日置氏の足跡 (8) 神門郡日置郷

今市大念寺古墳  島根県出雲市今市町鷹の沢1696  
島根県最大(全長約92m)の前方後円墳(6世紀後半)。石棺は日本最大級の大きさである。


■欽明天皇の頃


『出雲風土記』(733年)には、神門郡に「日置」の名前が付いた「日置郷」の由来が書かれている。


日置( へき)郷。郡家の正東四里、志紀(しき)(しま)宮御宇(みやにあめのしたしらしめしし)天皇(すめらみこと)(きん)(めい)天皇)の御世に、日置(へきの)伴部(ともべ)たちが遣わされて宿停(とどま)り政務を執った所である。だから日置という。”

(島根県古代文化センター編 『解説 出雲風土記』 今井出版)(太字は私)


日置の伴部が、欽明天皇(509年~571年)の時代に派遣されたという。欽明天皇は、『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』によれば、次の通り。


“第 29代に数えられる天皇。名はアメクニオシハラキヒロニワノミコト。継体天皇の皇子。母は皇后手白香 (たしらか) 皇女。6世紀なかば在位。この欽明朝に百済の聖明王が仏像経論を献じた。公式にはこれが仏教の最初の渡来とされているが,崇仏に関し蘇我,物部両氏の対立があった。対外的には,朝鮮との関係が新羅の進出に伴ってふるわず,日本人出先官憲の不正,失政も手伝って,危機にあった任那は新羅の傘下に入り,任那日本府はついに滅ぼされた。天皇はこのことを遺憾とし,その回復を遺詔して薨去したといわれる。宣化天皇の皇女の石姫を皇后とし,大和磯城島金刺宮に都した。陵墓は奈良県高市郡明日香村の檜隈坂合陵。”(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)


欽明天皇の時代の特徴は、まとめると、①仏教の最初の渡来。そして、蘇我氏の勃興。②仏教を巡って蘇我氏(祟仏)VS物部氏 (廃仏派) ③任那の滅亡である。『出雲風土記』における日置氏の役割、お寺を作るー仏教の普及ということも職務としてあったのではないか。東出雲の方墳、前方後方墳と西出雲の円墳、前方後円墳の古墳ということや倭風大刀の分布から、西出雲は、物部氏の影響と云われるが、西出雲での日置氏はお寺を作っているし、蘇我氏との関係が強いのでは?とも、思ってしまう。


■上塩冶築山古墳

神門郡日置郷にあ上塩冶築山古墳(かみえんやつきやまこふん)である。古墳時代後期後半の古墳である。墳丘や石室・石棺の規模や副葬品の豪華さから出雲西部では最高位のものとされ、今市大念寺古墳の後継の大首長の墓と云われている。詳しくは→ ウィキぺディア 上塩冶築山古墳

上塩冶築山古墳  島根県出雲市上塩冶町262


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現在の形は、中世から崩されており、方墳にしか見えないが、円形の周溝跡が発見されたことから、現在では円墳であると推定されている。しかし、北方に前方部がある可能性も完全に否定されていないので、前方後円墳の可能性もある。
山陰地方では最も長い全長14.6 mの切石積み横穴式石室が有り、玄室内には大小2つの刳抜式(くりぬきしき)家形石棺が置かれている。

この横穴式石室は、6世紀前半から西日本で作られるようになったが、なぜだか、神門郡の大きな古墳は、ほとんど開口部が下記の図のように、南西方面を向いているものが多い。(今市大念寺古墳・宝塚古墳・妙蓮寺山古墳・放ㇾ山古墳など)

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ただ全部が正確に南西45度というわけではなく、上塩冶築山古墳は西南西、宝塚古墳は、南南西というように、古墳ごとに厳密ではないようだ。
なぜに、南西なのか、考えてみたが、もしや冬至の日没の角度(南方に約30度)が関係しているのかな?などと思った。(逆に言えば、横穴の奥が夏至の日の出に向かっているとも言える。)
まあ、よくわからない。
冬至 夏至 春分秋分.svg
By すじにくシチュー - 投稿者自身による作品, CC0, Link

しかし、上塩冶地蔵山古墳(7世紀前半においては、9.2mの横穴式石室が、南西ではなく、南東を向いている。もしかしたら葬られた豪族が違うのかな。


上塩冶地蔵山古墳  島根県出雲市上塩治町472
現在、墳丘が、掘削されて15mの方墳のように見える。

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■参考文献■
出雲市教育委員会 2004年3月 発行 『上塩冶築山古墳』
出雲市文化財課  2017年3月発行  『こふマップ』


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by yuugurekaka | 2018-07-19 07:30 | 日置臣 | Trackback | Comments(0)