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鼻高山の神々 (3)青木遺跡 伊佐波神社

鼻高山の東の麓に青木遺跡があります。
2002年(平成14)-2003年(平成15)に発掘された青木遺跡ですが、初期(弥生時代中期後葉の)の四隅突出型墳丘墓が発見されました。
よくわからんと単なる野原に見えます。


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それまでの四隅突出型墳丘墓は、広島県の三次市で誕生し、出雲地方に伝播したものとされました。
しかし、ここの遺跡の発見で、出雲地方でも、初期の四隅突出型墳丘墓が作られていたことがわかりました。

詳しくは、





2021‎年‎4‎月‎撮影 
復元された四隅突出型墳丘墓 青木4号墓
鼻高山の神々 (3)青木遺跡 伊佐波神社_e0354697_20055043.jpg

四隅突出型墳丘墓の他には、県内初の近畿式銅鐸や全国最古級の神像、国内初の売田券木簡などが出土しました。

また、奈良時代の神社跡とも思われる9本柱の遺跡も発見されました。9本柱というと、出雲大社を始めとする大社造りの神社です。

復元された神社跡と思われる9本柱の遺跡

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奈良時代では、樹木や滝、岩のような自然物を神社と呼んでいたのではないかとされていましたが、建築物としての神社が奈良時代には大社造りの神社が既にあったのではないかと思わせてくれます。

神社跡と聞けば、なんという神社か気がかりになります。

この青木遺跡には、伊佐波神社跡がもともとありました。私の想像ですが、元々あったのだから、伊佐波神社だったのかもしれません。


『国道431号道路改築事業(東林木バイパス)に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 青木遺跡中近世編編』島根県埋蔵文化財調査センター よりお借りしました。

鼻高山の神々 (3)青木遺跡 伊佐波神社_e0354697_20403306.jpg

この神社跡がどこか、歩いていろいろ想像しました。
この伊佐波神社ですが、出雲国造家の系図にも出てくる伊佐我命ではないかと思われます。
そして、関東の国造(伊勢津彦裔)の系図にもみられるように、この神は、伊勢国の名前の起源になった伊勢津彦命の同じ神だったと思います。

詳しくは、



出雲国造の系図になぜ?
伊勢津彦命は大国主命の息子と播磨国風土記には書いてあります、なのになぜ、出雲国造家の祖の天穂日命の系譜に登場するのでしょう。

古事記には、大国主命と事代主命が、お隠れになることが書かれています。
もしかすると、系図から、大国主命と事代主命、その系譜を抹消するということだったのではないか?などと思ったりします。

偉い古代史家に、岡山県のように大きな古墳もでないところに、出雲の神の故郷のはずがない!
出雲の神とされているのは、本当は大和の神だ!と書かれていますが、

出雲の神々は、故郷がこの出雲であってほしい・・・と思います。

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Commented by bumidayat at 2025-09-21 22:43
こんにちは、Sariです。
出雲の神々の国は、古墳時代よりずーっと前なのではと思っていますが…
素人考えですが、思うことは自由ということで…
私は出雲も好きですが、茨城の鹿島神宮も好きで、縄文との繋がりもと。
鹿島神宮の内陣と大社の内陣が同じ、向きも同じで濃い縁があると思っています。
 過去記事から読ませて頂きます。よろしくお願いします。
Commented by yuugurekaka at 2025-09-22 10:53
> bumidayatさん
コメントありがとうございます。
古代史は、10年前から興味をもったので、初めの方の記事は内容が無くて、申し訳ありません。

武甕槌神を祭神とする鹿島神宮ですね。
一般的には、国家の北方の守護神として武甕槌神が祀られたと言われていますね。
国譲り神話では、出雲王国を高天原に譲らせる敵役として登場しますが、富家伝承本には、大和の出雲族 登美氏(磯城氏)の系譜にあると書かれていました。

しかしあれも、武甕槌神が雷の神・地震の神で、風の神 建南方神との対抗上、登場させられたのではないかとも思っています。

まあ 何が本当でウソなのか、見極めがたい世界ですね。
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by yuugurekaka | 2025-09-21 21:01 | 鼻高山 | Trackback | Comments(2)