賀茂神戸の謎(7)出雲国 ①大塚村 四社明神 

長々と伯耆国のことを書いてきたが、それも現・大塚町が、奈良時代の官道を通って伯耆国の手間山に近いという理由から、神戸の設定に関係していないだろうかと思うからである。
それと、賀茂神戸=賀茂氏、大神氏と思い込んでしまっていたのであるが、賀茂氏というよりは、古代王族・古代官僚である紀氏が大きく関係したのではないかと思い始めた理由による。

■ 大塚村四社明神

江戸時代の『雲陽誌』(1717年)の安来の所で、

“加茂大明神 別雷命を勧請す、天正年中堀尾山城守忠晴造営の棟札あり、【風土記】【和名鈔】に加茂神戸郷と書すは此處なるへし、古老傳に大塚村四社明神の邊を加茂神戸といふ、”

江戸時代にはすでに賀茂神戸の場所が分からなっており、京都の賀茂神社の荘園との混乱が始まっていると思われる。現在では、「古老伝に大塚村四社明神のあたり」の方が通説になっている。
さて、どこが四社明神のあたりなのか?

現在は、四社明神は、大塚町の八幡宮に合祀されているが、下記の「国福」という大字に大明神という地名があり、そこに四社明神があったのだろうと云われている。

国土地理院地図 赤下線と、大塚八幡宮の字を加工している。
中心の神社の記号の位置が、大塚八幡宮。右手の神社は、秋葉神社。

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実際に大塚の八幡宮に行ってみた。昨年の8月の終わり頃だ。
入り口がなかなかわかりにくかったが、南側の参道から登って行った。

南側の参道と鳥居
島根県安来市大塚町950


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上がってみると境内地が広く、立派な社殿であってびっくりした。祭神は、誉田別尊・気長足姫命・武内宿禰命。
『神国島根』(島根県神社庁発行 昭和56年4月29日発行)によれば、

“創立由緒不詳。社伝によれば鎌倉時代に創立せられたと言い、現存棟札の内、寛文二年のものが最古である。其の時代犬塚孫四郎なる者、大願主と称し専権事を執り当時社殿西面して最大社たりしも其の家勢衰微したるより、寛文四年造營の時遂に南面に改め社殿を縮小したと伝う。” 
犬塚とあるが、「大塚孫四郎」の誤植ではなかろうか。

大塚八幡宮 本殿

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■ 木山稲荷神社

さて、右手の稲荷神社であるが、二社合殿のようだ。

境内社

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普通のお稲荷さんかと思いきや、木山稲荷神社と書いてある。
なぜに?ここでも「木山」。
やはり紀氏の関係だろうかと思ったが、後で調べてわかったことだが、明治時代の初期に建立されたもので、紀氏とは直接は関係が無かった。

木山稲荷神社

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もう一つは「木野山神社」と書いてある。伯耆の上野三島両神社の境内社と少し似たような構成である。ここの二つの境内社は、『神国島根』には載っていない。昭和52年以降に合祀されたものであろうか?

木野山神社

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肝心の四社明神はどこであろうか?
左手の境内社があったが、八社合殿のようである。

左手の境内社 五社合殿。
金屋子社、若宮稲荷社・三穂神社、金刀比羅宮、新宮・近廣社、武内神社・新八幡宮と書いてあった。
厳密にいうと八社合殿のようである。

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そのうちの四社はどの神社であろうか?『神国島根』によると、


“又境内社の内関田社、新宮社、近廣社、客社の四社は往古、四社明神と称し各所に鎮座せしを延實年間当境内地へ奉遷したという。”
ことだ。
祭神としては、①関田社(武内宿禰命)②新宮社(橡日命)③近廣社(羽田矢代命)⓸客社(伊邪那美神)である。この橡日命は、熊野櫲樟日命(クマノクスヒ)ー天照大御神の御子であろうか。

■ 羽田矢代命

羽田矢代命は、武内宿禰の一子であろうと思う。 → ウィキペディア 羽田矢代 
『古事記』では波多臣・林臣・波美臣・星川臣・淡海臣・長谷部君ら諸氏族の祖とされている。ここで、疑問が生まれてきた。秦氏と波多氏は、漢字が無い時代、どのように識別していたのだろうか。昔は、50音ではなかったようであるが、ウィキペディアを見る限り、識別ができない。(→ウィキペディア 上代特殊仮名遣
安来地方に、秦という苗字の方が多い。知人で「はだ」と読む人がおられるが、もしや、あれはもともと「羽田」で、秦に習合されてしまったのではないか…、また、出雲国東端に「屋代郷」というのがあり、『出雲風土記』では「社印支(やしろのいなぎ)らの遠い祖先神の天津子命(あまつこ)…」ということから由来しているということだったが、それは羽田矢代の「やしろ」から来ているんではないのか…など取り留めも無くいろいろなことが浮かんだ。

ともかく、武内宿禰にしろ、羽田矢代命にしろ、紀氏とゆかりが強いというように感じがした。
しかし、この賀茂神戸があったのではないかとされている場所は、紀氏を社家とする石清水八幡宮の荘園ー安田荘があったところである。その関係で、紀氏の影響が強いとも言える。


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by yuugurekaka | 2018-01-30 21:22 | 賀茂 | Trackback