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神門臣の拠点はどこだったか?  (5) 朝山六神山

1)門寺廃寺跡


神門郡朝山郷が、神門臣のそもそもの拠点だったとよく言われます。それは、神門臣たちが建

てた寺とされる「新造院」が、朝山郷にあるのが一つの理由のようです。飛鳥時代~奈良時代

はそうだったのかもしれませんが、それ以前は、あちこちに拠点があったのではないのだろう

か、たとえば石見の仁摩町にもあったのだろうか、いやいや、そもそも島根県内だけの話で想

像するのが間違いで、日本の国譲りの話が、出雲国の国譲りに間違って理解される原因になる

のかもしれません。


神門寺 島根県出雲市塩冶町821番地

現在では、朝山郷の新造院として比定されているようです。神門寺境内廃寺は、瓦類から七世紀後半までさかのぼ

ることが出来るようです。


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現在神門寺が、存在していた地域は、奈良時代の日置卿の場所とばかり思っていました。ここも

朝山郷となると朝山郷の領域がどこまでだかようわかりません。神門川東岸を細長くびよーんと

したのが朝山郷なのかしら。出雲風土記の記載が間違っているという説もありますが、加藤義成

氏の説ように、元々馬木不動さん付近にあったものが、移転されたというのもあるやもしれませ

ん。それと出雲風土記では、新造院を建てた人物の名前が記載されているのに、なぜだか神門郷

だけは、神門臣たち、刑部臣たちとしか記載されていません。

いろいろとわからないことだらけですが、風土記記載の朝山郷そのものに行ってみます。


2)もしや朝堂院の郷では?


“朝山郷。郡家の東南五里五十六歩の所にある。神魂命の御子、真玉着

玉之邑日女が鎮座していらっしゃった。そのとき、所造天下大神、大穴

持命が娶りなさって、朝毎にお通いになった。だから、朝山という。”

          (解説 出雲風土記 島根県古代文化センター編 今井出版


朝山神社  島根県出雲市朝山町1404 宇比多伎山に鎮座しています。

御祭神は真玉着玉之邑日女命・神魂命・大己貴命。


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ここの記載で初めは、いわゆる大国主命の妻問い婚の地名説話に思えました。

しかし、妻問いというものは、暗くなって来て一夜を共にし、朝に他所に帰ることです。

“朝ごとに毎日通う”とは、一体全体どういうことなのか。

朝…うーん。朝で思い浮かぶのは、朝廷…朝堂院…。(朝堂院とは、 → ウィキペディア 朝堂院

そうだ、大穴持命の政治や祭祀を行うところが、ここの朝山郷にあったのではないだろうか…そう

いう考えが浮かびました。

なんで、帝は「早朝に政務を行う」のかわかりませんが、孝徳天皇が定めた礼法によれば、冠位を

有する官人は、毎朝午前4時ごろまでに、朝廷南門の外に並び日の出ととも庭に入って天皇に再拝

することになっていたといいます。(→ウィキペディア 朝政 ) 


3)朝山六神山

この“郡家の東南五里五十六歩”というのが、朝山神社がある宇比多伎山です。この朝山郷には、

宇比多伎山をはじめ朝山の盆地を囲むような「朝山六神山」の記載があります。


“宇比多伎山。郡家の東南五里五十六歩の所にある。

(大神の御屋である。)

 稲積山。郡家の東南五里七十六歩の所にある。

(大神の稲積である。)

 陰山。郡家の東南五里八十六歩の所にある。

(大神の御蔭である。)

 稲山。郡家の正東五里一百一十六歩の所にある。

(東に樹林がある。ほかの三方は磯である。大神の御稲である。)

 桙山。郡家の東南五里二百五十六歩の所にある。

(南と西に樹林がある。東と北は磯である。大神の御桙である。)

 冠山。郡家の東南五里二百五十六歩の所にある。

(大神の御冠である。)”

          (解説 出雲風土記 島根県古代文化センター編 今井出版)

  

 ※ 磯は、海岸の磯だけではなく、岩石の露出した岩場らしいです。


大国主命の御屋=王宮、稲を積んだ所、御蔭=髪飾り、稲、鉾、冠というように、大国主命の御

用物(ごようもの)に山々を見立てた山のようです。実際に、行ってみましたが、山々が連なっ

ていてどこがその山なのか、よくわかりませんでした。

そこで山々が、わかりやすく分離した地図がないものか調べたところ、マピオンの地図がありま

した。マピオンの地図に、風土記記載の山を書き入れてみました。

その山は、加藤義成氏の比定地です。


加藤義成説の六神山比定地


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一つ一つ見ていきますと、


宇比多伎山 中央の山。


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前にも山があり、横の山にも連なっていまして、わかりにくいです。トンネルの近くにある鳥居

から山道を登って朝山神社に参拝したことがありますが、かなりの急な道です。

今でこそ、自動車で境内近くまで登れますが、昔の人たちは、かなりの脚力がなければ、参拝すら

できなかったのでしょう。


稲積山 南中学校の方から写しました。前方に見える山ではなくて、前の杉尾神社のある丘です。

うーむこれもわかりにくいです。稲が積んであるようには見えません。


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陰山 麓に岩根寺のある山のようです。

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稲山と桙山 奥に見えるのが桙山です。手前の丘が稲山です。
桙山(ほこやま)は、不思議な形の山ですね。


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冠山 この冠山が非常にわかりにくいです。どれかなー。中央に見えるは、出雲市立南中学校。


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風土記記載では、桙山と距離が同じなので、桙山の東の山も丸くて、冠山でいいような気がする

のですが…。桙山と陰山の間の南側の山も、加藤説とは別の冠山の比定地らしいです。

北側の姉山や立巌トンネルが走っている山が、かなり存在感がありました。これが六神山だと

わかりいいんですが。


姉山 中世に姉山城がありました。


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立巌トンネル 高速道路が通っています。


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by yuugurekaka | 2016-04-30 15:55 | 神門臣 | Trackback | Comments(0)