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乙見神社 島根県出雲市入南と菱根池

今まで参拝したけれど、その神社の概要がよくわからなくて、記事にしなかったものも多いです。
乙見神社もその一つ。乙見神社の写真は、2015年の12月頃のものです。10年も経ってしまいました。

奈良時代には、出雲大社(杵築大社)の前には、神門水海という大きな湖が横たわっていました。さらに、その北東には、菱根池という大きな池がありました。

島根県立古代出雲歴史博物館の展示物に赤丸を書き入れました。赤丸の所が菱根池です。


乙見神社 島根県出雲市入南と菱根池_e0354697_18233938.jpg

現在は江戸の初期(1616年)から、埋め立てられており菱根池はありません。当時は斐伊川が宍道湖ではなく、菱根池に流れていました。
菱根池の入江の南だから、入南という地名だそうです。

修理免の乙見社(おとみのやしろ)

大穴持御子玉江神社(通称 乙見社) 島根県出雲市大社町修理免920
祭神 下照姫命

乙見神社 島根県出雲市入南と菱根池_e0354697_18470021.jpg

大社町修理免にある大穴持御子玉江神社(通称 乙見社)という出雲大社の摂社であり式内社です。
千家俊信の『式社考』によれば、玉江とは、菱根池のことで、入南にあったけれど、寛文(1661年から1673年)の頃今の地に遷ってきたそうです。

入南(にゅうなん)の乙見社
乙見神社 島根県出雲市大社町入南360
祭神 下照姫命 配祀神 大年神

乙見神社 島根県出雲市入南と菱根池_e0354697_18505784.jpg

修理免の乙見社が、入南から遷ってきたとあるのに、入南にも乙見神社があります。遷った後に建てられたのかしら?


『神国島根』から、由緒を見てみます。

由緒沿革

元当社境内に、乙見神社、大年神社、厳島神社の三社鎮座ありしが、その一社厳島神社が天正三年五月九日八島村の氏神として遷された後、大国主命の御女下照姫命を祀る大歳神社を合祀して、〝乙見神社〟と称し、明治五年三月村社に列せられた。然し、明治八年十月遷宮の際、棟札、古證書等悉く何者かに盗まれ、由緒を詳しくし得ないが雲陽誌に「中井駿河守綱家永禄三年神田寄附せり」とあり、要するに創立年代は、元亀・天正以前の勧請なることは確実である。

修理免の乙見神社との関係は全く書かれていません。

永禄三年は、1560年です。この時代には、修理免の乙見社は、まだ入南にあり、遷っていません。
これは、修理免の乙見社に与えられたものなのか、それとも入南に2つの乙見社があったんでしょうか?

「元亀・天正以前の勧請」とあります。元亀は、1570年から1573年です。しかし、修理免の乙見社の後継ならば、奈良時代以前の神社ということになるので、元亀・天正以前の勧請などという必要はありません。寛文(1661年から1673年)に入南から修理免に遷宮したというのが間違いなのか、後から別の神社が、創立されいて、後に同じ「乙見神社」を名乗ったということなのでしょうか。

入南の乙見神社 本殿

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境内の社稷神(しゃしょくしん)

乙見神社 島根県出雲市入南と菱根池_e0354697_19251290.jpg

社稷は、中国の国家祭祀で、社(土地神を祭る祭壇)と稷(穀物の神を祭る祭壇)の総称とあります。( → Wikipedia 社稷 

大社町の方では、「社日さん」とも呼ばれるらしいですが、中世の千家家文書に「天下社禝の神素戔烏尊これなり」というのがあるので、開拓神として素戔嗚尊を祀ったのではないでしょうか? 私の想像です。





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by yuugurekaka | 2025-06-16 19:36 | 神社探訪 | Trackback | Comments(0)