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美保の事代主命 (8) 奴奈川姫命の系譜

『出雲国風土記』(733年)には、所造天下大明神命大国主命)が、高志越)の奴奈宣波比売命(ぬなかわひめのみこと)と婚姻して、誕生したのが、御穂須須美命(みほすすみのみこと)で、そこから美保という地名が生まれたと書かれている。


美保みほ郷。

郡家の正東二十七里一百六十四歩の所にある。所造天下大明神命が高志こし国にいらっしゃる神意支おき命の子、命の子、奴奈宣波比売ぬなかわひめ命と結婚してお産みなさった神、御穂須みほす須美すみ命、この神が鎮座していらっしゃる。だから、美保という。〟
(島根県古代文化センター編『解説 出雲国風土記』 今井出版)


この、奴奈川姫命の父親が、俾都為命(いのみこと)、祖父が意支都為命(おきいのみこと)と具体的に書かれているが、この系譜はどのような氏族の系譜であろうか。


まずは、奴奈川姫命の故郷であるが、漠然と高志国と書かれているが、濃厚な伝承地からすると新潟県糸魚川市いといがわし)川流域であると思われる。


(この姫川は、奴奈川姫命が名前の由来→ ウィキペディア 姫川 


この奴奈川姫命の伝承がまとめられているサイトがあった。→ 奴奈川姫の伝説/糸魚川市






    奴奈川姫と建御名方命の像  (ウィキペディアより)         駅前海望公園  新潟県糸魚川市大町2-11


Nunakawahime and Tateminakatanomikoto statue.jpg
photo: Qurren会話Taken with Canon IXY DIGITAL 10 (Digital IXUS 70) - 新潟県糸魚川市、海望公園に屋外展示。, 日本著作権法46条/米国フェアユース, リンクによる




 久比岐(頸城)国造と高志深江国造

新潟県糸魚川市(いといがわし)の姫川流域であるが、江戸時代は越後国頸城郡(くびきぐん)と呼ばれる地域であったが、律令制以前には、久比岐国造(くびきのくのにみやつこ)が治める地域であった(現・新潟県上越市、糸魚川市、妙高市、十日町市)と思われる。

先代旧事本紀 巻第十  国造本紀』では、「瑞籬朝(崇神天皇)の御世に、大和直と同祖の御戈命を国造に定められました。」とある。『新撰姓氏録』(815年)で関係する氏族を見ると、以下の通りである。

  • 右京   神別 地祇 青海首    椎根津彦命之後也
  • 大和国  神別 地祇 大和宿祢 宿祢 出自神知津彦命也

代々大和国造を務めたとされる氏族が、「地祇」である。

籠神社の「海部氏本系図」「勘注系図」では、始祖彦火明命の3世孫で尾張氏と同族で、本来天神の系譜であるはずが、天神では無い。

そういうことから考えると、そもそも天津神VS国津神、ヤマト王権VS出雲という古代史の筋立てが、怪しくなってくる。

ともかく、頸城郡には 椎根津彦命を祀る青海神社があることから、青海首の一族が、久比岐国造を務めたと考えられている。

また、久比岐(頸城)国のさらに東には、高志深江国があった。

国造本紀』では、「高志深江国造(こしのふかえのくにのみやつこ) 瑞籬朝(崇神天皇)の御世に、道君(みちのきみ)と同祖の素都乃奈美留命(そつのなみるのみこと)を国造に定められました。」とあり、これは孝元天皇の御子大彦命の後裔である阿倍氏の一族と云われている。

それと、名前が似ていて混乱してくるが、いわゆる越前方面に高志国(現・石川、富山、新潟県又は福井県福井市周辺)があったとされる。

ここの国造も大彦命の後裔である阿倍氏の一族と云われている。

高志国造

志賀高穴穂朝(成務天皇)の御世に、阿閉臣(あべのおみ)の祖・屋主田心(やぬしたこころ)命の三世孫の市入命を国造に定められました。

高群逸枝著 『母系制の研究(上)』での、久比岐(頸城)国造の見立てである。

〝国造廃止後のこの地方の郡領は、高志公氏であって、西大寺資財帳に「越後国頸城郡大領高志公船長」とあり、大同類聚方に「奴奈加波薬、越後国頸城郡奴奈加波神方也、允恭御宇奏之、元者少彦名神伝方也、祝主古志公村主家」、「奴乃加波薬、越後国奴乃川神社伝方、元者少彦名神大己貴神剤、古志公村主等家方」等と見えて、頸城国造高志公氏によって奴奈加波神社が奉斎されていること、その奴奈加波神社には、大国主命より伝承されたる神剤があることなどが窺われる。

奴奈加波神社とは式奴奈川神社である。

大国主命との事蹟等より考えるに、恐らく沼河比売を祭った神社であろう。

太田説にも、「高志氏、此の神社の祝として、国造職なるより思へば、恐らく此の比売の後裔と見るべきなり」とある。

 この比売の後裔にして、而も大和直の後裔でもあるとすれば、前者の系統は連綿たる母系の継承として持続せるを意味し、後者の系は、中間外来の父系であることを物語るであろう。

また、大国主命との古事記神話に照らすならば、大和直の系以前に、此氏は信濃の諏訪氏と同じく出雲神系を称えたであろうことも想像されるし、次に大和直系と並んで阿部系をも発したのではあるまいか。大彦命の男渟川別命は此氏の所生であろうと思われるのである。〟(高群逸枝著 『母系制の研究(上)』講談社文庫) 

ここに出てくる太田説であるが、『姓氏家系大辞典 第3巻』(太田亮 著)が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されていた。(→国立国会図書館デジタルコレクション )問題の箇所であるが、第三巻2291ページにあった。

細々としたことはいろいろな説があり、これを論じるつもりはないが、頚城国、高志深江国辺りは、古い順番でいけば、原型・奴奈川姫命の氏族に、出雲神系(大国主命、事代主命)、その次に、大和直の系、そして、大彦命の系というように婚姻関係で同族になったと思われる。

大和直の系と大彦命の系であるが、一見出雲神とは関係ないように思われるが、ヤマト王権の母族始祖が事代主命なので、なんどとなく、関連氏族がダブって祀っていたのではないかと思う。

ただ、ヤマト王権の氏族として、地祇(国つ神)では都合が悪くて、天神の御子少名毘古那神として祀られることになったのではないかなどと、思ったりもする。

■ 奴奈川神社の社伝

延喜式の「奴奈川神社」にも論社が3社あるようである。

  1. 天津神社境内社・奴奈川神社(糸魚川市一の宮1-3-34)
  2. 能生白山神社(糸魚川市大字能生7239
  3. 奴奈川神社(糸魚川市田伏569

三番目の田伏の奴奈川神社の社伝に、奴奈川姫命の系譜が書かれてあった。

〝社記二載ル趣ハ上古高皇産霊尊ノ子意支都久辰爲命高志國二天降給ヒ其子稗都久辰爲命其子奴奈川比売命高志國ヲ領シ給ヒシ時八千矛神豊葦原水穗國ヲ造リ給ハント奴奈川比売命ノ許二至リ共二議リテ國造リ意給ヒテ営郡沼川郷多市布勢ノ神沼山二岩隠給フ故二沼河郷ト號スト又成務天皇ノ御宇市入命越國ノ國造ト成テ當地二來リ奴奈川比売命ノ子建沼川男命ノ商長比売命ヲ嬰リ奴奈川比売命ノ社ヲ建テ神田神戸ヲ寄附セリト又延暦22年市入命ノ後胤國造藤好當社ヲ崇敬シテ怠ラス或夜滲籠申神語アリ吾世々守護スル事久シ汝吾が力爲二宮殿ノ破壊ヲ修造スヘシ又祭祀怠テスンハ國家平安ナラント依テ同年3月14日修造シ神田神戸ヲ増附スト又貞観年中國主神地ヲ掠メシニ依り神怒アリ同5年6月當國大地震ニテ山崩レ谷埋ル然レトモ社殿鍛損ナシト又弘安4年6月蒙古襲來ノ時異賊退治御祈願ノ爲奉幣アリシ等ノ事ヲ載ルト云當村ノ産土神ニテ明治6年12月第九大区八小囁ノ村社二列ス〟(『神社明細帳』1879年~)


まとめると、

高皇産霊尊ー意支都久辰爲命ー稗都久辰爲命ー奴奈川比売命建沼川男命…長比売命(越國ノ國造・市入命が夫)  
                                       
始祖が、高皇産霊尊とある。

元々はどうだったかはわからぬが、阿部氏の一族と同族になっているから、父祖の始祖として祖変したのかもしれない。

この系図を見ると、これが国譲り神話で高皇産霊尊の御子、三穂津姫命と大物主命の婚姻話が作られた背景なのかな などと思ってしまう。





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by yuugurekaka | 2020-01-18 11:34 | 美保の事代主命 | Trackback | Comments(0)