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阿祢(あね)神社 【阿祢は、姉だろうか?】

阿祢神社(阿禰神社)  島根県出雲市湖陵町二部5

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神西湖(奈良時代は、「神門の水海」の一部)の南側に位置し、旧国道から南側にJRを渡ったところの山裾にある。

出雲国風土記所載社、延喜式内社である阿祢、阿禰(あね)神社

『出雲国風土記』(733年 奈良時代)では、出雲国神門郡の阿如社(あねのやしろ)。

この場所一帯は、天平11年(739)の「出雲國大税賑給歴名帳」に見える滑狭郷阿禰里(なめさごう あねのさと)にようである。(滑狭のもとの字は、南佐だったという)

おそらく、漢字が「阿如」「阿禰」と違うのは、たぶん「あね」という呼び名が先にあって、漢字で後から、阿如」「阿禰」を当てていたんではなかろうか。

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※ちなみに、似た漢字の(こちらは部首が)の式内社、阿彌神社が、常陸国(現 茨城県稲敷郡阿見町)にあり、こちらは阿(あみ)であり、現代の阿見町につながっている。(比定社が2社あり、片方は豊城入彦命が主祭神で、もう一方が健御雷之男命である。)

現在この神社が鎮座する地域は、姉谷(あねだに)と呼ばれている。
『式内社調査報告』には「社名は地名に因んでゐる。」とあるが、神社名が先か、地名が先かということは、どっちだか証明しがたい。

『延喜式神名帳』(927年 平安中期)では、「阿祢神社」と、これまた阿祢」(あね)で漢字表記が違う。


阿祢神社、阿禰神社 遷宮の歴史

一般的に神社のある場所は、変容しており、奈良時代から、ずっと同じ場所にありつづける神社は珍しい。(出雲大社は稀有な存在かもしれぬ。)

また、栄枯盛衰はなはだしく、時代によって、八幡様に村の中心的な神様がとってかわられるのは珍しくない。ここの阿祢神社も例外ではない。

阿祢神社(阿禰神社) 御本殿   主祭神 天照大御神


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社伝によると、“往古姉谷中央ニ在リテ、其舊跡宮床ト稱セル地僅カニ耕地中ニ残レリ。降リテ中古姉谷 高丸山ノ根ナル川端ニ遷リ、ツイデ寶暦年中(中略)姉谷奥 ニ遷セルニヨリ、明治二十四年ニ至ルマデ鎮座アリシガ、氏子ノ宿願ニヨリ(中略)仝年十月三日往古ノ社地ニ近キ 現今ノ地ニ遷座アリ”とある。

わかりやすく書くと、

往古 姉谷中央に鎮座 宮床と称する場所が、耕作地にわずかに残っている
 ↓
中古 姉谷高丸山の根なる川端に遷宮
 ↓
宝暦年中 姉谷奥に遷宮
 ↓
明治24年10月3日 現在の地に遷宮

姉谷中央というのがどこらへんかわからないが、現在の場所に近い場所のようだ。
そして、現在の場所には宇佐神宮から勧請した立派な八幡宮があったけれど、阿祢神社が吸収、八幡様を合祀するようになったようである。
おそるべし、明治時代の神道再編。

阿祢神社、阿禰神社の祭神 三貴神の「姉」 天照大御神

現在の主祭神は、「天照大御神」で、記紀神話では、伊邪那岐神が生んだ三貴子(天照大御神、月読命、須佐之男命)の一番上の長女という設定である。

由緒には、“創立年代不詳なるも神亀年中に伊弉諾・伊弉冉尊の御子達三柱の姉なる大神鎮座し給われ、この地を姉の里と云う、と古書に見えている。”とも書かれている。

三貴神の「姉」だから、「姉の里」・・・すなおに、そのように思えない。なぜならば、出雲地方の神社名が、ほとんどすべて意味不明だからだ。ここの神社だけ、「姉」という意味を持つのは?

境内社 客大明神神社(祭神 焼太刀大穂日子命)と金毘羅社(祭神 金山彦命)
焼太刀大穂日子命(やきたちのかみおおひこのみこと)を祭るとは?伊保神社や塩冶神社と関係があるのかしら。

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平安時代中期の辞書での「姉」は?奈良時代では?

承平年間(931年 - 938年)の辞書『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)に、姉はどう書かれているか調べてみた。以下 兄弟姉妹の項を抜き出し。

巻2・親戚類第7・兄弟類第26・16丁表1行目 兄 爾雅云男子先生為兄[許営反]一云昆[和名古乃加美]日本紀云[和名伊呂禰]
巻2・親戚類第7・兄弟類第26・16丁表3行目 弟 爾雅云男子後生為弟[和名於止宇止]
巻2・親戚類第7・兄弟類第26・16丁表4行目 姉 爾雅云女子先生為姉[止反]女兄[和名阿禰]
巻2・親戚類第7・兄弟類第26・16丁表6行目 妹 爾雅云女子後生為妹[昧反和名伊毛宇止]

確かに姉の意味として、「和名阿禰」とある。

『爾雅(じが)』は、中国最古の類語辞典・語釈辞典・訓詁学書であり、それに、先に生まれた女子を姉というと書かれているようだ。

しかし、これは平安中期の話であり、奈良時代よりはるか昔には、果たして、「あね」が、中国語の「姉」だったんだろうか?

そういう論文がないか、ネットで検索したら、あった。高橋俊乗の『我が國古代の道徳と儒教 (二)』に書かれてあった。

以下抜粋。


“古事記・日本書紀・萬葉集等に於ては夫婦関係をイモ(妹)とセ(夫、背)で表はし、兄妹・弟姉の関係をもイモ(姉妹ともに妹の字をあてる)とセ(兄・背)で言表すことはよく知られている事実である。夫婦と兄弟とを同じ用語で言表すと云ふことは、我が古代に於て、これら両関係の中に、類似したものと考へられる或共通な物が存在していたからである。”

“年長の女で、姉に当る者をもイモと呼ぶ時は妹と書く例である。姉の漢字には日本書紀の訓や本居宣長の古事記の訓ではアネの訓の外にナネ又はイロネと読ましてある。この読方の方が多い。アネと言ふ語を萬葉仮名で表はした例は奈良時代の古典にはちょっと見つからない。”

“アネのネは親尊であって、アはアセ、アオトなどのアで吾の意であろうか。”


大変趣のある文章ではあるが、奈良時代以前は、「アネ」が「長女」を示す「姉」という語ではないということは、古典からわかる。






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by yuugurekaka | 2025-02-17 22:07 | 神社探訪 | Trackback | Comments(0)