日置氏の足跡 (1) 山国郷 新造院

■山国郷 新造院


『出雲風土記』(733年)を見る限りでは、日置氏(ひおきうじ、へきうじ)はお寺を出雲国に造りに来たのではないか?仏教の普及ということが職務にあったのではないかと思ってしまう。

【三】 意宇郡の寺院

新造院一所。山国郷の中にある。郡家の東南三十一里一百二十歩の所にある。三重塔が建立されている。山国郷の人、日置部根緒が造営した。(島根県古代文化センター編 『解説 出雲風土記』 今井出版)


新造院比定地  安来市上吉田町の釈迦堂跡 


山国郷新造院の比定地である釈迦堂跡であるが、地図を見てもなかなか場所がわからなかった。
車を降りて周辺の道路をあっち行ったりこっち行ったりした。
まずは山国郷の位置を確認する。安来市の南方面、奈良時代は舎人郷の南に隣接している。

教昊寺(きょうこうじ)近くの島根県教育委員会の表示板   

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ちなみに山国郷の地名起源だが、布都努志命(ふつぬし)が登場するところを見ると、奈良時代は物部氏が居たのだろうか。

山国郷(やまくにごう)。郡家の東南三十二里二百三十歩の所にある。布都努志命が国をめぐりなさったとき、ここにおいでになっておっしゃられたことには、「この土地は絶えず【原文…止まなくに。】見ていたい。」とおっしゃった。だから山国という。この郷には正倉がある。島根県古代文化センター編 『解説 出雲風土記』 今井出版)


別所の松崎神社の近くをうろうろしていた所、表示板を発見。ようやくたどり着いた。
小道をあるいてすぐの平地に、新造院跡地があった。

島根県教育委員会の表示板   島根県安来市上吉田町別所

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新造院比定地  安来市上吉田町の釈迦堂跡

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新造院跡地がある小山の反対側(北側)であるが、こちらからは登り路は無く、入れなかった。

釈迦堂跡がある山


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■日置部とは…


全国に分布する「日置部」であるが、下記は『世界大百科事典 第2版』の引用である。 


〈ひきべ〉〈へきべ〉などとも読む。日置を戸置(へき)の意に解し,民戸をつかさどるものとする説(伴信友,栗田寛),日招きや宮廷の日読(かよみ)をつかさどるものとする説(柳田国男,折口信夫),さらには卜占暦法を主とし太陽祭祀に従事する者という見解も出された。一方,神事や祭祀にかかわり合いながら,それらの手工業生産にも当たる性格も指摘されてきた。もともと日置氏は宮内省主殿寮殿部(とのもり)の負名氏(なおいのうじ)の一つで,本拠は大和国葛上郡日置郷にあり,地縁的にも職掌的にも同じ負名氏の鴨氏と類縁の関係にあったと考えられている。(『世界大百科事典 第2版』  株式会社平凡社)


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by yuugurekaka | 2018-05-01 15:01 | 日置臣 | Trackback | Comments(0)