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餘子(あまりこ)神社の変遷 

現在の姿の神社から、古代を語ってはいけないというのはもちろんである。
神社とは、いくつかの時代に再編され、祭神や奉斎する宮司家が変わったりしているからである。

式内社というものがあるが、平安時代のその神社と現代の神社がその後裔であると信じているが、それ自体がそもそも怪しい場合がある。古代の神社は、山の頂上の磐座や岩穴であったり、それが山の麓に降りてきたりのパターンや、近世の木にわら蛇を巻き付けて、荒神さんとして祭ったものが、神社として発展したり、様々である。


餘子(あまりこ)神社   境港市竹内町1645

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ここの神社名は餃子(ぎょうざ)に字が似ているが、餘子(あまりこ)神社という。
なぜに「あまりこ」と称するのか諸説あるようだ。

谷川健一編 『日本の神々 神社と聖地』(白水社)に載っていた、楽々福神社に関係する神社だ。
しかし、本には、境港市栄町餘子神社と書いてあり、その神社を探したけれど、無い。ここは竹内町である。


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神社の説明版を見たら、そのいきさつが書いてあった。
ここの神社は、餘子神社の摂社であった、荒神さんが発展した「垣内神社」であって、その本社である餘子神社は昭和20年に焼失したので、ここの神社が餘子神社を称するようになったとある。

その元々の餘子神社は境港市の港の中心地にあり、現在の大港神社と一緒に祭られていたようです。
国立国会図書館デジタルコレクションで明治時代の書物を調べたところ、境町及び餘子村の産土神で、最も大きな神社であったそうだ。
なぜ、再興されなかったのか、そこら辺の事情がわからない。

創始もかなり古そうで、鎌倉時代までさかのぼれる文書があったようである。稲田姫命を祭神としていたそうだが、正神は孝霊天皇とも。(表向きの祭神とホント―の祭神があるのが面白い。)


前から戦後に神社が大きく変貌している事実に愕然とした。
明治時代でさえ、なかなかさかのぼれないのに、ましてや、奈良時代までさかのぼることなど困難なことである。
なにが誠か、謙虚に考えていかなければならないと思った。







Commented by サムライからくり at 2023-10-08 20:11 x
安来ってジブリ映画のラピュタのロボティクスのような古代文明がたたら製鉄によって形成されていたとか想像を膨らむ言い伝えが多いいですよね。
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by yuugurekaka | 2023-08-14 19:56 | Trackback | Comments(1)