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久延毘古の神・田の神・事代主命

奈良に大神神社の末社で久延彦神社という神社がある。
久延彦(クエビコ)は、『古事記』に登場する神で、少彦名命の神名を大国主命に告げる神である。

久延彦神社
奈良県桜井市三輪大御輪寺98 

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〝オホクニヌシが、出雲の美保の御崎にいました時じゃが、波の穂の上を、アメノカガミ船に乗っての、ヒムシの皮をそっくり剥いで、その剥いだ皮を衣に来て依り依り来る神があったのじゃ。オホクニヌシがその名を問うたのじゃが何も答えず、また、お伴の神たちに尋ねてみても、みな、「知りません」と申し上げるばかりじゃった。
 それで困っておると、タニグクが進み出て、
「この方のことは、クエビコがかならずや知っておりましょう」と、そう言うたので、すぐさまクエビコを召し出しての、お尋ねになると、クエビコは、
「この方は、カムムスヒの御子、スクナビコナ様にちがいありません」と答えたのじゃ。〟
             (三浦佑之 訳 『口語訳 古事記 』 文春文庫)(太字強調は、私)

クエビコの神の正体が、次に述べられる。現代でいう案山子(かかし)と云われている。

〝あのクエビコは、今でも山田のソホドというのじゃ。この神は、足を歩ませることはできぬが、何から何までこの世のことをお見通しの神なのじゃ。〟(三浦佑之 訳 『口語訳 古事記 』 文春文庫)

久延彦神社
奈良県桜井市三輪大御輪寺98 

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鳥などの害獣を田んぼから追い払うための人形を案山子と云い、獣肉を焼き焦がして串に通し、鳥などが嫌がる匂いで追い払う「嗅がし」から、「かかし」と云われるようになったという説が強い。

他方、民俗学においては、田の神の依代(山の神の権現とも言われる)であり、山の神が、春になると山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るという信仰がある。(田の神・山の神の春秋去来の伝承)

奈良時代のかかしは、実際上の鳥などを追い払う役割よりも、田の神としての神の依代の性格が強かったのではないか。
長野県のある地域では、「かかし揚げ」「ソメノトシトリ」などと云う、案山子に蓑笠を着せ、箒や熊手を両手に持たせ、餅を供えて祭る行事があるとのことだ。かかしが、田の守り神を終えて、また山の神に戻るのだそうだ。

さて、そういう理屈からすると、かかしの神は、山の神そのものということになる。少彦名命は、大和の御緒山(三輪山)に鎮座することになるが、久延彦とは、山の神となった少彦名命そのものということになる。
さらに日本書紀の本書と『先代旧事本紀』を合わせて読む限り、少彦名命=大物主命=事代主神である。
つまり出雲国の美保の神様であると同時に、大和の祖神である。

三輪山

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〝大己貴神が「そうです。分かりました。あなたは私の幸魂奇魂です。今どこに住みたい住みたいと思われますか」と。答えていわれる。「私は日本国の三諸山に住みたいと思う。」と。そこで宮をその所に造って、行き住まわせた。これが大三輪の神である。この神のみ子は賀茂の君たち・大三輪の君たち、また姫蹈鞴五十鈴姫である。別の説では、事代主神が、大きな鰐になって、三島の溝樴姫、あるいは玉櫛姫という人の所に通われた。そしてみ子姫蹈鞴五十鈴姫命を生まれた。これが神日本磐余彦火火出天皇(神武天皇)の后である。…中略…
すると高皇産霊尊がお聞きになって、「私が産んだ子は皆で千五百程ある。その中の一人の子は、いたずらで教えに従わない子がいた。指の間からもれ落ちたのは、きっと彼だろう。可愛がって育ててくれ」といわれた。これが少彦名命である。
          (宇治谷 猛 訳『日本書紀(上)』  講談社文庫)(太字強調は、私)

そういえば、葛城山のふもとの鴨都波神社の説明板に書いてあった。鴨都味波八重事代主神の「代主」は「田の神の古語」であり、事代主命自体が、田の神であった。

鴨都波神社 祭神 積羽八重事代主命・下照姫命
奈良県御所市宮前町514

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〝本神の御祭神は、古く鴨都波八重事代主神と申し奉り、それは鴨の水辺で折目ごとに祀られる田の神という御神名で、弥生時代の中期初頭、この葛城川の岸辺に鎮め祀ったのに始まる本社は高鴨社に対して下鴨社ともいい、鴨族の発祥地として、この地方を治め、全国に分布する鴨社(加茂)の源である。
御祭神は宮中八神の一つとして尊宗され、神功皇后の朝鮮遠征や天武天皇の壬申の乱に御神託を授け給いし神徳高き神にて、延喜の制では名神大社に列した古社である。〟(鴨都波神社の説明板より)

ウィキぺディア田の神で、「東日本ではえびす、西日本では大黒を田の神と考える地方が多く」と書かれてあったが、なぜに漁業神である「えびす」が田の神なのか不思議に思ったが、事代主命=田の神ということから来ているんじゃなかろうか。





Commented by たぬき at 2019-11-29 20:33 x
事代主は本来は言治主で言葉で支配なさる王。
とはいにしえの出雲王国の元王家の伝承。

しかして、事代主=大物主=スクナヒコ(実は出雲王国の副王の称号。最後の「ナ」は余分)

生前のご身分とお名前を、
出雲王国第八代スクナヒコ(副王)。東の王家の富王家(向家、神魂家、出雲臣家。)のご当主。
賢き御名を、「八重波津身」さまとたてまつります。

このお名前を判定して呪詛したのが、津身波八重+事代主(役職)
と言うことがわかります。
八重波津身さまと摂津三島から嫁がれた生玉依媛さまとの御子がクシヒカタさま。
同媛御子が媛鞴踏五十鈴日女命。同妹が五十鈴依媛命。

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by yuugurekaka | 2019-09-23 21:39 | Trackback | Comments(1)