2018年 09月 30日
国譲り神話と出雲大社創建(3) 出雲神宝

- 『日本書紀』の「出雲神宝検校」問題につながる元々の伝承が、神原の地にあった。
- 『日本書紀』の記事と『出雲風土記』の記事から、後に「出雲神宝検校」伝承地とされた。
- 「出雲神宝検校」とは関係ないが、『日本書紀』の記事につながる別の伝承地であった。


六十年秋七月十四日、群臣に詔して「武日照命(たけひなてるのみこと)の、天から持ってこられた神宝を、出雲大神の宮に収めてあるのだがこれを見たい」といわれた。矢田部造(ヤタベノミヤツコ)の先祖の武諸隅(たけものろすみ)を遣わして奉らせた。このとき出雲臣の先祖の出雲振根(いずもふるね)が神宝を管理していた。しかし筑紫の国(つくしのくに)に行っていたので会えなかった。その弟の飯入根(いいいりね)が皇命を承り、弟の甘美韓日狹(うましからひさ)と子の鸕濡渟(うかづくぬ)とに持たせて奉った。出雲振根(ふるね)が筑紫から帰ってきて、神宝を朝廷に差し出したということを聞いて、弟の飯入根(いいいりね)を責めて、「数日待つべきであった。何を恐れてたやすく神宝を渡したのか」と。これから 何年か経ったが、なお恨みと怒りは去らず、弟を殺そうと思った。それで弟を欺いて、「この頃、止屋(やむや)の淵に水草が生い茂っている。一緒に行って見て欲しい」といった。弟は兄について行った。これより先、兄は密かに木刀を造っていた。形は本当の太刀に似ていた。それを自分で差していた。弟は本物の刀を差していた。淵のそばに行って兄が弟にいった。「淵の水がきれいだ。一緒に水浴しようか」 と。弟は兄の言葉に従い、それぞれ差していた刀を外して、淵の端におき水にはいった。兄は先にあがって、弟の本物の刀を取って自分に差した。後からの弟は驚いて兄の木刀を取った。互いに斬り合うことになったが、弟は木刀で抜くことができなかった。兄は弟の 飯入根を斬り殺した。時の人は歌に詠んで言った。ヤクモタツ、イズモタケルガ、ハケルタチ、ツヅラサハマキ、サミナシニ、アハレ。出雲健(いずもたける)が 侃(は)いていた太刀は、 葛を沢山巻いてあったが、中身がなくて気の毒であった。ここに甘美韓日狹(うましからひさ)・鸕濡渟(うかづくぬ)は朝廷に参って、詳しくその様子を報告した。そこで吉備津彦と武淳河別(たけぬなかはわけ)とを遣わして、出雲振根を殺させた。出雲臣等はこの事を恐れて、しばらく出雲大神を祭らないでいた。丹波の氷上の人で名は氷香戸辺が、皇太子活目尊に申し上げて、「私のところの小さなこどもが、ひとりで歌っています。水草の中に沈んでいる玉のような石。出雲の人の祈り祭る本物の見事な鏡。力強く活力を振るう立派な御神の鏡。水底の玉。宝の主。山河の水の洗う御魂。沈んで掛かっている立派な御神の鏡。水底の宝。宝の玉。これはこどもの言葉のようではありません。あるいは神が取り憑いて言うのかもしれません」といった。そこで皇太子は天皇に申し上げられた。天皇は勅して鏡を祭らせなさった。 — 後略 —日本書記(上) 宇治谷 孟 訳 講談社学術文庫より関連記事⇒ 出雲振根命と神宝事件

