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鼻高山の神々 (2)来阪神社(くるさかじんじゃ)

神門谷(ごうどだに)から登り、鼻高山の中腹に来阪(くるさか)神社が鎮座しています。


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来阪神社(くるさかじんじゃ) 島根県出雲市矢尾町787 

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御祭神 素盞鳴尊 稲田姫尊 大己貴尊 少彦名尊

配祀
天之御中主神 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命 天津日子根尊 活津日子根尊 熊野久須毘尊
多紀理毘賣尊 市杵嶋毘賣尊 田寸津比賣尊

大穴持海代日古神社 海代日古尊
大穴持海代日女神社 海代日女尊 

来阪天王社に合祀された来坂神社  

来坂神社(くさかじんじゃ)は、『出雲国風土記』(733年)に記載された古社です。
また、延喜式では、
大穴持海代日古神社と大穴持海代日女神社だったということになっています。

麓の久佐加神社もですが、来坂(くさか)の名称から、元は、日下部氏の奉斎した神社と考えられます。
もしかすると、大穴持海代日古命と大穴持海代日女命は、日下部氏の祖神だったかもしれません。

〝当地に京都八坂神社の分霊を奉る来成天王社があった。天文年間(1532~54)に「来坂社」が焼失した。その後約50m西にあったその来成天王社に合祀された。〟(『高浜探訪』高浜歴史研究会)

だから、来阪神社の事を広く、「天王さん」と呼ばれます。

その来成天王(きなしてんのう)社は、八坂神社の分霊を奉っていると言うことだから、牛頭天王(ごずてんのう)ということになります。神仏習合時代、牛頭天王は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と同一視されました。それゆえ、主祭神が素戔嗚尊であり、神社の南側の巨石が、「スサノオの腰掛岩」と呼ばれるのでしょう。

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また、鼻高山の北側には、鰐淵寺の守護神が素戔嗚尊とされ伝承地が濃厚な伝承地となりました。だから、鼻高山付近の素戔嗚尊信仰は中世以降のことだと思われます。

境内社  社日様


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弥山の麓の社日様が、圧倒的に「社稷神」と書かれた石碑を祭るのに対して、出雲地方ではオーソドックスな5角形の社日様です。
江戸時代の終わりから明治の初めの信仰です。古代とは関係ありません。


祓戸之宮

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前に参拝した時は、「お祓いの神様」で、さほど不思議に思いませんでした。しかし、奈良時代以前は、来坂神社の麓の南西は、神門の水海の一部の菱根池があり、斐伊川が流れていました。

河口は、ミソギ場となる場合が多いです。
近くの伊努神社に式内社「同社神魂伊豆乃売神社」というミソギの神様が祭ってあるけれど、このこととここの祓戸之宮は何か関係があるのかもしれません。

なぜ日下部氏の神社が、鼻高山の麓に2つもあるのか?

出雲口伝にも触れられているので、別サイトで記事にしました。

⇒ 【出雲口伝】ホムチワケ伝承と沙穂彦一族をかくまった神門臣

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by yuugurekaka | 2025-09-13 19:51 | 鼻高山 | Trackback | Comments(0)