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富能加神社 ~ ホムチワケノミコト 出雲大神の祟り ~

富能加神社(ほのかじんじゃ) 島根県出雲市所原町3549

祭神 本牟智和気命(ほむちわけのみこと)・肥長比売命(ひながひめみこと)(配祀)伊弉諾尊・伊弉冉尊

「出雲国風土記」(733年)の神門郡の「保乃加社」として比定されています。

出雲市内から県立自然公園立久恵峡へ向かう途中の所にある神社です。

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『古事記』の本牟智和気命の話

本牟智和気命は、垂仁天皇と沙本毘売命(さほびめのみこと)との間にできた皇子です。

沙本毘売は、実兄の沙本毘古王(さほびこのみこ)とともに天皇に反乱を起こします。

そして、兄の稲城にこもった沙本毘売命は、その城が火に包まれた中で、本牟智和気命を出産し、亡くなります。


本牟智和気命は、垂仁天皇に鍾愛されたが、長じてひげが胸先に達しても言葉を発することは無かったのです。

天皇は皇子をしゃべらせようと、いろいろ手を尽くしていたが、ある晩 夢を見ます。

何者かが現れて「我が宮を天皇の宮のごとく造り直したなら、皇子はしゃべれるようになるだろう。」と述べました。

夢で現れたものは何かと占わせると、物言わぬは出雲大神の祟りとわかりました。


天皇は、皇子を曙立王、菟上王とともに出雲に遣わし、大神を拝させました。

その帰り、肥川の中州の仮の宮で休んでいると、出雲国造の祖先 岐比佐都美が来て

青葉の山を飾りてその河下に立てて神に食事を捧げようとしていた。

それを見て皇子は、「この河下の青葉の山のようなのは山のようで山ではない。

もしや石くまの祖宮に鎮座されている葦原色許男大神(あしはらしこおのおおかみ)を祭るために仕えている神官の祭場ではないのか」と問われました。


言葉を初めて話されたのです。御伴は喜び、皇子は檳榔(あぢまき)の長穂宮で泊まることになります。

そこで、出雲の肥長比売(ひながひめ)と一夜の契りを結びます。覗いてみると蛇だったので驚いて逃げます。

肥長比売は、船を輝かせて追って来たので、船を山に引き上げて、倭に逃げ帰りました。

皇子がしゃべれるようになったことを天皇は大いに喜び、菟上王を出雲に再び送り、神宮を造らせます。

また、この御子のために、鳥取部(ととりべ)・鳥甘部(とりかいべ)・品遅部・大湯坐(おおゆえ)・若湯坐(わかゆえ)を定めました。



                       100段以上ある富能加神社の石段
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ここの神社が「檳榔(あぢまき)の長穂宮」だったという言伝えもあるようです。

でも、ここは斐伊川の上流ではなく、神戸川の上流に位置します。


この古事記に述べられている話が、興味深いです。

ヤマト王権が出雲大社を造ったものの、その後 遷宮は行なわれず、出雲大神の祟りを招いたということです。


それと、いつも出雲の神様は、対 ヤマトの話では蛇神として登場してきます。

ここでも 覗くと蛇だったというオチです。


きちんと祀っておればヤマト王権の守り神になるが、おろそかにしていると祟るという そういう展開です。


それと、『古事記』の中には、コノハナサクヤヒメの誓約(うけい)の火中出産の話があります。

妻問い婚の時代、生まれてくる子どもが天皇の子どもであるということを証明するのに、産屋に火をつけるというのが、もしや慣例化されていたんでしょうか。



富能加神社拝殿 
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神社参道にあった由緒書

〝創立年代は不詳であるが、永久二年二月再建の棟札のある処から見れば、鳥羽天皇以前に斎祀された事は明らかである。

社伝によれば延喜の御世には社殿も壮厳 にして朝廷の崇敬の篤かったのであるが、

後兵乱の為 衰微し何時の頃からか安谷の星神山の中腹の厳窟に鎮め奉り、麓に拝殿を設けて祭事を執行した。

明治四年 十二月小野神社に代って所原、見々久の産土神社に指定された(見々久は明治十七年六月御崎神社を産土神 社に定められ分離)

又明治四十四年十二月、現在の小野 山麓に移転し小野神社を合祀することになった。



富能加神社 本殿
                          
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星神山ということで、安来の清水寺の前の星神神社を思い出しました。

安来の星神神社は「ほのか姫」を祀っていたと思います。

このほのか姫は、「出雲神社巡拝記」(1833年)で「星宮大明神は保能加神社で祭神はほのかひめの命」だと書かれています。


星神さんは、ここの地方では、『日本書記』に登場する天香香背男(あめのかがせお)ではありません。


星は、「ほのかに光る」ということで、「ほのか」なのでしょうか。

火中出産で「火(ほ)のなか」で ほのか説もあるようですがよくわかりません。



富能加神社 石段 下り 
富能加神社  ~ ホムチワケノミコト 出雲大神の祟り ~_e0354697_17434231.jpg

急な石段です。

行きはよいよい 帰りは恐い。

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出雲国風土記の世界の研究にこの一冊を。


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by yuugurekaka | 2015-08-01 21:06 | ホムチワケ伝承 | Trackback | Comments(0)