人気ブログランキング | 話題のタグを見る

出雲臣の謎 斐川平野 (4) 日下部氏とホムチワケ伝承

日下町  

現在の出雲市の鼻高山の麓に日下町という所があります。

(全国に日下部氏は展開しているので、そういう地名は各地にあると思います。)

出雲国風土記時代(733年)、「出雲郡伊努郷」であり、その頃に既に日下部氏由来の神社があります。

ホムチワケ伝承で、なぜ突然日下部氏なのか…と思われるかもしれませんが、垂仁天皇の御子ホムチワケの母は、そもそも、日下部氏の系譜であるからです。 → ウィキペディア 日下部氏


日下部氏の系譜

日下部と書いて、なんで「くさかべ」と読むのか、和歌の枕詞、「日の下の草加(ひのもと の くさか)」から来ていると言われていますね。

ウィキペディアから抜粋すると2説あって

1.開化天皇の孫・狭穂彦王に始まる、但馬国造の日下部君の後裔。


2.孝徳天皇の孫・表米親王(日下部表米)に始まる、日下部宿禰の後裔。


古い氏族なので、いろいろな説があって然るべきなのかもしれません。

ホムチワケと出雲の旅に同行する曙立王 と菟上王は、開化天皇のひ孫なので、日下部氏と同族です。

久佐加神社 出雲市日下町上筋731-1  

出雲臣の謎 斐川平野 (4) 日下部氏とホムチワケ伝承_e0354697_14574268.jpg

ホムチワケの母(狭穂姫)は、開化天皇の孫で、狭穂彦王の妹です。

古事記、日本書紀で語られる狭穂彦王の叛乱(→ ウィキペディア 狭穂姫命 )は、“「崇神 - 垂仁」に対立する「彦坐王 - 狭穂彦」の皇統があったとする説もある。”( ウィキペディア 彦坐王 より)ようです。

崇神天皇は、ハツクニシラススメラミコトとも称され、開化天皇以前との系譜からは、不連続性があるように思えます。

出雲王朝と同じように、崇神・垂仁天皇時代に滅ぼされた葛城王朝の怨念というものが、日下部氏にもあったであろうし、日置部(へきべ)氏族の天甕津日女命鎮魂説話(『尾張国風土記』)とつながって、大国主命の鎮魂ー出雲大社の創建になったのかもしれぬと、一つの考えが浮かびました。

出雲国風土記時代(733年)の出雲郡では、大領が出雲臣ではなく、日置部臣です。

出雲国大税賑給歴名帳』(739年)を見ても、臣の姓ではトップです。

日下部氏はどうかというと、日下部氏由来の神社のある伊努郷や隣の美談郷などの資料がないので、よくわかりません。

来阪神社(くるさかじんじゃ) 出雲市矢尾町799  

出雲臣の謎 斐川平野 (4) 日下部氏とホムチワケ伝承_e0354697_14585731.jpg


都牟自神社 日下部都牟自?

あと、斐川町の都牟自神社(2社あり)の祭神、神魂命の御子「天津枳値可美高日子命」を出雲国造の祖とされる「岐比佐津美」と同神とする説があるらしいです。

天の「枳値可」美・高日子・命…三重の美称がつけられており、残った名前が「枳値可」(きちか)で、名前が似ていてそうなのかもしれませんが、そこの「漆治郷」は、斐川町平野の中間のところに位置し、奈良時代頃の新開地にしか思えないのですが、出雲国造の祖といえば出雲臣もいて、そうなのかもしれません。

この神社の名前「都牟自」というのが、一般的につむじ風、風神を意味するのでしょうが、先の日下部表米の御子の名前が、日下部都牟自なので、なにか日下部氏と関係があるのかしら…と頭の中が混乱してしまいます。

都牟自神社 出雲市斐川町直江町520番

出雲臣の謎 斐川平野 (4) 日下部氏とホムチワケ伝承_e0354697_14581969.jpg

都牟自神社 出雲市斐川町福富133番

出雲臣の謎 斐川平野 (4) 日下部氏とホムチワケ伝承_e0354697_14580741.jpg


名前
URL
削除用パスワード
by yuugurekaka | 2016-05-17 18:31 | 出雲臣の西進 | Trackback | Comments(0)