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賀茂神戸の謎(4) 伯耆国 ② 手間山の麓 

■ 手間天神

地図で、手間山(てまやま)と母塚山、出雲国賀茂神戸の比定地ー大塚町を表わしたものである。平安時代、手間山の北部、北西部を「天万郷」、南西部を「鴨部郷」、東部を「星川郷」と呼ばれていた。大塚町から手間山の北部まで出雲古道が、走っていた。安田関を通って、母塚山(はつかさん)を抜けて、手間山の北部の麓につながる奈良時代の道路であるが、地図上でみると、大塚町と鴨部郷は近いということがわかる。

グーグルアースの地図 
地図に私が、黄色で加工したものである。星印は、大塚町の八幡さま、宮前の賀茂神社、倭の賀茂神社、掛合の賀茂神社の場所を示している。

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この手間山であるが、地図や本に要害山とか、いろいろ書いてあって、混乱したが、大国主命の受難伝説で有名な赤猪岩神社がある北西部部の膳棚山、北東部の峰松山と最も広く高い要害山を合わせて、手間山というのではないかと思う。

天万山とも呼ばれたという。手間山山頂には、赤猪岩神社の元宮がある。


古事記にも、大国主命の受難伝説で「手間」(てま)の地名が出てくる。どういう由来の地名なのか。

〝伯耆誌によると、門脇重綾の説を紹介し、スクナヒコナノミコトはカンムスビノカミの手のまたからこぼれ落ちた小さな神様で、手間天神ともいわれるところから、その神様にちなんだ地名であろうという。〟(『郷土史蹟めぐりー西伯耆編ー 鳥取県立米子図書館編』 米子 今井書店発行)


つまり、手間天神=スクナヒコナノミコト(出雲風土記では、須久奈比古命)である。

JRに載っていると、車窓から見えてくる大橋川の小島に見えるあの神社の祭神だ。

カンムスビノカミの手の間からとなっているのは、古事記で、日本書紀では、タカムスビノカミとなっている。


『日本書紀』の少彦名命の記述であるが、

〝「私は日本国の三諸山に住みたいと思う」と。そこで宮をその所に造って、行き住まわせた。これが大三輪の神である。この神のみ子は賀茂の君たち・大三輪の君たち、また姫蹈鞴五十鈴姫命である。別の説では、事代主神が、大きな鰐になって、三島の溝姫、あるいは玉櫛姫という所に通われた。そしてみ子姫蹈鞴五十鈴姫命を生まれた。これが神日本磐余彦火火出見天皇(神武天皇)の后である。〟

(宇治谷 孟 全現代語訳 『日本書紀』 講談社文庫)


「別の説では」となっているが、スクナヒコナノミコト=事代主命というようにも読める。カンムスビノカミあるいはタカムスビという天神の御子が、出雲の事代主命というのに違和感をもつ人がいるが、出雲の神は、ひたすら国津神で、天津神ではないという図式がそもそも

古代史を見る目を狭くしているのではないか。婚姻関係を通じて、天神になったり、国津神になったりする。


〝事代主命の系等である。同命は父系によって地祇氏となっているが、母系によって高魂裔の天神氏となっていることもある。大和神別の飛鳥直は、「天事代主命之後也」とある。飛鳥直は飛鳥社の神主、その飛鳥社は事代主命を祀る神社である。〟(高群逸枝著『母系制の研究 (下)』 講談社文庫)


京都の賀茂氏が天神で、奈良の賀茂氏が地祇であるのは、こういう事情が影響しているのだろうか。

手間天神から由来して、手間山というのだから、太古は、奈良の三輪山のように、スクナヒコナノミコトを祭るカンナビ山だったのではなかろうか。


■ 麓の賀茂神社


手間山の麓には、奈良に由来しているんではなかろうかと思うような地名に出会う。たとえば、「倭」である。


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明治10年~22年の倭村という村名から現在の集落名として残っているが、様々な地名辞典で調べたが、由来が書いてなかった。

手間山の反対側の、「高姫」である。事代主神の妹神の名前である。

その由来を調べると、鎮守の高野女神社からきているという。今は宮前の賀茂神社に合祀されている。その高野女神社をいろいろ探したが、見つからなかった。


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とうぜん祭神が、高姫(高照姫)命かと思いきや、伊勢神宮の遷宮地を探した倭姫命だった。

記紀に出て来ない神様でないので、祭神が変わったのだろうか。


さて、手間山の麓にある賀茂神社三社であるが、奈良の鴨神、高鴨に関係した神社がないか調べてみた。『鳥取県神社誌』(鳥取県神職会 編 昭和10年)によれば、(太字、下線は私)


倭の賀茂神社 「祭神 別雷命、神武天皇、天照大御神、豊岩窻神、大己貴命、少彦名命、倉稲魂命、素盞鳴命 由緒 創立年月不詳かならざるも、京都賀茂別雷神社より御分霊」とある。


掛合の賀茂神社 「祭神 別雷神 由緒 創立年月不詳、往古より該村内産土神にして賀茂大明神と稱せしを」


うーん、奈良の鴨神ではなく、京都の上賀茂社の勧請のように書かれてある。


宮前の賀茂神社

「祭神 阿遅鉏高彦根神、大己貴命、少彦名命、別雷神、倭姫命、玉依姫命、天照荒魂命、素盞鳴尊、倉稲魂命、誉田別命、大津見命、栲幡千々姫命、天児屋根命  創立年代不詳、三代実録に貞観九年四月庚午八日伯耆国正六位上賀茂神従五位下とあるは則ち当社にして、棟札にも此年号のもありたり、当社に阿遅鉏高彦根神を奉祀せるは、古事記の故此大国主神、娶坐胸形奥津宮神、多紀理毘売命、生子阿遅鉏高彦根神とありて、西伯郡成実村大字宗像と近きを以てなり、賀茂註進雑記の賀茂別雷社御領荘園の内に伯耆国星河庄、稲積庄とあり当社社帳記する處によれば星河庄十一ヶ村の総社とありて…、」


賀茂神社 鳥取県西伯郡南部町宮前


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この宮前の賀茂神社だが、阿遅鉏高彦根神を祭っており、成実村の宗像神社が近いから…と理由が書かれているが、宗像三女神が祭神だったら、わかるけれども、しっくりこない。元は奈良の鴨神の社だったけれど、京都の上賀茂社(賀茂別雷社)の荘園になるにしたがって、上賀茂社由来の賀茂神社となったのではないか。しかし、これは単なる想像でしかない。





Commented by valmalete2 at 2018-01-02 11:13
あけましておめでとうございます。
高野女神社は参拝して氏子総代の方とお話したことがあります。
普段は、結界があって通り抜けしないと参れない場所だったと思います。
神奈川在住ですが、お時間合えばご案内できるとおもいます。
Commented by yuugurekaka at 2018-01-03 23:37
> valmalete2さん
あけまして おめでとうございます。
たいへん小まめに回って、お話を聞いておられますね。
>神奈川在住ですが、お時間合えばご案内できるとおもいます。
お気遣いありがとうございます。
高野女神社がメインの目的ではなかったので、地元の人に聞くことをしなかったがため、見つからなかったのです。地図やカーナビも無く当てずっぽうで行くものですから(いつもはすぐ見つかるのですが)今度行くときは、すぐわかるはずです。
Commented by 修理固成 at 2020-10-24 12:06 x

やはり古事記神話の謎は天皇礼賛だけではないいびつな構造をしているある種の正直さが心惹かれるのでしょう。
古事記神話の構造をザックリいうと高天原の2度の地上への介入がその構造の中心となっている。1度目はイザナギとイザナミがオノゴロ島を作り、国生み神生みを行い、次にイザナミのあとを継ぎスサノオが
根之堅洲国で帝王となる。第二の高天原の介入はアマテラスによる九州への天皇の始祖の派遣とそれに続く天皇を擁する日本の話でこれは今も続いている。
これらの2度の高天原の介入に挟まれた形で出雲神話がある。天皇の権威を高めるのに出雲があまり役に立たないのに古事記で大きく取り上げられている。その神話の構造の歪さに我々は心を惹かれる。
たとえば天皇も大国主も大刀(レガリア)の出どころはスサノオでありその権威の根源を知りたくなってしまう。そうなると島根県安来市あたりの観光をしてしまいたくなる。
Commented by yuugurekaka at 2020-10-25 10:00
> 修理固成さん
そうですね。
古事記自体がなんらかの史実を反映していることと、陰陽学的展開で記述をしないといけないということなどが、単純な天皇礼賛につながらない形になっているのではないでしょうか。

伯耆の日野川流域は孝霊天皇の鬼退治の伝承地です。
孝霊天皇に伴ってきた大和の豪族がそのまま居ついた場所ではないか?という想像の記事です。
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by yuugurekaka | 2017-12-30 14:19 | 賀茂神戸の謎 | Trackback | Comments(4)