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曽枳能夜神社 (2)  荒神谷遺跡の近くの神社

曽枳能夜神社(そきのやじんじゃ)拝殿

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さて、この神社の祭神 伎比佐加美高日子命でありますが
出雲国造の祖とありますが
出雲国造の祖といえば 天照大御神の第二子である
天穂日命(アメノホヒノミコト)のはずではないですか、うーん。
いろいろ調べたら、ウィキペデアの出雲国造に書いてありました。→ウィキペデア 出雲国造

第14代の出雲国造 来日田維穂命と同一人物と書かれています。
第11代 垂仁天皇の頃なので、既に国造制度があったと思います。
2000年以上前の話らしいです。
だとしたら、ここの里の首長というよりは、出雲国の首長(今の県知事のような地位)
ではないかと思うのですが、ここの里をあえて 「キヒサの里」と云うのは
ここら辺が祭祀と政治の中心地だったのでしょうか。
となれば、松江の神魂神社の当たりは、その後ということになるのでしょうか。 

神社の境内に磐座があります。


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説明板があります。

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この磐座の祭神は、神魂伊能知奴志之命 とあります。
この神様は、出雲大社境外者の命主神社の祭神と同神カミムスビノカミです。
そして、出雲国造の祖である伎久佐加美高比子之命の祖神と
書かれています。

造化三神と一神は、神様の大元なわけなので
全ての神が、カミムスビノカミの子孫と言えるわけですが
あえて、祖神と表現されるのは
カミムスビノカミという神が、出雲の国では
大国主をずっとサポートしてきた神様ということで
特別な意味があったのではないかと思いました。

しかし、なぜ 遥拝の磐座なんでしょう。
ここから、出雲大社を拝むという理由はなんでしょうか。
ここで拝めば、出雲大社で拝殿したと同じ意味を持つというのは
出雲大社に参拝できない時代があったのではないかと、
勝手に想像しました。
なんらかの事情があって 出雲大社が禁足地であった時代が
あったのでは?

ここの神社が、古事記の垂仁天皇の条に出てくる
「石硐(いしくら)の曾の宮」であるというのが 今一つ
ピンときません。

“アシハラシコヲノ大神を敬(うやま)い祭っている神主の祭場”というのは
出雲国造の先祖なので あてはまりますが、大国主命を参拝した後に、
肥川の河下の青葉に茂った飾り物の山を見て、
垂仁天皇の御子が話したわけですので、
場所からして、今の出雲大社方面のことを指しているように思えるのです。
ここの磐座群が、かつての出雲大社の原初形態だったと考えるには
今の出雲大社と比較して
あまりにも宮の規模が、小さすぎるのではないか。
それで、今一つピンとこないのです。

ちなみに江戸の国学者 本居宣長は、石硐の曾宮は杵築大社ではなく
むしろ那売佐神社ではないかと書いているそうです。
2千年以上前のことなので よくわかりません。

→ 岩坪とスセリ姫 那売佐神社



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by yuugurekaka | 2014-08-05 11:45 | 出雲国造 | Comments(0)