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『稲羽の素菟』(6)土師郷 ② 大菟明神

福本の白兎神社  鳥取県八頭郡八頭町福本 

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宇佐家伝承の云う大国主命に与えられた土地とは、八上郡全てではなく、この土師郷を中心とした
場所だったのではないでしょうか。

〝 このような条理遺構を残している因幡国は、隣国の伯耆国(鳥取県の西半分)とともに、古くから、豪族の出雲族が、統治して開けていて、その統治下に、菟狹族や和邇族が生活していた。和邇族が、その祖神をワニ神として祀っていたように、菟狹族は、ウサ神を氏神として祀っていた。〟

そして、オオクニヌシノミコトが、菟狹族に無償で与えた因幡国八上の地に移住して、この地を開拓して定住し、のちに、ここを根拠地として、山陽・北九州・東九州地方にまで発展し、古の菟狹国をつくって繁栄するに至った。〟(宇佐公康著 『宇佐家伝承 古伝が語る古代史』 木耳社)

縄文~弥生時代に移り住んで、宇佐族はいつまでここにいたのでしょうか。
因幡国八上郡から美作国へ、そして山陽の安芸国へと移り住んでいったのか、奈良時代には既に、土師氏に明け渡してしまったのか。確かめる手段はなにもありません。

はたまた土師氏が、兎神を奉祭していたのでしょうか?
土師氏系図を見ると、大江氏祖に「土師兎」なる名前が見えます。野見宿禰より数えて10代目です。 ウィキペディア 土師氏
宇佐族と同族化したのでしょうか。八上郡には土師郷と大江郷もあります。何か関係があるのかもしれません。

土師氏系図

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江戸時代初期の鳥取藩医・小泉友賢(1622-16919)著 『稲葉民談記』(1688)には、

土師百井  大菟明神
福本    大菟明神
池田    大菟明神
内海    大菟明神

と、あります。内海(現在の鳥取市白兎)を除いて、3か所が土師郷に集中しています。

土師郷の3つの神社を回ってみました。


福本の白兎神社  鳥取県八頭郡八頭町福本 
第55代仁明天皇(833~850年)の時代に位を戴いたと伝えられる。
明治元年に村社となり、大正3年に同町宮谷(みやだに)の賀茂神社に合祀された。

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池田神社 鳥取県八頭郡八頭町池田

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土師百井神社は、なかなか見つかりませんでした。車で同じ場所を行ったり来たりしました。神社の鳥居を探そうとしたのが間違いでした。「慈住寺」というお寺の境内にあったからです。そういえば、『慈住寺記録』なる文書があり、大日霊尊(天照大神)が、この中山に降臨した際、ウサギが道案内し、道祖白兎大明神として、祀神(ししん)として、この中山の四ヶ村の氏神として崇めたといいます。


土師百井(はじももい)神社 鳥取県八頭郡八頭町土師百井 
 
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成田山青龍寺 鳥取県八頭郡八頭町下門尾46

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下門尾にある青龍寺には、江戸時代に造られた福本の白兎神社の本殿が、厨子(ずし)として安置されています。大正時代に白兎神社が、宮谷の賀茂神社に合祀されたため、大正3年にこちらに引き受けられたとのことです。
あいにく、私が行ったときはお留守だったので、その本殿を見ることができませんでした。
正面上部には、波兎(なみうさぎ)の木彫りがなされているそうです。

青龍寺ですが、710年天明天皇の命によって、開かれた古寺であり、古くは「花喜山浄光寺」と呼ばれていました。ここのお寺にもまた、天照大神が中山に降臨した際、うさぎが道案内をしたという江戸時代に書き写された「城光寺縁起」があります。

霊石山を含めた中山の西麓が、猿田彦命ーサイノカミが、天照大神を道案内したという最勝寺縁起があり、この中山の南麓の「慈住寺」、「城光寺」には、その猿田彦命ではなく、道祖白兎明神が道案内をしたということは、たぶん、中山の西麓には出雲族が住んでおり、南麓には、宇佐族が住んでいたということになるんでしょうか。

西麓ではサイノカミ信仰、南麓では、兎神信仰だったのではないでしょうか。






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by yuugurekaka | 2017-05-11 15:56 | 因幡の素兎 | Trackback | Comments(0)