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スサノオ一族の上陸地(3) 富家伝承  

■ スサノオノミコトは存在しない

富家の伝承によれば、そもそもスサノオノミコトは存在しないようです。


この大田市の大浦港に上陸するのは、古代中国の秦の始皇帝より派遣された徐福
ウィキペディア 徐福
と童男童女たち一行だそうです。じょ・・・じょふく?びっくりぽんです。

この徐福をモデルとしてスサノオノミコトという神が造られたということです。

「徐福」と言われると、一般的には山陰地方は、伝承地は無いことになっています。
どうもピンと来ません。


■ 徐福の和名が、天火明命=饒速日命で、スサノオノミコトの神に造られた。

紀元前3世紀時代の話のようですが、この「徐福」が、和名として、一度目の来日で「火明(ほあかり)」を名乗り、二度目の来日で「饒速日(にぎはやひ)」を名乗ったそうです。

一見突飛な説のように思えますが、物部氏系の伝承とされる『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』(→ウィキペディア 先代旧事本紀 )では、「またの名を天火明命、またの名を天照国照彦天火明尊、または饒速日命という。またの名を胆杵磯丹杵穂命(いきいそにきほのみこと)。」となっています。

『古事記』では、火明命は、ニニギノミコトの兄です。

『古事記』『日本書紀』では、スサノオノミコトが出雲王の初代として書かれていますので、スサノオノミコト=火明命=饒速日命ということになると違和感を感じます。

時代的につじつまが合わないからです。

それは、初代の出雲王である菅之八耳(八箇耳)が、スサノオノミコトに入れ替えられたという理由からだそうです。


下記は斎木 雲州著『出雲と大和のあけぼの』(大元出版) 144頁、145頁に乗っている出雲王家の系図からの抜粋ですが、古事記、日本書紀で語られる系図とは違うので、ちょっと混乱します。
古事記、日本書紀では、大国主命一神に収斂されてしまって、なにがなんだかわかりませんが、宗像三女神もこのような婚姻関係で、初代ヤマト王権とつながりがあったとは。

※なお、同じ大元出版発行の『出雲王国とヤマト政権』(富士林雅樹 著)に載っている系図とは違います。その本では高照姫命が神門臣家の大国主命の娘となっており、『先代旧事本紀』の記事とは、矛盾があります。



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■ 徐福の妻は、大名持の娘 高照姫命

日本書紀では、五十猛命と大屋姫は兄妹となっていますが、この系図では夫婦となっており、大屋姫はスサノオノミコトの娘ではなく、アヂスキタカヒコノミコトの娘です。

〝ホアカリ(徐福)の奥方になった高照姫は、大屋の屋形で息子イソタケ(五十猛)を生んだ。徐福の父の名は、「徐猛」であった。中国では先祖の名前の一字を受け継いで、子孫の名前に使う習慣があった。〟(斎木雲州著『出雲と大和のあけぼの』大元出版)

〝徐福はさらに多くの秦族を、連れて来たいと望んだ。そしてイソタケの成長を高照姫に託し、秦国に一時帰国した。

大国主の孫娘・大屋姫は、高照姫の世話をするために、大屋の屋形に移り住んだ。〟(斎木雲州著『出雲と大和のあけぼの』大元出版)


■ 丹波に移住

〝イソタケは成長すると父の意志に従い、丹波国に移住した。母君の高照姫と、後に奥方となる大屋姫も、ともに移転した。出雲王の親族であった大伴氏の祖・日臣(ひのおみ)も、付き添いとして行ったという。〟(斎木雲州著『出雲と大和のあけぼの』大元出版)

(2023.12.18 更新)


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Commented by 昌幸 at 2020-03-31 00:23 x
こんばんは。須佐之男が諸豪族の系譜研究の足かせになっているように感じています。
大神朝臣が須佐之男の末裔というのがオカシイ事をまず証明するところから出発しないと
すべて須佐之男に行き着いてしまいます。

それは安曇連の祖豊玉彦にも言えることで、
高良大社の秘伝では豊玉姫は、事代主の子ということになっており、
豊玉彦をワタツミ=須佐之男としているのも、大神氏の祖を須佐之男にしているのと同じ
同根の問題だと思います。

住吉神についても同様で、本来住吉神は祓戸神であって、境界を守るサエの神であったはずが、
いつの間にか、海の境界線→海神ワタツミに変容しています。
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by yuugurekaka | 2016-01-30 16:27 | スサノオ一族 上陸地 | Trackback | Comments(1)