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野白神社と田和山遺跡 (五) ~三重の環濠で守られたもの~

田和山史跡公園の外観です。
左の階段を上っていくと 田和山遺跡の頂上に行けます。

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田和山遺跡の特徴は、3重の環濠の中には集落が無いということです。
3重の環濠の外に 竪穴住居や掘立柱建物があることです。

竪穴住居(復元)

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掘立柱建造物(復元)

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弥生時代は、稲作の普及と「倭国大乱」に見られるような戦乱の時代です。
環濠は、敵や獣から集落を防衛するという用途で造られたと言われています。
その他にも、灌漑、貯蔵庫、あるいは、階級差の区分として用途を持っていた
との説もあります。 
詳しくは→ウィキペディア 環濠集落

3重の環濠 右側の建物は松江市立病院です。

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田和山遺跡の頂上は、東西10m、南北30mの平たん地で
5本柱遺構(弥生時代前期末~中期初頭)と
9本柱遺構と柱穴列(弥生時代中期後半)があります。
また山頂は柵で囲まれていました。

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9本柱遺構

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この山頂部がなんなのか、主に二説あります。

①お城のような場所と考えられる説
たくさんの武器と考えられる遺物(石鏃200個以上、つぶて石3000個以上) が
 ※石鏃(せきぞく)・・・石でつくったやじり
周囲の環濠から出土しているのは、戦があった証拠。

②お祀りをした場所と考える説
祭祀に関係した遺物(銅剣形石剣・分銅形土製品・土玉など)が
周囲の環濠から出土している。山頂の柱穴には神様の依代が立てられており、
たくさん出土した石鏃は本当の戦ではなく、儀礼的な模擬戦に使われた。
(出典 松江市教育委員会 発行 2005年版 田和山史跡公園パンフ)

9本柱で、私が真っ先に思い浮かぶのが、出雲大社などの大社造りの神社です。

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自分が思うに、9本柱は、高床式住居であり、神社でなかったのかな。 
その神社には、当時の首長が生活していたのでは?と思います。
首長は、卑弥呼のようなシャーマンがなり 
祭祀施設に住んでいたと想像します。

神社の起源として、磐座とか祠とか一般的には言われていますが
もともとは、石とかではなくて
アメノウズメノミコトのような女性が、神の依代であって
その女神が住む宮殿が、神社の起こりではないかなと 勝手に思っています。

その仮説から考えると、環濠は神と人との「境界」で
今でいう、神社の石段みたいなもののように思えます。
神社の敷地を「境内」と言ったり、
境界そのものが、
首長を守るものであると同時に
宗教的な意味合いとして 
重要だったのではないかと、思ったりもします。

つぶて石のある環濠

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by yuugurekaka | 2015-07-22 18:00 | 野白神社と田和山遺跡 | Trackback | Comments(0)