2016年 06月 10日
宍道の起源(1) 宍道湖(しんじこ)
宍道湖(しんじこ)は、日本の湖沼では六番目の大きさです。
流出河川は、中海につながる東側の大橋川、天神川であり、日本海につながる北東岸の佐陀川(1785年開削)。
汽水湖であり、宍道湖から獲れるシジミは、平成27年度漁獲高島根県全国一位(4,006トン)。
奈良時代は、「入り海」と呼ばれていますが、中海も「入り海」です。
また『出雲国風土記』(733年)では、ばくぜんと「入り海」と呼ぶ以外に、野代川の河口付近を「野代の海」と呼ばれていました。
万葉集でも、中海の意宇川の河口付近を「飫宇(おう)の海」と呼ばれているところを見ると、宍道湖・中海というような固有名詞は当時はなかったように思われます。
宍道湖ふれあいパークから宍道町方面 松江市玉湯町445-2
梅雨前の穏やかな宍道湖でした。
湖面がきらきら光り美しかったのですが、それを写真に収めるのは難しい。


宿場町 宍道
その入り海にどうして、宍道湖と名づけられたのでしょう。
出雲市と松江市のちょうど中間どころの宍道町(奈良時代は宍道郷)から、この汽水湖の名前が、宍道湖となったわけですが、その理由がわからない。
例えば「松江湖」や、「秋鹿湖」「玉造湖」でも良かったはずです。
奈良時代の表記から考えると、宍道川の河口付近が宍道の海と呼ばれたんでしょうけれど。
インターネットの検索では何も出てこなかったので、図書館で調べました。
平凡社発行 『島根県の地名』~日本歴史地名体系33巻~によれば、
“近世以降宿場町宍道(現宍道町)の沖を宍道の海と呼んでいたのが定着して宍道湖となったという。 文献上の初見は承応二年(1653年)成立の「懐橘談」上巻。意宇湖・松江湖とも称され、雅称として近世末の文人菅茶山が用いた碧雲湖がある。”
と、あります。
そうですかー。宍道郷が海上交通の要所で、宿場町だったのですね。江戸時代には、松江藩主が領内視察や出雲大社参拝に向かう途中に休憩する場所である
3つの本陣(小豆沢家・木幡家・葉山家)がありました。現在は木幡家のものが八雲本陣として(国の重要文化財)残されています。
詳しくは→出雲と松江に挟まれた小さな町の宿駅本陣~八雲本陣~ Travel.jp
現在は、観光遊覧船「白鳥号」とシジミ漁船しか見えませんが、当時は、宍道湖はたくさんの船が行き交う湖で、宍道郷は港町・宿場町として栄えていたのです。



