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えびす神の謎 ⑥ 西宮神社 その1

■ 西宮神社の起原

西宮神社 本殿 右手(奥)が蛭児大神、中央が、天照大御神及び大国主大神を配祀、左が須佐之男大神を祀る。

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<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/user:663highland" class="extiw" title="ja:user:663highland">663highland</a> - <span class="int-own-work" lang="ja">投稿者自身による作品</span>, CC 表示 2.5, リンクによる


ウィキペディア 西宮神社の記事の抜粋である。(太字表記は私)


〝創建時期は不明だが、延喜式内社の「大国主西神社」に同定する説がある。現在、境内末社の大国主西神社が式内社とされているが、後述のように西宮神社自体を本来の式内大国主西神社とする説もある。だが延喜式神名帳では菟原郡となっており、西宮神社がある武庫郡ではなく、西宮神社にせよ現在の大国主西神社にせよ、式内社とするには一致しない。ただし武庫郡と菟原郡の境界は西宮神社の約200m西側を流れる夙川でありこの河道の変遷により古代は菟原郡に所属したとする説もある。


式内大国主西神社との関係がいずれとしても、平安時代には廣田神社の境外摂社であり「浜の南宮」または「南宮社」という名であった。廣田神社と神祇伯の白川伯王家との関係から頻繁に白川家の参詣を受けており、既に篤く信仰されていたことが記録に残っている。


平安時代末期、廣田神社の摂社として「夷」の名が初めて文献にあらわれるようになる。そのためこの頃から戎信仰が興ったとの説がある(同時期の梁塵秘抄にも、諏訪大社、南宮大社、敢国神社と共に、廣田神社の末社が南宮とされている)。この南宮が現在の西宮神社のことであり、廣田神社の境外摂社である「南宮神社」が現在でも西宮神社の境内にあるのはその名残りである。〟


「伊呂波字類抄」(平安末期)

広田 五所大明神 

本身阿弥陀 

在摂津国

 矢洲大明神 観音    南宮  阿弥陀 

      毘沙門   児宮  地蔵 

       エビス 

 三郎殿   不動明王  一童  普賢 

 内王子   観音    松原  大日 

 百大夫   文殊    竃殿  二所 



■ 西宮神社の漂着神伝承

〝西宮の東方3キロメートルの鳴尾の浜の漁夫が武庫の海の沖で夜漁りをしていた時に、その網が平常より甚重く覚えたので悦び引き上げて見れば魚ではなく、奇しき神像ような物が懸かった。漁夫は何心なくつぶやきつつそれを海中に遺棄し、猶沖遠く行くうちに和田岬の辺にさしかかった。そこでも亦網を曳いて居ると、不思議や先程武庫沖で見送った神像がまた懸かって来たから、今度は只事ではないと勘づき、像を船に乗せ家に帰って斎き祀った。或夜の夢に神の託宣があり吾は蛭児神なり、国々を巡って此地に来たが、此の地より少し西方に好き宮地がある、そこに居らんと欲する、能く計らえよと講えられた。漁夫は驚いて此の夢の状を里人に語り一同の同意を得て遂に襲の御像を、御輿に乗せ西の方お前の浜さして進み、暫し仮宮に停めたる後、その里人共々相図って好適の地に鎮め参らせたのが現今の戎社である〟(吉井良尚『西宮神社の歴史』)




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by yuugurekaka | 2020-09-11 13:57 | 美保の事代主命 | Trackback | Comments(0)