日置氏の足跡 (9) 日御碕  ① 上の宮元宮

『出雲国風土記』(733年)の意宇郡の総記の国引神話に出てくる「米支しねき豆支ずき御崎みさき」が、現在の日御碕である。日御碕に建てられている、日御碕の灯台に登ったのは、18歳ごろか、あるいは30歳頃か…もう思い出せない。
もう7月なので、ウミネコはもうここにはいない。日御碕と云えば、ウミネコが有名だが、一年中いるわけではない。

出雲日御碕灯台  島根県出雲市大社町日御碕秋台原山1478
石造灯台としては日本一の高さの灯台である。

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日御碕に鎮座する有名な日御碕神社だが、出雲地方では珍しい朱色に染まった神社であり、素戔嗚尊を上社(神の宮)で祀り、天照大御神を下社(日沈宮)で祀るという、特異な構成の感じがする神社だ。
上社の元宮は、日御碕灯台の南方の『隠れが丘』にあり、出雲風土記では、出雲郡の在神祇官社『美佐伎社』であったとされ、天照大御神を祀る下宮(出雲風土記では、不在神祇官社『百枝槐社とされる。)とは別のところにあったという。

自分が思うに、『古事記』、『日本書紀』よりも前の時代は、『美佐伎社』『延喜式』では「御碕神社」)というからには、岬神として猿田彦命』を祀っていたのはなかろうか?


“(前略)此因に愚見御批判を仰ぎ度は 此神の名猿田と云ふ語は やがて亦ミサキと同じ義なりしならんかと思はるゝことに候 古史伝には猿田はサダにして 出雲の佐陀大神は同じ神なりと論ぜられ候 出雲の佐陀は島根半島の中央にて 現今の社地は海角には非ず候へ共 此半島は即ち狭田ノ国にて 西にも東にもミサキは有之候” (『柳田国男全集 第一巻 石神問答』 筑摩書房 1999年6月30日発行)

海角(かいかく)…陸地が海に突き出た細い部分、岬   

詳しくは → 加賀の潜戸(6) 佐太大神 岬神説 ~柳田国男『石神問答』~


島根半島東部に存在する『加賀の潜戸(かかのくけど)』であるが、出雲風土記時代は、加賀の潜戸で誕生したのは、サダの大神であったものが、中世には、天照大神に替えられてしまったのだ。詳しくは → 加賀の潜戸 (3) 猿田彦命ではなく天照大神だった。
猿田彦命自体に、太陽神的な性格があるので、太陽神=皇祖神 天照大御神に再編されると、天照大御神にすり替わってしまったのではないかと思う。


日御碕灯台の周りには、遊歩道が整備してあり、東側には、日本三景の松島にならって名付けられた「出雲松島」なる絶景ポイントがあった。

出雲松島

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東北方面には、桁掛(けたかけ)半島の洞窟が何個か見える。
その中の一つが、「のろの洞窟」という名の洞窟がある。どの穴かよくわからないが、「ふた割れ」「舟磯」「のろの洞窟」「つばくろ穴」と名前がついているらしいので、かなり右手にある穴なのかもしれない。
なぜに「のろ」?奄美諸島と沖縄諸島で云われるところの祭祀主の女性の「のろ」なんだろうか? → ウィキペディア ノロ
洞窟そのものが祭祀場であることが多いが、もしや、「加賀の潜戸」のような、「日光感精型」の祭祀場だったのかも?
しかし、一説によれば、元は「布の洞窟」であり、なまって「ぬの」が「のろ」になったとも云われているそうだ。

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さて、表題の上の宮(神の宮)の元宮であるが、日御碕灯台の前の駐車場の前の道路に面した丘にある。登り口がどこか探したら、海に向かう道の途中にあった。

隠れが丘 参道

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この参道を歩いていくと、隠れが丘の「神の宮」に着いた。
ここのお宮の由来であるが、

神代の昔、素盞鳴尊出雲の国造りの事始めをされてより、根の国に渡り熊成の峯に登り給い、柏の葉をとりて占い『吾が神魂(みたま)はこの柏葉の止る所に住まん』と仰せられてお投げになったところ、柏葉はひょうひょうと風に舞い遂に美佐伎なる隠ヶ丘に止った。よって御子神天葺根命はここを素戔嗚尊の神魂の鎮まります霊地として根の国の根源として中央より厚く遇せられ”とある。

隠れが丘 神の宮

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ここの鳥居の方向から察すれば、朝日の出を拝むというよりは、夕日を拝む方向である。
根の国とは、黄泉の国と同じような死後の世界とも云われるが、もしやそれは、太陽がこの世界からお隠れになるー日が沈んだ世界を云うのではないかなと思った。素盞鳴尊が高天原で狼藉を働き、天照大御神が岩戸にお隠れになり、この世が暗黒になるという神話があるが、狼藉を働かなくとも、太陽は毎日西の方角に消え、この世は暗黒に包まれる。また東の方向から、太陽が誕生する。

日御碕から見える沈む太陽

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大古ーいつの時代の昔かわからないが―には、翌日にはまた東から、太陽に現われてほしいという沈む夕日にお願いをするという素朴な信仰であったのではないかしら。


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by yuugurekaka | 2018-07-28 11:00 | 日置臣 | Trackback | Comments(0)