国譲り神話と出雲大社創建(2) 見立て 

当然ながら、『古事記』や『日本書紀』がそのまま史実ではない。
様々な氏族伝承史実創作(作り話)が、混じり合った書物であろうかと思う。神話の部分だけが、創作や伝承だけではなく、一見そのようなことがあったと思える新しい時代(天武天皇時代)にも、創作というかなんらかの演出がほどこされているのではないかと感じる。
また、神話については、陰陽学的視点ばかりではなく、なんらかの史実の隠喩が含まれているのではないかという気がする。
「国譲り神話」も、史実では無く、だが、それを国譲り神話が表わす意味が何を示すか、あるいはいつの時代のことを投影しているか、学者によって、さまざまな見立てがある。

1) 井上光貞説

例えば、いまだに古代史界に底流が流れていると思われる井上光貞説である。
『大化改新』(1954年 要書房発行。補訂版1970年 弘文堂書房発行)の抜粋であるが、
“出雲には幾つかの文化地帯があるらしく、特に、上流に熊野神社をもつ意宇川流域一帯と、下流に杵築大社のある簸川流域一帯とは、古墳の分布状態(斎藤忠氏の古墳地名表では前の地帯に三十一、後の地帯に六、また島根半島に十一の古墳をあげている)、古代神社の分布密度(風土記、神明帳)からみて、特にきわだっているのであって”として、
出雲国に「オウ」の勢力と「キヅキ」の勢力が存在するとした上で、
“神代の出雲平定の物語と崇神朝の出雲神宝の物語とは杵築大社の方のキズキの地方を舞台にし、オウとはほとんど関係が無い。”と、国譲り神話の場所がキヅキの場所であり、平定する側の神々が、オウの勢力がであると示す。ただ、“クマノ(熊野)のモロタ船に関係のあるコトシロヌシのあるところあるところは気になるところであるが、”として、熊野に関係のある事代主命は、平定される側の神であるという矛盾も書かれている。

そして、“出雲平定とはキズキの平定のことであることがわかる。これに反しオウの勢力は、大和朝廷の側にたっており、またこの氏が国造となったようである。”となる。ゆえに、日本(和)国の国譲りでは無くて、ヤマト王権の力を借りて出雲国内部のキズキ勢力をオウ勢力が押さえたという話となる。
結論として“大和朝廷による出雲の征服とは出雲一帯を支配した支配したキズキの勢力との戦いで、そのさいオウの出雲氏は朝廷に加担し、その結果、国造に任じられたものであること、その征服は武力を伴なうと共に祭祀権の収奪でもあったこと、征服とは土着社会の秩序を破壊することではなくて、在来の身分関係を保存しつつその秩序のまま部制に再編するものであったことなどである。”

それで、この国譲りの話がいつの時代のことを投影したものかについては、弥生時代などという学者はほとんどいない。井上光貞氏は、“征定の事実を六世紀に近いころとみているのである。” 
まあ、新しい時代の話である。通説ではヤマト王権の成立が、概ね4世紀ごろの話なので、譲るべきヤマト王権が存在しないので、そういう論法になるのかもしれない。

井上氏のこの説は、古墳時代後期の出雲東部と西部の古墳の形状や環頭太刀の違いから、西部は物部氏、東部は蘇我氏と結びつき、物部氏の没落に伴って、東部の出雲氏が出雲国を統一するにいたったというような通説の、バックボーンとして生きているように思われる。


礫島(つぶてじま)
稲佐の浜から、日御碕に向かう途中に見える島。出雲風土記で、「黒島」に比定される島。
稲佐の浜で力比べをした高天原のタケミカズチとタケミナカタ神が、大きな岩をどこまで飛ばせるか力比べをして、大岩が重なり合ったできた島と伝えられている。
中央の大きな岩は、高さが15m近くあり、周りの丸石も、直系5mあるそうだ。
何か祭祀遺跡のようにも見える。

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2) 上山春平 

『古事記』『日本書紀』に対する藤原不比等加担説は、だれが言い出したのかを調べていくと、上山春平著『神々の体系』(中公新書)に行き着く。時の右大臣 藤原不比等に記紀編纂の主導権があり、藤原氏の政治の武器として、編纂されるのは当然のことと思われる。
──そういう趣旨から考えると、『出雲風土記』も、出雲国造廣島の政治的な意図が反映するのは当然であり、在地の素朴な神話が、中立的に書かれたと考える方が不自然である。

上山春平氏は、古事記の神統譜が、対照的な構成(高天原系と根の国系)(イザナギとイザナミ)(アマテラスとスサノオ)等となっており、さらに両系未分のアメノミナカヌシから出発し、高天原系と根の国系に分かれ、最終的にイワレヒコへの統合される(中つ国の主)(オオクニヌシ→ニニギ→)という論理となっていることを述べている。

その上で、藤原氏の歴史的役割を、“記紀の完成(『古事記』は七一二年、『書紀』は七二○年)にわずかに先行する大宝律令の完成(七○一年)と平城京の完成(七一○年)が、律令国家の本格的活動を展開するために必要な舞台であった。そして、その律令国家の設計にあたった官僚グループの中心にあったのが、藤原鎌足・不比等父子であり、鎌足は大化の改新によって律令国家建設の地ならしをし、大宝律令の実質的な編纂主任の役割をはたすと同時に、平城遷都の主たる推進力となった不比等は、律令国家の運営をはじめて軌道にのせたのである。”(上山春平著『神々の体系』中公新書)と、位置づけると同時に、

“天武・持統”に極まる皇権回復の試みも、天皇家をふくむ旧来の豪族たちの伝統的な富と力の基盤を掘りくずす効果をもつ律令制を確立させる方向に作用し、少なくとも結果的に見れば、鎌足・不比等以来、律令制の推進力となった新興の藤原氏(記紀の記述をそのまま受けいれる立場からみれば、藤原氏の前身たる中臣氏は古来からの名門豪族のようにみえるが、記紀の制作主体として藤原不比等を想定する私の見地からすれば、記紀制作の一つの重要なねらいが、大伴や物部等の名門とは比較にならぬ新興のみすぼらしい家柄にメーキャップをほどこす点にあったのではないか、という疑いが濃厚であり、後にその根拠を示したいと思う)の独占的な実権掌握への動きを促進したかっこうになっており”上山春平著『神々の体系』中公新書)と、結果的な側面を述べる。

記紀を通じて、神祇体系を再編、大宝律令の神祇官ー中臣氏、太政官ー藤原氏の二本立て構想を実現していくになる。


藤原京 694年(持統8年)~710年(和銅3年)の16年間、初めて都城制を敷いた都である。

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さて、問題の「国譲り神話」の見立てであるが、

“天上の神が地上の天皇に化肉する「現神」成立の秘密を解き明かす、持統および元明と不比等との協力体制にとって必要となった女帝から孫へという前例のない皇位継承の祖形を提示する意味を持った。”(上山春平著『続 神々の体系』中公新書)※太字は私。

“「国譲り」の場面で活躍する藤原氏の氏神タケミカヅチ(文献にタケミカヅチが藤原氏の氏神としてあらわれるのは、八世紀後半であるが…省略)は、大化クーデターで活躍した鎌足の投影として、「岩戸がくれ」や「天孫降臨」の場面で神事にゆかりのある神々と共に活躍する中臣氏の祖神アメノコヤネは、神職を本来の氏の職業とする中臣氏の投影としてとらえることができる。”上山春平著『続 神々の体系』中公新書)

“タカマノハラ系の神々にたいするネノクニ系の神々の「国ゆずり」の話に、大化の改新を転機とする神祇体系の根本的な変革の事実が投影されているのではないか、という点である。氏姓制の原理が律令制の原理に置き換えられてゆく過程で、氏姓制のもとで優位にあった神々は、律令制にふさわしい新たな神々に優位を奪われ、自らは劣位に甘んずるほかはなかったに違いない。”上山春平著『続 神々の体系』中公新書)

それで、この氏姓制のもとで優位にあった例として葛城の神々、高鴨のアジスキタカヒコと下鴨のコトシロヌシが述べられ、ネノクニ系のオオクニヌシの子神にされ、ネノクニ系に組み入れられてしまったと述べている。
納得できる面もかなりあるが、その論点からは、私は海部氏ー尾張氏は、微妙な位置にあるのではないかという思いが浮かんだ。葛城の神々と同様、大和の先住氏族であるからである。
籠神社で見た亀に乗った像があったが、神知津彦命は、天火明命の子孫となっているので、天神の系譜だが、やはり地祇となっている。
「大和国 神別 地祇 大和宿祢 出自神知津彦命也」
また、その逆で、
「大和国 神別 天神 飛鳥直 天事代主命之後也」
の系譜も姓氏録に見られる。記紀に国譲り神話と矛盾した記述もあるがゆえ、地祇の位置づけに反対したのかもしれない。

葛城の神々と出雲国との関係については、上山氏は神祇体系の再編で関連付けられたとしている。
“三輪山の神と同様な運命をたどった大和の名神たちのうちで、とくに注目に値するのは、葛城山麓を拠点とする古来の名族たちによって斎き祭られた高鴨のアヂスキタカヒコネと下鴨のコトシロヌシである。この二柱の神々は、オホクニヌシの子神として系譜づけられ、あたかもその本拠が「根の国系」のふるさとである出雲であったごとくに記紀の神代巻きに書かれている。”上山春平著『続 神々の体系』中公新書)※太字は私。

そういう話は、戦後の著名な古代史家に言われ続けているので、あらためて、びっくりしないが、
出雲大社の創建というのが、上山氏の言うような律令体制の構築・神祇体系の根本的な変革と大きく関係していたのではないかと思う。

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by yuugurekaka | 2018-09-18 23:58 | 出雲と大和 | Trackback | Comments(0)