天照らす 高照姫命 (2)  海部氏勘注系図

思いついたのが、その日の夕方。

豊岡まで、JRの鈍行列車で乗り継いで、豊岡駅前のビジネスホテルで一泊。

豊岡駅で7時前の電車に乗り、天橋立駅に着いたのが、8時過ぎでした。

駅を出て、海を見ると、これが日本三景の天橋立ですか―。


下の写真は、駅側ではなく、北側の籠神社の上の傘松公園から写したものです。

天橋立は、丹後風土記逸文によれば、イザナギノミコトが天に通うことを目的として立てた梯子が、

休んでいるうちに倒れたものだと云います。


“初めの名を天の椅立と名付け、後の名を久志浜と名付けた。そう名付けたわけは、

国土をお生みになった大神である伊射奈芸命が、天に通おうとして、椅を作ってお立てになっ

た。それで、天の椅立と名付けた。伊射奈芸命がおやすみになっている間にその椅が倒れてし

まった。

それで、伊射奈芸命は霊妙な働きが表れたことを不思議に思われた。それで、久志備の浜と名

付けた。これを中古の時代には久志といっていた。ここから東の海を与謝の海といい、西の海

を阿蘇の海という。この両面の海に、種々の魚貝等が住んでいる。但し、蛤はすくない。”

     (釈日本紀 巻五「天浮橋」の抜粋 
          現代語訳 中村啓信監修・訳注『風土記 下』角川ソフィア文庫 より)

「ハマグリが少ない」の言は、よけいな気がします…が、イザナギノミコトに関係した地域なんだ

なと思いました。



傘松公園から見える天橋立  京都府宮津市

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■ 海部氏勘注系図に見られる高照姫


天橋立を渡ったところに、籠(この)神社が、鎮座しています。なんで籠(かご)なのか、彦火火

出見命とも云われた彦火明命が、竹で編んだ籠船に乗って、龍宮に行ったことから命名されたとい

う。


祭神の彦火明命ですが、(⇒ウィキペディア 天火明命『日本書紀』では、ニニギノミコトの子ども、

あるいは、兄となっています。

また、祭神は、『丹後国式社證実考』では伊弉諾尊となっているらしい。

籠神社(このじんじゃ)一の鳥居   京都府宮津市字大垣430

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籠神社の宮司家、海部氏(あまべし)の所蔵する海部氏系図ですが、最古の系図として昭和51年

1976年)6月国宝に指定されました。『籠名神社祝部氏係図』と、『籠名神宮祝部丹波国造海

直等氏之本記』(以後「海部氏勘注系図」と称す)から成っています。

(詳しくは ウィキペディア 海部氏系図  ) 


さて、その内容の一部ですが、


◇ 国宝 海部氏勘注系図 巻首(原本 漢文) 抜粋 ◇


始祖 彦火明命

 またの名 天火明命 またの名 天照國照彦火明命 またの名 天明火明命 またの名 天照

 御魂命。

 この神は正哉吾勝勝也速日天押穂耳尊の第三の御子にして、母は高皇産霊神の娘 栲幡千々姫

 命です。

 彦火明命が高天原に坐しし時、大己貴神の娘―天道日女命をめとって天香具山命を生みます。

 天道日女命はまたの名 屋乎止女命と云います。

 大己貴神は、多岐津姫命、またの名 神屋多底姫命をめとって、屋乎止女命、

 またの名 高光日女命を生みます。

                   …中略… 

 ここに火明命は佐手依姫命をめとって穂屋姫を生みます。

 佐手依姫命は,またの名 市杵嶋姫命、またの名 息津島姫命 またの名 日子郎女神です。

                   …後略…


(籠神社の宮司 海部光彦編『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』を

                         参考に平易な文章に変えました。)



大己貴神(おおなむち)の娘 天道日女命(別名 高照姫命)をめとったとあります。

つまりは、大己貴神が義理の父親になります。

記紀の編集者が見たら怒り出すような系図ですが、『播磨風土記』や『丹後風土記』でも、父親と

なっています。

詳しくは拙なるブログで⇒ スサノオ一族の上陸地(4) 播磨風土記・丹後風土記

それと、宗像三女神の市杵嶋姫命もめとったとあります。


なんと天孫族は、始祖からして既に、出雲族や宗像族と婚姻していることになります。

そして、その天火明命の後の海部氏、尾張氏が、初期大和王権の王族として葛城王朝を造っていく

ことになります。

富家伝承では、天火明命の孫となる天村雲命が、丹波から南下、磯城登美一族(大和の出雲族)と

三輪山の麓で初の王都を築くことになるそうです。つまりは、物部の東征は、もっと後代の話とい

うことになります。


それから、抜粋したところには載せてないですが、天火明命のまたの名として饒速日命あります。

つまり九州から攻め上がってきた物部氏と丹波から南下した尾張氏が、同祖ということです。


籠神社拝殿前の狛犬
鳥居をくぐって、そのさきの安土桃山時代の作品で国の重要文化財に指定されている狛犬がありました。
山陰では目にすることもない型の狛犬ですね。

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さて、写真はここまでで、拝殿からは、カメラNGとなっていました。過去に参拝された方のブログが
たくさんあることを考えると、カメラNGになったのはここ数年のできごとなのかもしれません。
どういう拝殿、本殿なのかは、⇒ ウィキペディア 籠神社


■ 『先代旧事本紀』に見られる高照姫

さて、物部系の『先代旧事本紀』(⇒ ウィキペディア 先代旧事本紀) では、どのように高照姫を述べ

ているかと云うと、

( 天璽瑞宝  さんのホームページの現代語訳を引用させていただきました。)


“その大己貴神の子は、合わせて百八十一柱の神がいらっしゃる。

 まず、宗像の奥都嶋にいらっしゃる神の田心姫命を娶って、一男一女をお生みになった。

 子の味鉏高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)は、倭国葛木郡の高鴨社に鎮座されている。

 捨篠社(すてすすのやしろ)ともいう。

 味鉏高彦根神の妹は下照姫命。倭国葛木郡の雲櫛社に鎮座されている。


 次に、辺都宮にいらっしゃる高津姫神(たかつひめのかみ)を娶って、一男一女をお生みに

 なった。子の都味歯八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)は、倭国高市郡の高市

 社(たけちのやしろ)に鎮座されている。または甘南備飛鳥社(かんなびのあすかのやしろ)

 という。

 都味歯八重事代主神の妹は高照光姫大神命(たかてるひめのおおかみのみこと)。倭国葛木

 郡の御歳(みとし)神社に鎮座されている。

                       (『先代旧事本紀』巻四 地祇本紀 )



なんと高照姫命には大神命の称号がついています。

『海部氏勘注系図』に書かれていることと、『先代旧事本紀』に書かれていることを合わせて、系

図を作成すると以下の通りとなります。大己貴(大穴持とも書く)が、富家伝承では、何代にも渡

る役職名であって固有名詞でないとすることを考えると、同じ名前ではありますが、別の神という

ことになりましょう。(富家伝承系図とは多岐津姫・田心姫・下照姫の記載が違っています。)

東出雲王家出身の天冬衣命の子どもであり、高照姫は、事代主の妹ということになります。

また、高照姫命と事代主命は、母系をたどると宗像族となり、海人族の性格を持ちます。


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籠神社の奥宮、現在の真名井神社に参拝しました。昔は匏宮(よさのみや)・吉佐宮(よさのみや)

・与謝宮(よさのみや)・久志濱宮(くしはまのみや)とも呼ばれていたらしい。

主祭神は、伊勢神宮外宮の豊受大神です。


籠神社の奥宮 真名井神社
現在修造中で、拝殿前も工事中のトラックがありました。

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丹後風土記(残欠本)を見ると、丹後が豊受大神の発生源のようです。(天女伝説)

九州の豊国の「豊」の始まりがここだったとは。

天火明命が丹波に来る前は、丹波の元々の祖神だったのかもしれない。

通説的には、天照大神の食事のお世話をする神として、天照大神と半ばセットになっていますが、

たぶん、そういう単純な話ではないようです。

富家伝承では、三輪山の太陽神を奉祭していた磯城登美族(大和の出雲族)と月神を奉祭する豊族

(宇佐族)と宗教戦争が勃発し(狭穂姫命VS豊鋤入姫)、大和に居られなくなり、太陽神信仰の祭

祀場所を探し彷徨うことに至ったように書かれていました。(斎木雲州著『古事記の編集室』大元

出版)

天照大神の2度目の遷宮地であった籠神社ですが、その期間は4年ほどであったようです。


続く


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by yuugurekaka | 2016-12-03 14:40 | 高照姫 (天道日女命) | Trackback | Comments(0)