2017年 11月 05日
出雲路幸神社の謎(6)意多伎…おたき…愛宕
貴布祢神社であるが、ご由緒によれば、「醍醐帝の御世延喜二〇年、山城国愛宕郡より後背の足引山に勧請」とある。延喜二〇年とは、920年であり、平安時代である。安来の賀茂神社は、「宝亀九年この地の人藤原実重・元重なるものが供物として雲州の物を度々献上して、勧請した」とあり、これは778年であり、もっと古い。利弘町の賀茂神社については「白鳳年中に国中天災地変続発して止まず、平治の為に勧請」とあり、白鳳時代となると7世紀後半から8世紀初めで、さらに古い。
そうですね。
日本の始まり、日本の母祖神 イザナミ神がなぜにこの出雲国に関連付けられるかが重要だと思います。陰陽学の観点から、「死と陰」を出雲の国に関連づけるという説が多いと思いますが、それだけではないと思います。
事代主命の妹に高照姫命がいます。『古事記』には登場しませんが、『先代旧事本紀』『海部氏勘注系図』に登場します。
この姫神が、イザナミ神のモデルではないかと私は思っています。