野見宿禰の墓(6) 大和 初瀬街道

ところで、野見宿禰の角力の相手方とされ当麻蹴速(たいまのけはや、たぎまのけはや)葛城山
の麓、當麻の地ですが、アメノヒボコを祖とする神功皇后(じんぐうこうごう)を輩出した葛城氏
族のいた場所です。葛城氏に、始祖アメノヒボコの但馬氏が…と混乱しそうな話です。
野見宿禰が打ち負かしたアメノヒボコ族は、ここ葛城山の麓で、葛城氏と同族化して子孫が花開い
たのです。

“そののち三代はすべて多遅摩氏を名乗っているから、これらは皆、多遅摩母家に生まれ者であろう。
然るに清日子に至って、長駆して当摩の咩比に婿入して酢鹿之諸男、妹竈由良度美と云う一男一女
を生んだ。…中略…但馬氏の清日子が葛城氏に来って生んだが葛城氏を承けて名乗り、又葛城の地に
住むことは母家本位の当時の制度にあっては、至極当然なことであって、その清日子の女に、更に清日
子の兄比多訶が来って婚した結果の所生が葛城之高額姫であるのも固より自然である。葛城之高額姫は、
その御名に御母の族を承け、その御居も亦御母の地葛城に坐すことが窺われるのである。”
                      (高群逸枝 母系制の研究 (上) 講談社文庫42、43頁)

                 
※ 葛城之高額姫…神功皇后の母親 
下線、赤色は私。
                      
■ 初瀬(はせ)の起源

奈良県桜井市初瀬は、現在長谷寺周辺を言いますが、元々は三輪山南麓、巻向山南麓を含む、大和川
上流(初瀬川)流域の地域です。
明治以降の歴史を見てみますと、1889年(明治22年)4月1日、式上郡 初瀬村、白河村、出雲
穏村、柳村、角柄村が合併し、式上初瀬村が成立。その後初瀬町となりますが1959年(昭和34
年)2月23日、桜井市に編入され、瀬町は無くなります。

この初瀬の名前の起源ですが、古くは泊瀬(はつせ)と呼ばれ、大和盆地に流れる大和川の河口
近であり、上古の時代の船着場(泊瀬)からきているようです。
また、この地域は、大和川上流の初瀬川を囲む長い谷となっており、東に長谷寺(はせでら)があ
り、そこから長谷(はせ)と呼ばれるようになったとの説もあるようです。


初瀬観光センターにあった地図を抜粋させてもらいました。
巻向山の麓に「出雲」の地名が見えます。

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ここまでが通説ですが、泊瀬でよばれていたであろう奈良時代より前の時代も、果たしてそうだっ
たのでしょうか。
ここの地域は、野見宿禰が祖の土師の里だったことを考えると、土師(はぜ)から、その転訛して、
「はせ」と呼ばれるに到ったのでないだろうかと思うのです。
土師は、「はじ」と読むのが正しく、「はぜ」と読むのは間違いであるという反論が成り立つと思
いますが、播磨国の土師の里は、実に土師を「はぜ」と読ませるのです。信原克哉著『相撲の始祖
 野見宿禰の墓屋』(ブックハウスHD発行)によると、現住所名の兵庫県たつの市揖西町土師
けでなく、鈴鹿、堺、福知山、香寺なども同じく「はぜ」と呼ぶのだそうです。
漢字自体が、かなり後代になって入ってきたわけですから、もともと、土師も当て字であったはず
で、大昔(弥生時代や古墳時代)はどう読んでいたか、はっきりしないのだと思います。


初瀬川(大和川)

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■ 奈良の出雲(いずも)の地名

近鉄線長谷駅で降り、西に歩いて約20分で、出雲の地名にたどり着きます。
ここに野見宿禰の墓と伝わる古墳があったのです。

歩道橋に見える出雲の地名  桜井市立桜井東中学校に向かう歩道橋

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三輪山の周りには、ここ出雲村(現在は、桜井市出雲で、村名ではありません。)だけではなく、
中世には、狭井神社の北方にある「神武天皇聖蹟狭井河之上顕彰碑」付近の「出雲屋敷」や三輪山
の北西の桜井市江包を中心とした「出庄」なる荘園の名前に残っていました。

私思うに、ここの出雲の地名は、「出雲国」の地名とは直接関係が無く、出雲の姓氏をもった豪族
が住んでいた足跡ではないのだろうかと思います。
しかし、新撰姓氏録(815年)によれば、大和には、出雲臣などの姓氏は見られません。
でも、垂仁天皇の頃、出雲氏の「本姓を改めて」、土師宿祢の姓氏となったのだから、大和の出雲
氏は消滅したのかもしれません。あるいはまた、京都に都が移ったのに伴い出雲臣は移住して行っ
たのかもしれません。

そもそも、大和の地元に住んでいた出雲族(大国主命や事代主命を祖と仰ぐ豪族)は、出雲の姓
名乗っていません。
たとえば、「新撰姓氏録」の大和国の「神別」を見ると以下の通りです。

天神  飛鳥直     天事代主命之後也  
天孫  土師宿祢   天穂日命十二世孫可美乾飯根命之後也  
天孫  贄土師連   同神十六世孫意富曽婆連之後也
地祇  大神朝臣   素佐能雄命六世孫大国主之後也
地祇  賀茂朝臣   大国主神之後也 
地祇  和仁古    大国主六世孫阿太賀田須命之後也 
地祇  長柄首    天乃八重事代主神之後也  

なんで事代主命が天神なのかと怒りだす人がいるかもしれませんが、初期ヤマト王権の皇后を輩出
した母族であるので、母族の氏祖ー事代主命を天神として奉ったとして、そう不自然なことではあ
りません。

上記「新撰姓氏録」はわかりやすい系譜であって葛城王朝の王家(尾張氏や葛城氏等)と姻を
結んで、始祖変更した豪族もいれると、どれだけの氏族が、出雲族と関係した氏族なのかわかりま
せん。

さて、ここの出雲の姓ですが、戦後の歴史家の通説では、天穂日命を祖とする出雲国造家の氏姓の
みをいいますが、私の前回の記事の通り、事代主命を祖とする出雲氏もいたと思います。

先に出雲国とは直接関係ないと書きましたが、
はなから大和の地元の出雲族の豪族が、出雲姓を名乗ってないところを見ると、東出雲の豪族が移
り住んでいたんではないか。(大国主命の系統が、出雲国においては出雲臣ではなく、神門臣を名
乗っているとこをみると、事代主命の系統ではないのかしら。)


■ 野見宿禰の墓

桜井市出雲の地区の神社として、十二柱神社(じゅうにはしらじんじゃ)が、巻向山の南麓に鎮座
ています。

十二柱神社 桜井市出雲650 

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ここの神社には野見宿禰の五輪塔があります。
祭神は、数えると16柱ではありますが、7代+5代で12なのでしょう。

神世七代の神
国常立神(くにとこたちのかみ)、国狭槌神(くにのさづちのかみ)、豊斟淳神(とよむくのかみ)、泥土煮・沙土煮の
神(うじに・すじにのかみ)、大戸之道・大苫辺の神(おおとのじ・おおとまべのかみ)、伊邪諾・伊邪冊の神(いざな
ぎ・いざなみのかみ)、面足・惶根の神(おもたり・かしこねのかみ)
地神五代の神
天照大神(あまてらすおおみかみ)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、彦火日
出見尊(ひこほほでみのみこと)、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)

野見宿禰も大物主も現在は祀っていませんが、祭神は時代によって変わるものです。ここの出雲の
伝承では、大昔は神殿が無く、「ダンノダイラ」(三輪山の東方1,700mの嶺の上にあった古
の出雲集落地)の磐座を拝んでいたようですので、もともとは三輪山の山の神を拝んでいた社で
ったのかもしれません。吉野裕子氏によれば、山の神と12という数は密接に関係しているらし

狛犬を支えるお相撲さん
十二柱神社の入り口にある二基の狛犬は、文久元年(1861年)の作。
4人のお相撲さんが、異なった姿で抱えています。

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ここの境内には、野見宿禰の五輪塔があります。
花崗岩の粗造りで鎌倉時代のものらしい。
となれば、最低でも鎌倉時代には、野見宿禰の墓信仰が既にあったことになります。
この五輪塔は、もともとは野見宿禰の墓との伝承のある古墳から運ばれてきたようです。
神社に五輪塔…どうやって拝んでいったらいいか、ちょっと頭が混乱してしまいましたが、仏式で
手を合わせて拝みました。
古い神社には、参道の入り口や、境内の境界のところに、よくお地蔵さんがあって、柏手は打たず
に拝むのですが、いつもの通りです。

境内にある五輪塔


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ここの神社は、第25代武烈天皇 泊瀬列城宮(はつせのなみきのみや)伝承地でもあります。日本
書紀には残虐非道な行いばかり書かれているけれど、ここの土地にあるということは、出雲族も支
えたんでしょうか?

武烈天皇泊瀬列城宮伝承地 石標と説明板

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十二柱神社の参拝が終えて、五輪塔が元々あった古墳のあった出雲村字太田(ただ)へ行ってきました。

日本書紀では大物主命の子とされる大田田根子(おおたたねこ)ー実際はかなり後代の子孫であろ
ー の「田田(たた)」と関係はありはしないかなどと勝手な想像します。
大正九年(1920年)に到って古墳の土は取り除かれ現在のような平坦な状態になったとのこと
です。古い絵図では、おおざっぱな円墳が描かれていましたが、本当に円墳なのか定かではないと
いうことです。

今はひっそりと、野見宿禰塚跡 の石碑が田んぼの中にありました。



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参考文献

池田雅夫著 池田雅之・谷口公逸編 『野見宿禰と大和出雲』 彩流社
信原克哉著『相撲の始祖 野見宿禰の墓屋』 ブックハウスHD
高群逸枝著 『母系制の研究』講談社文庫 
鳥越憲三郎著『出雲神話の誕生』講談社学術文庫
鳥越健三郎著『神々と天皇の間』朝日新聞社
斎木雲州著『出雲と大和のあけぼの』大元出版
斎木雲州著『出雲と蘇我王国』大元出版


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by yuugurekaka | 2016-11-20 20:10 | 野見宿禰 | Trackback | Comments(0)