2016年 09月 15日
荒神さま(2) 柳田国男 先住民地主神説
私は小さい頃から、荒神さんは、海の神様だと思っていました。
けれども、本を調べた所、どうも海の神ではなくて、「もともと」は山の神だということがわかってきました。
また、「荒神さんは、素戔嗚命」そう聞いて育ってきました。今でも神社の宮司さんに聞けば、そういう答えが返ってきます。
それと、「荒神さま」なので、「荒ぶる神」で祀らないとたたる恐ろしい神様さまだと、思っていました。
この考えは、私だけが思っているのではなく、出雲地方ではよく聞く説のようだと思います。
武内神社の裏山の荒神社 松江市八幡町303
かなりの確率で、神社の杜に荒神さんが存在する気がします。

しかしながら、ヤマタのオロチを退治した素戔嗚命に藁蛇を奉納するという矛盾点が、子ども心にも釈然としませんでした。
出雲族は、古事記・日本書紀を見る限りで奈良の三輪山の大神とか、神は蛇体です。だから、蛇が、いけにえであるはずがありません。
いや、考えを変えるならば、出雲族を高天原出身の素戔嗚命に献上するというそういう隠喩があるのかしらとも思ったりもしていました。
しかし、よくわかりません。
武内神社の裏山 荒神社の藁蛇 頭が藁ではなくて、龍の像なのが珍しい。
松江市八幡町303

柳田国男氏の『石神問答』の中にも、ちょこっと荒神様の事が書いてあります。
“駿河国風土記には、荒神(こうじん)は他の大社の末社ですなわち、その神の荒魂(あらたま)(註:神の荒々しい側面、荒ぶる神)であるとの説が記録されておりますが、末社ではない独立した荒神が極めて多い以上は、成立しない説であり、社寺の境内に荒神を祀るのは、地主神の思想に基づくものであるのは、疑いが無いと思います。
雲陽誌(註:享保二年=1717年に松江藩士、黒澤(くろさわ)長尚(ながひさ)が編纂した島根の地誌)や東作志(とうさくし)(註:正木輝雄が編纂した美作国=今の岡山県、東部の地誌)を見れば荒神は、正しくは山野の神であり、その数の多い事はなお東国の山神と同じでございます。
特に注意すべきは出雲の美作に限った事ではなく、多くの荒神にはまったく社殿が無い事です。~中略~。
さて、荒神の字の意味は単に荒野の神と言う事かとも思われますが、やはり「荒ぶる神」という古称に基づくものと再考致しました。
現に日本書紀の景行天皇四十年の膽吹山(いぶきやま)(註:滋賀県と岐阜県にまたがる山)の章には、荒神および山神、との文字が見られます。
思うにこの島の先住民の首領で歸順和(きじゅんわ)熟(じゅく)(註:敵対するのを止めて服従し、仲良く親しみあうこと)した者が、すなわち国津神(地神)と呼ばれ、新住民に抵抗する者が、つまりこれを荒神と呼ぶ様になりまして、これに向かって土地を願う者は、常に地主を恭敬きょうけいしないわけにはいかなくなったのだと思われます。 ~ 中略 ~
磯近荒神 揖屋神社近くの国道9号線 意東のバス停前 松江市東出雲町
神社の境内社ではなく、単独で荒神さまも見ることがあります。

後世の武人などの霊を祀って荒神と呼んだ例もあるようでございます。
菅公(註:菅原道真のこと)を神に祀ったのも現人神、または荒神の思想に基づいたものではないかと推測しております。”
(『箋注:石神問答・上巻』柳田國男著 ~白鳥博士への手紙~ 大和青史訳 Kindle版)
三輪山でも、伊吹山でも、山の神は蛇ですね。
崇神天皇でも、日本武尊でも山の神を丁重にしないといけなかったというわけですね。

