云うと、
( 天璽瑞宝 さんのホームページの現代語訳を引用させていただきました。)
“その大己貴神の子は、合わせて百八十一柱の神がいらっしゃる。
まず、宗像の奥都嶋にいらっしゃる神の田心姫命を娶って、一男一女をお生みになった。
子の味鉏高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)は、倭国葛木郡の高鴨社に鎮座されている。
捨篠社(すてすすのやしろ)ともいう。
味鉏高彦根神の妹は下照姫命。倭国葛木郡の雲櫛社に鎮座されている。
次に、辺都宮にいらっしゃる高津姫神(たかつひめのかみ)を娶って、一男一女をお生みに
なった。子の都味歯八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)は、倭国高市郡の高市
社(たけちのやしろ)に鎮座されている。または甘南備飛鳥社(かんなびのあすかのやしろ)
という。
都味歯八重事代主神の妹は高照光姫大神命(たかてるひめのおおかみのみこと)。倭国葛木
郡の御歳(みとし)神社に鎮座されている。”
(『先代旧事本紀』巻四 地祇本紀 )
なんと高照姫命には大神命の称号がついています。
『海部氏勘注系図』に書かれていることと、『先代旧事本紀』に書かれていることを合わせて、系
図を作成すると以下の通りとなります。大己貴(大穴持とも書く)が、富家伝承では、何代にも渡
る役職名であって固有名詞でないとすることを考えると、同じ名前ではありますが、別の神という
ことになりましょう。(富家伝承系図とは多岐津姫・田心姫・下照姫の記載が違っています。)
東出雲王家出身の天冬衣命の子どもであり、高照姫命は、事代主命の妹ということになります。
また、高照姫命と事代主命は、母系をたどると宗像族となり、海人族の性格を持ちます。

籠神社の奥宮、現在の真名井神社に参拝しました。昔は匏宮(よさのみや)・吉佐宮(よさのみや)
・与謝宮(よさのみや)・久志濱宮(くしはまのみや)とも呼ばれていたらしい。
主祭神は、伊勢神宮外宮の豊受大神です。

丹後風土記(残欠本)を見ると、丹後が豊受大神の発生源のようです。(天女伝説)
九州の豊国の「豊」の始まりがここだったとは。
天火明命が丹波に来る前は、丹波の元々の祖神だったのかもしれない。
通説的には、天照大神の食事のお世話をする神として、天照大神と半ばセットになっていますが、
たぶん、そういう単純な話ではないようです。
富家伝承では、三輪山の太陽神を奉祭していた磯城登美族(大和の出雲族)と月神を奉祭する豊族
(宇佐族)と宗教戦争が勃発し(狭穂姫命VS豊鋤入姫)、大和に居られなくなり、太陽神信仰の祭
祀場所を探し彷徨うことに至ったように書かれていました。(斎木雲州著『古事記の編集室』大元
出版)
天照大神の2度目の遷宮地であった籠神社ですが、その期間は4年ほどであったようです。
続く
2016年 11月 27日
天照らす 高照姫命 (1) 伯耆 蚊屋島神社
お隣の鳥取県にある日吉津村(ひえづそん)に行ってきました。
日吉津村は、米子市に囲まれた鳥取県唯一の村です。
イオンモール日吉津もあり、映画も松江市よりはいろいろ見れたり、お笑い芸人もよく来たり
しますので若い人たちは、松江市からもよく行くようです。
日野川の流域の東側に位置します。
最近雨ばかり降っていましたが、久しぶりに雨が止みました。しかし、曇り空でした。
日野川の土手から、大山を写しましたー。
なぜに日吉津村に来たかというと、
このごろは、斎木雲州著『出雲と大和のあけぼの』を神社・遺跡巡りのガイドブックにしている
のですが出雲国造神賀詞(かんよごと)に出てくる神様、「賀夜奈流美命」のことが載っていま
して、鳥鳴海命(9代目大穴持)が日吉津村の地名である「蚊屋」に祀られたから、賀夜奈流美
命とも呼ばれるようになったと書かれていました。※賀夜奈流美命は、大和の飛鳥坐神社の祭神
その祀られている神社が、日吉津村の蚊屋島(かやしま)神社だというので、参拝したくなり来
てみました。
かなり立派な社殿でした。

現在の祭神です。
合殿=豊受姫命、大年神、天萬栲幡豊秋津姫命、天手力雄命、天若彦神
合祀=級長津彦命、月夜見命、猿田彦大神、神倭姫命、天太玉命、素盞鳴尊、大己貴命、事代
主神、金山彦神
しかし、残念ながら、現在は「賀夜奈流美命」の名前は見えません。
おかしいなと思い、過去の事柄が載っている、
『鳥取県神社誌』(鳥取県神職会 編 昭和10年発行)を見てみました。

“ 創立年代詳ならざれども、当社は旧天照高比売命を祀りしとの口碑あり。
然るに社領証文を始め棟札及び神主裁許状などによれば日吉津村大神宮とも伊勢宮とも、
又後には天照皇大神宮とも記して、専ら天照皇大御神を祀りしが如くに見ゆ。
是れ天照の字に泥み天照大御神と思ひ誤りて大神宮とも伊勢宮とも唱えしものか。
此故にや美濃村舊家進氏の雑集紀に「日吉津大神宮の祭神往古と今と相違有之」と云えり。
かく祭神に相違を来たせしも古よりの口伝の捨て難くてか、嘉永の社帳以後は天照高比売命
をも合せ祀りしものと思はる。
伯耆誌に「郡中顕要の社なり社殿に祭神 天照大御神豊受姫命と記し、衣川氏の作るれる祝詞
も(田蓑日記に見ゆ」右の趣なれど確徴ある事を聞かず、又天乃佐奈咩神と称するは前年或人
三代実録に因りて設けたる説なりと云へり。
今按ずるに三代実録に元慶七年十二月二十八日庚申伯耆国正六位上天照高丹治女神云々授従五位下と
ある神にはあらざるか。
此神は古事記伝に大己貴命の御子高比売(一名下照比売命)にやとあり。
若し然らば天照の文字より誤り伝へて後世伊勢大神宮と称するにや、此他考ふる所無し」と云えへり。
又旧神職田口家氏の伝へに、代々弓射る事と雉子の肉を食ふ事を厳く禁ず(当社の氏子鹿の肉を食はず
との伝もあり)
之れ天若彦の古事に因みてなるべし。
今上の祭神より考ふるに豊受姫命、大年神、天栲萬幡豊秋津姫命、天手力雄命、級長津彦命、月夜見
命、猿田彦大神、 天太玉命、神倭姫命は天照大御神を主神とせるより祀りしなるべく、大己貴命、
事代主神、賀夜奈流美神(以上嘉永以後の社帳に拠る)
天若彦神は天照高日女神を主神とせるより合せ祀りしものならんか。
されば当社の祭神は昔は天照高日女神なりしを、何時の頃よりか誤り伝へて天照大御神と変りしも、
古き伝への捨て難く天照高丹治女神をも合せ祀ることとなりて主神二柱となりしならんかと云へり。”
以下略
「賀夜奈流美神」の名前確かにありました。
ところで、現在「天照皇大神、高比売命」の二神を祀っていますが、
元々は、「天照高比売命」を祀っていて、
「天照」の冠がついているので、「天照大御神」と誤ったのではないかと。
そして、本当の祭神は三代実録に載っている884年頃の「天照高丹治女神」のことではないかと。
「天照高比売命」「天照高丹治女神」、この神は、
まぎれもなく、丹後国一宮の籠神社(京都府宮津市大垣)の祭神「彦火明命」(天火明命)の妻
神 高照姫(別名 天道日女命)ではないですか。
「天照高丹治女神」の「高」は「高姫」の「高」、「丹治」は「丹波を治める」だと思うのです。
この高照姫は、「海部氏勘注系図」によると大己貴命(おほなむち)の娘となっています。
