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黄泉平良坂の考察 (2)  イザナギとの離婚

黄泉平良坂 峠に登って行く道

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高群逸枝『日本婚姻史』(1963年)を読んでいて、黄泉比良坂の異説として、自分の頭の中で一度は流れてしまったけれど、出雲族と物部族との婚姻関係を学習するに到り、頭の中でまた現実的な説として蘇ってまいりました。


“妻問婚では、愛がなくなれば通わなくなる。女の側には、来た男をかえすという手段があった。しかし、重婚規定も離婚宣言もなく、平安ごろは、「床去り」「夜離れ」と呼ばれたが、すべてはあいまいで、復活する例も多かった。

男酋と女酋のばあいには、その背後に人民をひかえているので、そう簡単にはいかなかった。イザナギとイザナミの離婚では、ヨモツヒラ坂で千引の岩ごしに両人が対立し、コトドワタシ(絶縁の誓い)をした。最後にイザナギが、「ウカラ離れむ。ウカラ負けじ。」といった。いったん結合して同族となったが、ここに両者の離婚を契機として、ふたたび分離し、敵となって相見えむ」という意味である。”(高群逸枝『日本婚姻史』至文堂 54頁)


黄泉平良坂 千引岩


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もしやこれは、出雲族(イザナミ)と物部族(イザナギ)の離婚のことではないのか?

神代の時代は、妻問婚です。となれば、物部族(ここでは、物部氏ということではなく、海部氏、紀氏、尾張氏を指す)が出雲族と婚姻すれば、東出雲王家の家に足しげく通ったでしょう。基本的に妻問婚の時代は、女性は自分の氏族から離れないわけであるから、男神が通うしかありません。

―しかし、丹後風土記や播磨風土記で、ホアカリノミコトの后である天道日女命高照姫)の記事があるのは特殊な事例なのか、どういうことなのか、今のところよくわかりません。

 

イザナミが、火之迦具土(ひのかぐつち)を生んで、女陰に火傷してお亡くなりになる話ですが…、通説的には、「出産の事故」あるいは考古学的に「製鉄のかまど」などと云われますが、裏の意図としては、出雲族との決別の話ということではないのでしょうか。

火之迦具土神、ひの…迦具…かぐ…、…もしや天香具山命(ホアカリノミコトの子)では?

火と出産との関係を考えると、二二ギノミコトと木花咲耶姫の火中出産の話が思い出されます。

二二ギノミコトが、自分の子ではなくて国津神の子ではないかと疑い、木花咲耶姫が母屋に火をつけて証明する話です。(詳しくは ウィキペディア天孫降臨の火中出産の項目へ →ウィキペディア 天孫降臨 


当時としては、一夫一婦制ではなく、対偶婚なので、疑いが生じても不思議はないですが、実際の子であっても、そういう誓約をしていれば女神が焼け死ぬということがあったのではないでしょうか。


奇想天外な説に思われるかもしれませんが、その後のイザナギの行動がそう思わせるのです。

黄泉平良坂から戻ってイザナギが、出雲からピューンと九州の日向に飛んで橘の小門の阿波岐原(あはきはら 宮崎県宮崎市阿波岐原町)で禊をおこなうのです。

富家の伝承によれば、「徐福」は、二度来日し、最初は和名ホアカリを名乗り出雲族と婚姻関係を結び天香具山命を授かり、海部王朝の系譜をつくり、二度目の来日でニギハヤヒを名乗り崇神天皇につながる九州物部王朝の系譜をつくったとされています。


イザナギという日本創建神話の男神とは、もしやニギハヤヒのことを表わしているのではないのかしら、そういう思いが浮かびました。

ニギハヤヒは、天道日女命高照姫)と離婚し、出雲族と決別し、日本には居なくなり、残された天香具山命は、母族である出雲族に依拠していったのではないかと。


黄泉平良坂の賽の神


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久那土の神は、もともと、共同体を同族化し縁を結ぶ神であったものでしょう。いつしか物部族との対立の過程で、お互いの領土の境を示す神に転化したのではないのでしょうか。


続く


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by yuugurekaka | 2016-03-27 22:19 | 黄泉比良坂 | Trackback | Comments(0)