出雲の祖霊信仰  クナトの神  

クナトの大神・サイの神・サルタヒコの神

富家伝承によれば出雲族が元々奉祭していた神は、大国主命や事代主命ではなく、クナト大神とその姫神幸ノ神と子神のサルタヒコの命の3神であったようです。
クナト大神とは、聞きなれない神の名前ですが、そもそも出雲族の起源は、3千500年以上前にアーリア人の侵攻によって、日本に民族移動してきたインドの先住民ドラビダ人だそうで、クナトの大神はクナ地方に支配していたクナト王です。         
(参考 斎木雲州著『出雲と大和のあけぼの』大元出版)

しかし、クナトの神といって聞きなれないのは無学な私のような者だけのようです。

“折口先生の歌、
 村の子は、女夫(めお)の道祖神(くなど)の肩だきています心を、よく知りにけりなどの歌は、たぶん、酒匂川流域の、小田原在のもののようだ。男女のふるまいについて、十分にわかっていないはずの村の子供たちが、不思議な知恵で、なにをしているところかを知っていて、知った上での笑いと騒ぎをしているのを、民族学者である詩人が見ているところだ。道祖神をくなどという。そのくなは、もともと男の性器の名だ。そして、これを動詞にしたくなぐは、行為そのものをいう古語である。”
                       (池田弥三郎『性の民俗誌』講談社学術文庫) 


平濱八幡宮・武内神社の幸の神   松江市八幡町303


e0354697_23120247.jpg

布志名の才の神さん     
玉造と松江市内との境にあります。

e0354697_23113201.jpg



また、女性史研究家の高群 逸枝(ウィキペディア 高群 逸枝 )によれば、 縄文時代中期以降の婚姻として、「クナド方式」なる形態が出現するという。そのクナド方式の説明です。

“これらを考えると、クナドの神なるものは、数ヶ村共有のヒロバや、入会山や、交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や、村の入り口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっている。
 交通の神が性の神でもあるというのは、族外婚段階のヒロバのクナドを考えればわかろう。クナドは文字通り神前共婚の場所であるが、またそのことによって他群と交通し、結びつくことになる場所でもある。  
原始時代では、性交は同族化を意味する。排他的な異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあった。
 大国主命の国つくり神話が、同時に妻問い神話になっているのも、この理由にほかならない。” 
                             (高群逸枝著『日本婚姻史』至文堂)

今年の初詣は、出雲族のもともとの信仰とも考えられる、サイノカミの名残ともいうべき宍道町女夫遺跡、大森神社、才神社に行きました。


女夫遺跡(めおといせき)松江市宍道町白石3313-1

e0354697_23145206.jpg

“県指定史跡 女夫岩遺跡 八束郡宍道町白石
この遺跡は二つの巨石からなり、地元で信仰の対象として「女夫岩さん」とも「宍岩さん」とも呼ばれている。
巨石の大きさは、北側のものが長さ9m、幅2.5m、高さ4m以上、南側のものが長さ6m、幅3m、高さ4.5m
以上を測る。平成6年(1994)に中国横断自動車道の建設予定地となったことから、平成8年(1996)に県教
育委員会と宍道町教育委員会が巨石周辺の調査を実施した。その結果、占墳時代中期から後期5-7世紀頃の祭祀に使
われたと思われる土器片が出土し、巨石信仰が古代にさかのばる可能性か高くなった。巨石周辺の平坦地や石垣がつく
られた時期は不明であるが、遺物の中には近世から近代のものもあり、古代から現代まで祭祀の対象となっていたと考
えられる。また、巨石は天平5年(733)に編纂された出雲国風土記の意宇郡宍道郷についての地名伝承に書かれた
「猪像」(ししのかた)にあたるとする考えがあり、宍道町白石の石宮神社の巨石とともに風土記の伝承と現存する遺
跡との関わりを考えるうえでも貴重な遺跡である。
このような経緯から、平成9年(1997)に遺跡は県指定史跡となり、現状のまま保存されることとなった。 平成9
年3月28日指定 平成12年3月 島根県教育委員会 宍道町教育委員会 ” (説明版より)


JA島根中央家畜市場の前の道から入っていきました。
遺跡は、高速道路のトンネルの上にあります。
高速道路建設の折に、取り壊される危機にあり、住民団体の保存運動の結果、残ることになりました。


e0354697_23135617.jpg

家畜市場とは反対側の北西側登り口です。


e0354697_23151817.jpg

少なくとも、古墳時代中期以降には、斎場として存在していたのです。
女夫岩遺跡の南側には弥生時代後期の墳墓と古墳からなる清水谷遺跡や、弥生時代から古墳時代にかけての集落跡である矢頭遺跡があります。
時代をさらにさかのぼれば、神前共婚のクナドのヒロバだったのかもしれません。


e0354697_23140881.jpg

大森神社 松江市宍道町佐々布738
祭神 大穴牟遅命

社地は昔は宍道川西側の神籬坪というところにあったといいます。
女夫岩遺跡は、今もなお 大森神社で祭祀が行われています。


e0354697_23154325.jpg

佐為神社 松江市宍道町白石1464
祭神 猿田彦命

この神社の参道の一直線上に女夫岩遺跡があります。
もしかしたら、大森神社のムラと佐為神社のムラの結節点として、女夫岩のヒロバがあったのかなと勝手な想像をしました。

e0354697_23143223.jpg

共同体を結ぶ神 クナトの神

通説的には、クナトの神( ウィキペディア 岐の神 )は、「外敵の侵入や悪霊を封ずる、さえぎる」神と言われていますが、本来は、そういう否定的な神ではなく、異なる共同体と結んでいく、肯定的なおおらかな神だったのではないかと、私には思えます。

それが国造りの礎にはなったけれども、そういうおおらかな神の子孫の王朝だからゆえ、渡来の神々の前では、お人好しで滅んでしまったのではないか。


[PR]
トラックバックURL : https://yomiagaeru.exblog.jp/tb/24028846
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by yuugurekaka | 2016-01-07 00:41 | 塞の神 | Trackback | Comments(0)