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出雲路幸神社の謎(2)名取の笠島道祖神

鎌倉時代の軍記物語である『源平盛衰記』に、京都の出雲路道祖神社にゆかりのある「笠島の道祖神」の
が出ている。
光源氏のモデルの一人ともされる藤原 実方(ふじわら の さねかた)が、長徳元年(995年)正月に突然陸
奥守に左遷される。(左遷ではないとの説もある。)
その藤原実方だが、長徳4年12月笠島の道祖神の神罰により亡くなったとの逸話がこれである。

〝笠島道祖神事

終に、奥州名取郡、笠島の道祖神に蹴殺にけり。実方馬に乗りながら、彼道祖神の前を通らんとしけるに、人の諌て云ひけるは、此神は効験無雙の霊神、賞罰分明也、下馬して再拝して過ぎ給へと云ふ。実方問う云ふ。
何なる神ぞと。答へけるは、これは都の賀茂の河原の西、一条の北の辺におはする出雲路の道祖神の女なりけるを、いつきかしづきて、よき夫に合せんとしけるを、商人に嫁ぎて、親に勘当せられて、此国へ追下され給へりけるを、国人是を崇め敬ひて、神事再拝す。上下男女所願ある時は、隠相を造て神に懸荘り奉りて、是を祈申に叶はずと云事なし、我が御身も都の人なれば、さこそ上り度ましますらめ、神再拝し祈申て、故郷に還上給へかしと云ければ、
実方、さては此神下品の女神にや、我下馬に及ばずとて、馬を打つて通りけるに、明神怒を成して、馬をも主をも罰し殺し給ひけり。

佐倍乃(さえのじんじゃ)神社 鳥居  宮城県名取市愛島笠島字西台1-4    画像出典 ウィキペディア 

Torii gate of Saeno-jinja shrine.JPG
               佐倍乃神社鳥居 By Bachstelze - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link 



現在の宮城県名取市の笠島の道祖神の前、現在の佐倍乃神社(さえのじんじゃ)の前を―佐具叡神社(さぐえじんじゃ)元宮との説もある―、藤原実方が馬に乗って通ろうとするとき、地元の民が「この神様は、御利益あること無比の神様で、賞罰をはっきりされる神様なので、馬から降りて、通りなさい。」と忠告した。
藤原実方は、「ここの神はいかなる神か。」と問うた。民は「京都の賀茂の河原の西、一条の北の辺に坐す出雲路道祖神の娘なのですが、大事に育てられ、良い夫に逢うようにしたが、商人に嫁いだため、勘当され、この国に追いやられた。この土地の人々が神として̝あがめ祭ったのです。身分の上下や男女問わず、お願いがあるときは、男根型のものを造って、奉納すれば願い事はかなうでしょう。京の都の人ならば、この神を敬って参拝してまた京に戻りください。」と言ったが、藤原実方は、「この神は下品の神だ。そんな神の前で下馬する必要などない。」と、下馬せず馬を動かし通ろうとしたところ、ここの神は怒り、馬と一緒に罰して殺してしまったという。

なお、「実方中将の墓」と伝えられる史跡が、佐具叡神社の元宮の近くにある。

佐具叡神社あるいは佐倍乃神社から、名前から想像すると、元々「サエ(サイ)の神」を祀っていたと思われる。
そして、サエノカミは、女神だったのだろうと思う。
男根型のものを造って、奉納する」ということで、松江市にある八重垣神社の境内社 山神社が思い浮かんだ。あそこにも、男根型のものがたくさん奉納されていた。今は、そういうものが奉納されている神社は、「子宝の神様」を主にご利益があるとされているが、自分は、性器そのものが呪術性をもった存在ではなかったのかと思う。

その祭神が、約30年前神職の方にお聞きしたら、イワナガ姫ということだった。
(山神が、オオヤマツミということになっているので、いつしかイワナガ姫となったのであろうが、よく考えると同じ娘のコノハナノサクヤ姫でも良いし、実際山神社と称する神社で、コノハナノサクヤ姫を祭神にしているところもある。)
島根県の三瓶山が、古名を佐毘売山(さひめやま)と云い、サイノカミの女体山との話もあるので、山神というのも、元々はサイノカミであったのかもしれない。

出雲路幸神社境内 北東隅の石神さん (おせきさん)  京都府京都市上京区幸神町303 
陽石(男根型)であり、元々の御神体とも言われる。

出雲路幸神社の謎(2)名取の笠島道祖神_e0354697_14242254.jpg

この「京都の出雲路道祖神の娘」という話は、おそらく後からだれかが作った話で、陳腐な感じがする。この「商人に嫁に行く」ということだが、嫁取婚とは、武家社会になってからの婚姻制度であって、そもそも夫が通ってくるもの(妻問い婚)だろう。
また、延喜式式内社(延長5年 927年)に佐具叡神社も見られるから、京都から分霊を勧請するという話ではなく、もともと女神のサイノカミをまつっていたのではなかろうか。

それと、「下品の女神」ということだが、この陰陽石信仰の伝統があるにもかかわらず、すでに鎌倉時代において「性器崇拝は下品なもの」との認識があったということに驚いた。しかし、これは、上流の階層の話ではないかとも思う。
近世の村社会(農民)にサイノカミ信仰が拡大したこと(地域によって分布の状況が違うが)を考えると、階層によって認識のずれがあったのかもしれない。階層による婚姻形態の違いが、影響しているのかもしれない。ただ、想像するばかりである。



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by yuugurekaka | 2017-10-07 17:26 | 塞の神 | Trackback | Comments(0)