熊野大神の謎 (3) ~櫛御気野命~

■ 祭神
熊野大社の説明板によると、熊野大社の祭神は熊野大神櫛御気野命であり、素戔烏尊の別名とされている。
しかし、祭神は歴史に伴って代わるものである。
あの出雲大社の祭神でさえ、中世には大国主命から素戔嗚命に変わってしまった。だから、熊野大社の祭神も変わっていたとしても不思議はない。
富家伝承(斎木雲州著『出雲と蘇我王国』大元出版)によれば、熊野大社の祭神はサイノカミ三神(クナド大神、佐毘売神、猿田彦大神)と事代主命であったそうである。

出雲国造出雲臣廣島 編纂の『出雲風土記』(733年)の意宇郡の出雲神戸(いずもかんべ)の説明に
伊弉奈枳(いざなぎ)の麻奈子(まなこ)、熊野加武呂乃命(くまのかむろ)」とある。
イザナギの命の愛しい子どもとあり、熊野の「神聖な祖神」と解釈されている。男神なのか女神なのか具体的にはわからない。

さらに、『出雲国造神賀詞』(716年~833年 文献に載っているのは)には(いつの段階の文書かわからないが)
「伊射奈伎乃真名子(いざなぎのひまなこ)加夫呂(かむろぎ)熊野大神櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」(太字は私)とある。「まなこ」の上に「日」が、付いている。イザナギの命の真奈子で日の神は、天照大神である。だったら、女神かと思いきや、」が付いているので男神である。女神の場合、加夫呂美(かむろみ)となるはずだ。そして、具体的な名として、「櫛御気野命とある。霊妙な
食物の神あるいは穀物霊ということだ。出雲国造が奉祭する神なので、初代 天穂日命を想定したものだとわかりやすいが、天穂日命は、天照大御神の子なので、イザナギの子では無く孫に当たる。

クナト大神も、記紀では、イザナギの命が、黄泉の国から逃げかえるときに発生した神であり、『古事記』では、衝立船戸神で、『日本書紀』一書においては、岐神(元の名は来名戸祖神)なっており、イザナギのマナ子とも言えなくもないが、記紀成立以降、朝廷に赴いて出雲国造が、述べるとなると、三貴神を指すと思われる。思われるが、たいへん歯切れが悪い。須佐之男命と断定されるにいたったのは、物部氏の伝承と云われる『先代旧事本紀』~大同年間(806年~810年)以後、延喜書紀講筵(904年~906年)以前に成立したとみられている~が、影響しているのだろうか。

「御鼻をお洗いに成った神のお名前は、建速素戔烏(たけはやすさのお)尊(みこと)と申し上げる。出雲の国の熊野・杵築の神社(島根県松江市八雲町熊野の熊野大社・出雲市大社町杵築の出雲大社、旧簸川郡)におられる。」(安本美典 監修 志村裕子 訳 『先代旧事本紀』 批評社)

ただ、この文章からは、おられるというだけで、熊野大神は素戔嗚尊であるとは書かれていないし、もし主祭神のことを指すのであれば杵築大社がすでに大国主命から素戔嗚尊に変わっていたことになる。
また大きな古い神社は、社家が一つとは限らない。社家ごとに、複数の社が有って、別々の神を祀っていたのであろうか。

■ 『初天地本紀』
平安中期の『長寛勘文』に引用される『初天地本紀』──紀国の熊野信仰について述べられた文章であるが、出雲国の熊野大社についても書かれている→ウィキペディア 長寛勘文  ──によると、

「伊謝那支命(いざなぎのみこと)が恵乃女命(えのめのみこと)を娶(めと)り、大夜乃売命(おおやのめのみこと)、足夜乃女命(たるやのめのみこと)、若夜女命(わかやめのみこと)の三女神を生んだ(このうち大夜乃売命は熊野大神の妃となる。)ところが、陸上に立ち給うとき、左肩を押し撫でたときに加巳川比古命を、また右肩を押し撫でたとき熊野大御神加夫里支久之弥居怒命(かぶりしみけぬのみこと)を、また髻中(もとどり)から須佐乃乎命(すさのおのみこと)を、それぞれ化成した。次に、「此時金国之八熊野之波地降来伊豆(毛)国、到熊野村、柱太知(ふとしり)奉而加夫里支熊野大御神地祇神皇又御児后大夜女命、山狭村宮柱太知奉而、静坐大御神云是也」(松前 健 著作集 第8巻 ㈱おうふう より)(太字は私)

この『初天地本紀』によれば、熊野大神は、素戔嗚命の兄弟であり、素戔嗚命とは別神となっている。そして、同じイザナギの命の娘の大夜乃売命が、熊野大神の妃神であり山佐村に鎮座しているということだ。
記紀とは全く別の筋立てであるが、この熊野山の東側には、「延喜式」の「山狹神社」「同社坐久志美氣濃神社」に比定される、山狭神社二社(上山神社・下山神社)が存在する。熊野山(天狗山)の反対側で、同じ神ークシミケㇴの命を祭っていたわけである。

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山狭神社(上山狭神社)  島根県安来市広瀬町上山佐598   


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山狭神社(上山狭神社) 拝殿 


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この熊野大神の御妃の「大夜乃売命」であるが、松前 健氏の解説だが、
「内遠は、イザナギの禊ぎの際に生まれた大綾津日神の女性形だと考えたが、かなり無理である。重胤は、大屋津姫命の母神でスサノヲの妃神の一人だと考えたが、そんなにまわりくどく考える必要もない。実は端的に大屋津姫の異名にほかならない。オホヤノメもオホヤツヒメも、つまるところは所有格の助詞「ノ」と「ツ」の違いだけで、同じ神に過ぎないのである。」(松前 健 著作集 第8巻 ㈱おうふう)

ちなみに大屋津姫命は、記紀において、五十猛命の妹神となっている。

山狭神社(下山狭神社) 島根県安来市広瀬町下山佐1176


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山狭神社(下山狭神社)境内社  久志美気濃神社  扁額  

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熊野山から流れ出る水が、西には意宇川に、東は山佐川に流れて飯梨川と一つになり、野城の大神の鎮座する飯梨平野に流れていく。

山佐川 

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■ 参考文献 ■ 萩原龍夫・石塚尊俊・中野幡能 著 『仏教文化選書 神々の聖地』 株式会社佼成出版社  

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by yuugurekaka | 2018-04-18 19:28 | 熊野大社 | Trackback | Comments(0)