人気ブログランキング | 話題のタグを見る

奈良の賀茂族 太多彦命の墓|美作国米来(めき)神社

目木川と山

奈良の賀茂族 太多彦命の墓|美作国米来(めき)神社_e0354697_18063710.jpg

私は、兵庫県朝来市の粟鹿(あわが)神社の古文書『粟鹿大明神元記』から、奈良県の賀茂族が西に移動して、原住民の出雲族を平定したと思いました。
その記事はこちらです。⇩


奈良県のつまりヤマト王権の賀茂族の始祖 大田田根子命の息子の一人である太多彦命(たたひこのみこと)は、『粟鹿大明神元記』では、但馬国朝来郡の粟鹿村(現在の兵庫県朝来市)に住み、そのお墓は美作国大庭郡米木原に在ると書かれています。

“美作国大庭郡神直(みわノあたい)、石見国大市郡神直、的大神直、倭三川部、吉備国品治部、葦浦君(あしうらノきみ)等の先祖 大多彦命、磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)御宇初国所知御間城入五十瓊殖(はつくにしらすみまきいりひこにゑ=崇神)天皇の時、国内の従わぬ人を平服させた。

大国主神の術魂荒魂を桙・楯・太刀や鏡に取りつけ西国に派遣きれた。この時、初めて男女に調物(税)が課せられた。(大多彦命は)但馬国朝来郡の粟鹿村に住んだ。大多彦命の墓は、美作国大庭郡米木原に在る。”(『粟鹿大明神元記』より)

なんで、美作国大庭郡米木原なのでしょうか。但馬国朝来郡からかなり西です。
美作国(現在の岡山県の北部)には、現在や過去の地名からでもわかるように、賀茂族が濃厚に分布したことがわかります。

今はどこに太多彦命の墓があるのかわかりませんが、墓があるとされる目木にある米来(めき)神社に参拝しました。

米来(めき)神社鳥居
岡山県真庭市目木589

奈良の賀茂族 太多彦命の墓|美作国米来(めき)神社_e0354697_18075179.jpg

コトバンクによる解説です。

“旧郷社。祭神は大己貴命・仲哀天皇・応神天皇・神功皇后で、相殿に韓神・素戔嗚命などを祀る。また境内社の祖霊(みたま)神社には中世当地方の豪族であった福島・有元・牧・二宗の四家の祖霊を祀っている。美和(みわ)郷の総社とされる。「作陽誌」に惣社と記され、九月一五日の祭には、当地の八幡宮、樫村東谷(かしむらひがしだに)の守宗(もりむね)神社(現守吉神社)二座、余野下(よのしも)村の大津(おおつ)神社、当社の神輿が小童谷(ひじや)に参集、のち当社で合同祭礼が行われた。”(コトバンク) 

米来神社 拝殿

奈良の賀茂族 太多彦命の墓|美作国米来(めき)神社_e0354697_18073783.jpg

米来神社 釣殿(つりどの)と本殿

奈良の賀茂族 太多彦命の墓|美作国米来(めき)神社_e0354697_18070760.jpg

境内社 祖霊(みたま)神社 中世の豪族である福島・有元・牧・二宗の四家の祖霊を祀っているそうです。

奈良の賀茂族 太多彦命の墓|美作国米来(めき)神社_e0354697_18083989.jpg

祖霊(みたま)神社の本殿かな?

奈良の賀茂族 太多彦命の墓|美作国米来(めき)神社_e0354697_18081930.jpg

境内社 石灯籠には、天満宮と彫ってありましたが、少彦名神社と思われます。

奈良の賀茂族 太多彦命の墓|美作国米来(めき)神社_e0354697_18072501.jpg

少彦名(スクナヒコナ)命は、出雲や伯耆では、「手間天神」とも言われます。手間=天満なのかもしれません。
三輪山の神は、大物主命で、大国主命の和魂(にぎたま)だとかいろいろ言われていますが、『古事記』だけから読むと、元々は少彦名(スクナヒコナ)命だったと思います。

ちなみに一般的には天満宮は、菅原道真を祀ります。
菅原道真の祖先は天穂日命ということになっていますが、富家伝承では、本当は少名彦命=事代主命が祖先だそうな。(少彦名ではなく少名彦だそうです。)

米来神社の由緒や境内社については、 岡山県神社庁 米来神社 を参考にしました。


PR

出雲国風土記の研究にこの一冊を。


Commented by ItoMizuki777 at 2026-01-27 17:16
この場所の歴史的背景や神社の由来は本当に興味深いですね!⛩️ この神社の歴史は、地域の文化を理解する上でどのような重要な意味があると思いますか?
Commented by yuugurekaka at 2026-01-28 20:00
> ItoMizuki777さん

コメントありがとうございます。
>この神社の歴史は、地域の文化を理解する上でどのような重要な意味があると思いますか?
この神社については、古代の伝承がないもので、正直わかりません。地域の文化を理解する上での意味も全くわかりません。この神社の意味は別にして、岡山県真庭市とか他の美作国の地域は、前方後方墳の方が前方後円墳よりも大きいという特異な地域です。また、弥生時代の四隅突出型墳丘墓が美作国で発見されたので、出雲地方(島根県東部)とのなんらかの関連があった地域と言われています。古代は古墳や墳丘墓以外何も証明するものがなく謎です。

この神社というよりも、弥生時代から古墳時代にかけて、この神社のある「米木」の地域に賀茂族の末裔のお墓があるという伝承が、兵庫県の朝来市の粟鹿神社に残っているということをお伝えしたかっただけです。
Commented at 2026-02-03 13:52
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
名前
URL
削除用パスワード
by yuugurekaka | 2026-01-22 19:20 | 賀茂族 | Trackback | Comments(3)