国譲りの交渉  稲佐の浜

稲佐の浜2
ここは、稲佐の浜です。
写真は、出雲大社に初詣した折、写したものです。
この島は、弁天島。
過去 弁才天を祀っていたものだそうですが
弁才天は、仏法を守る神仏習合の神様だったようで、→ウィキペデア 弁才天
現在は、豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)を祀っています。

豊玉毘古命は、海の神で→ウィキペデア ワタツミ
いわゆる「山幸 海幸」神話の山幸と結婚した トヨタマヒメの親神です。

ここ稲佐の浜に、高天原からの使者 武御雷命(タケミカヅチノミコト)が降り立ち
「葦原の中つ国」の国譲りが、始まったのでした。

人と話していて、よく勘違いが発生していると感ずるのですが、
「葦原の中つ国」の国譲り、つまり、当時の日本全体をヤマト王権に渡せという話なのですが
「出雲の国」の国譲りだと狭く考えられている方が多いと思います。

屏風岩 この岩陰で 国譲りの交渉が行われたと云われています。

屏風岩

国譲りでは、第1段階 天照大神の第二子 天穂日命が派遣されました。
しかし、大国主命に心酔して、
3年経っても 高天原の命令を実行せず 帰ってきませんでした。
ついには、土着化してしまいました。
 
 次に、その子 武三熊之大人(たけみくまのいし)が派遣されますが、
父におもねって帰ってきませんでした。

第3段階に天雅彦(あめわかひこ)を派遣しましたが、
大国主命の娘の下照姫を妻として 
大国主命の後を継ごうとしました。

それで、次は二神 経津主神(フツヌシ)・武甕槌神(タケミカヅチ)
が 派遣されました。
タケミカヅチノカミは、軍神ですので
最終的には、力で 交渉に臨んできたということでしょうか。

それで、大国主命に問います。
「お前は、この国を天神に奉るかどうか」と。

答えて言うには
「あなた方二人の云われることはどうもおかしい。
 私が、元から居るところやってきて、何を偉そうに言うのか。許さん。」

そこで、戻って このことを報告した。
高皇産霊尊(タカムスビノミコト)は、
「今 お前の言うことを聞くと、深く理にかなっておる。
 それでは、条件をそろえてもうしましょう。
 あなたが行われる現世の政治のことは、
 皇孫がしましょう。あなたは幽界の神事をしてください。
 あなたが住む宮居は、今お造りいたしますが
 
 千尋もある栲(たく)の縄でゆわえて、しっかり結び
 造りましょう。その宮を造るきまりは、柱は高く太く
 板は広く厚くいたしましょう。ー中略ー
 また、あなたの祭祀を掌るのは、天穂日命が
 いたします。」

 そこで、大国主命は、その条件を受け入れ
 永久にお隠れになりました。
  ~日本書紀 一書(第二)より~

古事記と日本書紀と書いてあることが
いろいろ違っています。

出雲大社の起源について ヤマト側からの申し出として
書かれているのは、日本書紀 一書第ニです。
古事記では、大国主命からの申し出として書かれています。

稲佐の浜の近くにある因佐神社(いなさのかみやしろ) タケミカヅチノミコトを祀っています。

因佐神社

日本書紀の一書 第一から第八まであります。
出雲大社と、出雲国造の起源は、一書第ニに書いてあります。

あれこれ、読んでいるうちに 更新が遅れました。



[PR]
トラックバックURL : https://yomiagaeru.exblog.jp/tb/23490119
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by yuugurekaka | 2014-08-11 10:21 | 国譲り | Trackback