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出雲路幸神社の謎(5)「結の神 」  弁慶伝説

■ 出雲国・出雲路幸神社 弁慶の腰かけ岩

出雲路幸神社鳥居の右手に「弁慶の腰かけ岩」がある。

説明板には〝久安年中(平安時代末期)紀州熊野庄司ノ娘 辨吉女 當社ニ賽シ縁結ビヲ祈リ後 良縁ヲ得テ 一子ヲ挙ゲ武蔵坊辨慶即チ是レナリ 慶長ジテ當社ニ賽(禮参リ)シタリト傳フ〟と書かれている。

紀州熊野庄司の娘である弁吉(べんきち)が、出雲路幸神社にお参りし、縁結びを祈った所、良縁に恵まれ、武蔵坊弁慶が生まれた。
弁慶が大きくなって、ここの神社にお参りしたと伝わっているという。

弁慶の腰かけ岩  出雲路幸神社境内 
島根県安来市西松井町88   

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■ 出雲国・出雲路幸神社 結の神

享保2年『雲陽誌』(1717年)の「島根郡 長海」の項の「杵田大明神」の話に、武蔵坊弁慶の生誕・成長伝説など書かれている。

弁慶の母の出自と出雲国に来た経緯とは。

〝母は紀伊國田那部の誕象が子なり、彼誕象子なきによって熊野権現にいのり我をもうけたり、大治三年戊申五月十五日に生辨吉と名つけぬ、我容世にすくれ、醜によりて年二十になるまで夫なし、父母是を悲て出雲國結の神に祈誓し参詣をなさしむ、久安三年丁卯六月朔に生國を出、其時父母のいへるは汝夫なくは此國へ歸へらすとあり〟

紀伊の国の現・田辺市で「誕象」(たんぞう)という父の具体名が出ている。紀伊の熊野権現(主祭神は、家津美御子ースサノオ・速玉ーイザナギ・牟須美ーまたは「結」とも表記ーイザナミ)にお祈りして、弁慶の母「弁吉」が生まれたという。縁結びをお願いするに、久安三年(1147年)6月1日に出雲国の結の神に出立したとある。

この「結の神」であるが、現代においては、出雲大社か、八重垣神社がすぐ思い浮かぶが、江戸時代であれば、イザナミを祭っている神魂神社、熊野大社でも良いようにも思われる。十八世紀中頃に成立した『出雲鍬』には、ここの出雲路幸神社が「結の神」とされているが、なぜ京都の出雲路幸神社ではなくて、遠い出雲の出雲路幸神社なのか。

熊野つながりで、母神イザナミの故郷をめざしたのか、あるいは、『義経記』(弁慶が紀伊・田辺で生まれたことになっている)での、右大臣・藤原師長との騒動で、京都には行けない事情があったのか。(ちなみに弁慶は、天児屋根命の末裔で熊野別当 弁昌の子どもと描かれている。)

『懐橘談』(上 1653年)では、弁慶の父は「意宇郡熊野山の人なり」とあるが、『雲陽誌』(1717年)では、さらに二十歳くらいの山伏と書かれている。

長見神社 島根県松江市長海町59 
出雲風土記(733年)に記載のある古社。祭神は現在、瓊々杵命、木花開那姫命である。 

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母である「弁吉」は、出雲「結の神」に七日七夜お参りしたところ、夢告があった。
枕木山の麓に長海村という所があり。そこに七年住めば夫を得させよう。」と、長海に住み三年が過ぎた。春に山へ行くと、着飾った山伏が現われたのである。

我は是出雲の神の結にて

         汝を妻と定りそする


私は出雲の神の縁結びにて あなたを妻にすることが決まりました


うつたかき身をかさりたる山伏の

         わらはを妻とあるはそらこと


返歌 うずたかい体を飾った山伏が私を妻にするとは絵空事でしょう

弁吉は、縁結びの神の教えの通りだと喜んだ。そして、弁慶が生まれた。
詳しくは→ ウィキぺディア 武蔵坊弁慶生誕伝説

長見神社の近くには、様々な伝承地がある。
幼い頃、弁慶があまりに悪さをするので、島に捨てられたという伝説の弁慶島だ。
角度によっては、亀にも見えるので、亀島とも呼ばれている。

弁慶島(亀島)   
島根県松江市野原町

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長見神社の右手の道をしばらく行くと、右手に大きな石がある。弁慶が幼い頃に立てたと言われる高さ180cmある「弁慶の立ち岩」。
怪力伝説のようだ。

弁慶の立岩

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「弁慶の立ち岩」から、少し行くと、「弁慶の森」の入り口に着く。
踏み石が山の中に整備されている。

弁慶の森 入り口
説明板には、〝弁慶の森 武蔵坊弁慶が生れた森。 弁慶の母弁吉は紀州和歌山県田辺市の生まれだが、縁あって長海の里に来て弁慶を生んだという。 この森の入り口から5分程登ったところに母弁吉が手で掘ったといわれる弁慶産湯の井戸跡がある。また中央には、弁慶が母の御霊をまつる為に建立した小さな祠「弁吉女霊社」があり、弁吉女霊社祭が毎年7月1日この地で行われる。

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苔むした石段を登って行くと、弁吉女霊社の祠があった。
薙刀のちいさなものが奉納されていた。今も安産を祈願をしてお礼参りする人があるという。

弁吉女霊社

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弁慶は、華蔵寺、福原の澄水寺、出雲の鰐淵寺に立ち寄り修行をして、後に京都に行き、「五条の橋の上」で牛若丸に出会い家来になるのであった。ちなみに『義経記』では、牛若丸と弁慶が出会ったのは五條天神社であり、決闘の場所も五条大橋ではなく、清水寺だったそうだ。



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by yuugurekaka | 2017-10-30 12:47 | 塞の神 | Trackback | Comments(0)