日置氏の足跡 (4)  出雲郡河内郷 ①新造院

■出雲郡 河内郷
『出雲風土記』(733年)の出雲郡
役所のNO.1 大領は、日置部臣である。出雲郡だから、出雲臣ではないのだ。

斐伊川と赤川が合流する所 島根県出雲市斐川町阿宮 

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河内郷。郡家の正南一十三里一百歩の所にある。斐伊大河がこの郷の中を北へ流れる。だから河内という。ここに(つつみ)がある。長さ一百七十丈五尺。〔うち七十一文の広さは七丈、九十五丈の広さは四丈五尺ある。〕〟(島根県古代文化センター編 『解説 出雲風土記』 今井出版)

「河内郷」は、この郷の中を斐伊川が流れているので、河内と云うのだそうだ。斐伊川の両側の流域が河内郷である。

阿宮とは反対側の上津の方から見た斐伊川 

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来てみてわかったが、出雲のカンナビ山 仏経山の南の麓に、河内郷が存在する。下記の見える山が、仏経山で下に斐伊川が流れている。上方が、斐伊川町下阿宮で、下方が上島町上津である。

グーグルアース 仏経山の南方付近

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河内郷
新造院

ここでもまた日置氏は、新造院という寺を建てている。中心部の「出雲郷」ではなくて「河内郷」にある。日置氏自体は、もしや河内郷を拠点としていたのだろうか。

〝新造院一所。河内郷の中にある。厳堂(ごんどう)を建立している。郡家の正南一十三里一百歩の所にある。もとの大領の日置部臣布禰(へきべのおみふね)が造った寺である。〔布禰は今の大領佐底麻呂(さてまろ)の祖父である。〕(島根県古代文化センター編 『解説 出雲風土記』 今井出版)(太字は私)

こんどは臣姓である。大領の祖父ということだから、700年ごろには、もうお寺を建てていたのだろうか。河内新造院の場所は、確定されていないが、比定地の一つが、現在の上乗寺の近辺である。


上乗寺の山門  島根県出雲市上島町49

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「上乗寺」の縁起文には、「出雲風土記二新造院トアルハ当寺の前身二シテ、ソハ当村大谷部落奥ナル高瀬山麓二現在寺床ト称する地アリテ、ソコニ作ラレヰタルモノノ如し、出雲風土記ノ編纂ガ天平五年二月故ソレヨリ十余年後ナル勝寶年中華厳宗ノ僧二ヨリ現地移転セラレルト伝フ」と書かれている。
上乗寺の近くの「西円寺」も縁起文によれば、かつては新造院と号したと伝えている。(『上津郷土史』)

また、斐伊川をはさんで反対側の下阿宮では、1987年、標高200メートルの山頂付近に塔・金堂を持つ「天寺平廃寺」が、発見された。

参考文献  関 和彦著 『出雲風土記』註論 明石書店発行

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by yuugurekaka | 2018-05-20 09:00 | 日置臣 | Trackback | Comments(0)