日置氏の足跡 (6) 西方浄土

Descent of Amitabha over the Mountain

                 絹本著色山越阿弥陀図 (京都・禅林寺(永観堂)所蔵)


日置部が、どういう職務を与えられていた職業部なのか、様々な説がありよくわからないが、日置氏一族は、沈む太陽への信仰を持っており、出雲風土記に書かれるところを見ると、お寺を作っているということだけはわかる。
いつの時代か、また、日置氏がどうなのかをさておいて、考えてみる。


まずは、仏教と日が沈む信仰とは、なんぞや?とインターネットで、検索すると、
「西方浄土」やら、「日想観」という言葉が出てくる。

「日の入り給ふ所は、西方浄土にてあんなり。いつかわれらもかしこに生れて、物を思はですぐさむずらん」(平家物語)
この世の西方、太陽が沈む先の、十万億の仏土を隔てたところに存在する阿弥陀如来が構えられた極楽浄土の世界があるとする。
そして、この信仰は、浄土思想固有のものだけでなく、日本人の「お彼岸」というか、春分の日・秋分の日ということに関係してくるらしい。

〝浄土思想でいう「極楽浄土」(阿弥陀如来が治める浄土の一種、西方浄土)は西方にあり、春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。現在ではこのように仏教行事として説明される場合が多い。それがやがて、祖先供養の行事へと趣旨が変わって定着した。
しかし、彼岸の行事は日本独自のものでインドや中国の仏教にはないことから、民俗学では、元は日本古来の土俗的な祖霊信仰が起源だろうと推定されている。五来重は彼岸という言葉は「日願(ひがん)」から来ており、仏教語の「彼岸」は後から結びついたものであるという。

さらに検索すると、折口信夫の『山越しの阿弥陀像の画因』(→青空文庫 折口信夫 『山越しの阿弥陀像の画因 』)という随筆が、出てきた。
ちなみに、この随筆の発端となった『山越しの阿弥陀像』は、京都・禅林寺のものではなく、東京・大倉集古館にある冷泉為恭の筆によるものである。

原始的な太陽崇拝のなごりと云われる、日の伴(ひのとも)のことが述べられている。

〝昔と言うばかりで、何時と時をさすことは出来ぬが、何か、春と秋との真中頃に、日祀ひまつりをする風習が行われていて、日の出から日の入りまで、日を迎え、日を送り、又日かげと共に歩み、日かげと共に憩う信仰があったことだけは、確かでもあり又事実でもあった。そうして其なごりが、今も消えきらずにいる。日迎え日送りと言うのは、多く彼岸の中日、朝は東へ、夕方は西へ向いて行く。今も播州に行われている風が、その一つである。而も其間に朝昼夕と三度まで、米を供えて日を拝むとある。(柳田先生、歳時習俗語彙ごい)又おなじ語彙に、丹波中郡で社日参りというのは、此日早天に東方に当る宮や、寺又は、地蔵尊などに参って、日の出を迎え、其から順に南を廻って西の方へ行き、日の入りを送って後、かえって来る。これをともと謂っている。宮津辺では、日天様にってんさま御伴おともと称して、以前は同様の行事があったが、其は、彼岸の中日にすることになっていた。紀伊の那智郡では唯おともと謂う……。こうある。〟(折口信夫 『山越しの阿弥陀像の画因 』より)

また、この度のテーマである日置部(へきべ)や日奉部(ひまつりべ)のことが述べられている。なるほど、名称が違うので、日置部=日奉部ではなくて、「置く」は、「算盤の上で、ある数にあたる珠たまを定置することなのか。また、太陽の運行で、歳時・風雨・豊凶を卜知するということが、具体的には置くという職務で、ばくぜんと暦というよりは、稲作の時期などが関係していないかなどと思ったりもする。

〝宮廷におかせられては、御代みよ御代の尊い御方に、近侍した舎人とねりたちが、その御宇ぎょう御宇の聖蹟を伝え、その御代御代の御威力を現実に示す信仰を、諸方に伝播でんぱした。此が、日奉部ひまつりべ(又、日祀部ひまつりべ)なる聖職の団体で、その舎人出身なるが故に、詳しくは日奉大舎人部とも言うた様である。此部曲かきべの事については、既に前年、柳田先生が注意していられる。之と日置部・置部など書いたひおきべ(又、ひきへき)と同じか、違う所があるか、明らかでないが、名称近くて違うから見れば、全く同じものとも言われぬ。日置は、日祀よりは、原義幾分か明らかである。おくは後代算盤そろばんの上で、ある数にあたるたまを定置することになっているが、大体同じ様な意義に、古くから用いている。折口信夫 『山越しの阿弥陀像の画因 』より)

源為憲の「口遊くゆう」に、「術にはく、婦人の年数を置き、十二神を加へて実と為し…」だの、「九々八十一を置き、十二神を加へて九十三を得……」などとある。此は算盤を以てする卜法ぼくほうである。置くが日を計ることに関聯かんれんしていることは、ほぼ疑いはないようである。ただおくなる算法が、日置の場合、如何なる方法を以てするか、一切明らかでないが、其は唯実際方法の問題で、語原においては、太陽並びに、天体の運行によって、歳時・風雨・豊凶を卜知することを示しているのは明らかである。折口信夫 『山越しの阿弥陀像の画因 』より)


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by yuugurekaka | 2018-06-10 22:05 | 日置臣 | Trackback | Comments(0)