2014年 08月 27日
天穂日命が天降った郷 支布佐神社
支布佐神社(きふさじんじゃ)は、
天穂日命(アメホヒ ノミコト)を祭神として祀っています。
結構急な石段です。
支布佐神社は、出雲風土記(733年)に載っている古社です。
また、出雲風土記 意宇郡屋代郷(おうぐんやしろごう)の所で
“屋代郷。郡家の正東三十九里一百二十歩の所にある。
天乃夫比(あめのほひ)命の御伴(おとも)として
天から降ってきた、社印支(やしろのいなぎ)らの遠い祖先の
天津子(あまつこ)命がおっしゃられたことには、
「私が清浄の境として鎮座したいと思う社である」と
おっしゃられた。だから、社(やしろ)という。
(神亀三年に字を屋代と改めた。)”
「解説 出雲風土記」 島根県古代文化センター【編】より
と、あります。
支布佐神社
天穂日命ばかりでなく
御伴の天津子命—稲置(いなぎ)というカバネの豪族の祖先ーが
天から降ってきたそうです。
天から降ってきたというと、天から人間が降ってくることなど無い、
神様だから降ってくるのだという論理なのですけど、
そう簡単な話ではないと思います。
出雲の大神ー大国主命は天から降っては来ない。
それは、国津神ということもあるでしょうが
大国主命はもともと出雲の国に居たからでしょう。
そういう観点でいけば、天から降ってくる神様というのは
すべて他所から来た神様ではないでしょうか。
「来訪神崇拝」というのがあり、神様というのは
基本的に他所から来るものなのでしょうか?
民俗学の折口信夫氏は、異界からの訪問者を
「まれびと」(稀人・客人)として神の本質として定義しているらしいです。
→まれびと Wikipedia
そして、常世という海の向こうから来るもの、後に山岳信仰の影響から
天から降ってくるものへと変容したそうな。
また、葦原の中つ国ー地上界、高天原ー天上界という
展開で、国譲り神話が進んでくるので
神様が、船に乗って海から来たというのや
馬に乗って来たというのでは、神話としては
成立しないのでしょう。
支布佐神社 本殿
出雲の国の攻略地点として
鳥取県との県境近くに、大和から移り住んだのでしょうか。
中海にある「穂日島」(ほひじま)など、天穂日命にかかわる伝承が
多い地域のようです。