賀茂神戸の謎(3) 伯耆国 ① 鴨部郷 

『新抄格勅符抄』大同元年牒(806年)によると、

鴨神  八十四戸 大和卅八戸 伯耆十八戸 出雲廿八戸 となっており、伯耆国にも賀茂神戸が存在していた。

この賀茂神戸は、伯耆のいったいどこにあったか定かではないが、
一つの説として、会見郡鴨部郷(その昔は 賀茂郷)のどこかにあったのではないかとも言われている。

会見郡とは、島根県の県境に位置する伯耆国のもっとも西部の地域である。出雲古道をそのまま、鳥取県境を出て、手間関を通って、左手に天万郷、右手に鴨部郷と云われている。そういう位置関係からすると、出雲国賀茂神戸とは近くである。
改めて訪れてみて、天万郷から鴨部郷は、赤猪岩神社など大国主命伝承地だったと思い出した。
古の氏族分布が、古事記の伝承に影響していたのではないかとふと、思い浮かぶのだった。


鴨部郷の中心地だったのではないかとされる鴨部集落であるが、平安時代の古代地名が、今もなお残っている地域である。

国土地理院の地図に見える鴨部集落の地図 

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南北に流れる法勝寺川の流域に開けた集落のようだ。


下鴨部付近の法勝寺川 

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『伯耆誌』(景山粛 著 1858年)の抜粋であるが、(※漢字の写し間違いはあるかもしれない)

和名抄に鴨部と見へたる地なり讃岐國阿野郡伊豫國越智郡土佐國土佐郡に同名あり姓氏録に鴨部祝ありて大國主神之後也と見ゆ(未定の部にも同姓あり)此氏族の采地なりしなるべし汗入郡松波氏か京都穂井田忠友の所蔵と寫せる東大寺古文書の中に左(下記の)の一書あり

  優婆塞舎人事
                  伯耆國會見郡賀茂卿戸口賀馬戸口
貢 賀茂部秋麿年廿
                   神護景雲四年六月廿五日
                持經位法師  惠 雲 少 鎭 實 志
                 七月九日

神護景雲四年は、770年である。その頃、伯耆国賀茂郷の20歳の秋麿という人が、奈良の東大寺に行ってお坊さんになったということだ。
古に「大國主神之後也」の豪族が住んでいたのかもしれない。


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by yuugurekaka | 2017-12-20 23:30 | 賀茂 | Trackback