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『相棒』の出雲さん

■ 昨晩の テレビドラマ『相棒』 

テレビ朝日の人気刑事ドラマ『相棒』を毎週観ている。
今回の19シリーズでは、初回、銃撃された白バイ隊員として出雲麗音という役名の女性(後に捜査一課の刑事)が登場している。その時、なんで「出雲さん」なんだろう?と思った。

出雲さんという名字は、出雲地方にあり自分の知り合いに何人か居る。ついでにいうと、同窓生には「大国さん」「物部さん」「神門さん」などあり、もしかして、神様となにか縁のある人かな・・・などと、一瞬思ったこともあった。

しかし、出雲という名字は、全国的にみるとそう多くはない。
ドラマで聞いたこともあまり無い。それで何でだろうと思っていたが、昨晩の『相棒』で謎が解けた。

今回の犯人役(石丸幹二さん)が、インターネットの中の仮想国家(ネオ ジパング)の創設者であるが、その仮想国家ネオ・ジパングを売りにだして、「現代の大国主命」などと、自称していた。
記紀の「国譲り神話」では、大国主命と対するのは、高天原の天神であり、最初に送り込まれてきたのは、出雲国造の祖といわれる天穂日命なのだ。

おそらくそこから、着想して出雲さんになったに違いない。(※ 出雲国造家の名字が、出雲さんではなく、千家さん、北島さんであるということをついでに伝え置く。)

しかし、高天原から派遣されたのが天神の末裔ということになっている出雲国造家(出雲臣)で、大国主命や事代主命などの地神の末裔を総じて「出雲族」と表現するのが、昔から疑問であった。

それと、蛇信仰の出雲族なのに、スサノオノ命がなぜ八岐大蛇を切り殺し、英雄になるのかというのが、子ども心にもずっと疑問だった。

■ 富家伝承の出雲臣

古代史の通説として、出雲臣=出雲国造家とほとんど書かれている。しかし、富家伝承の本を読むと、出雲という姓氏は、もともと事代主命を祖とする富家が賜った姓氏で、出雲国造家と婚姻関係の結果、国造家も出雲臣を名乗るようになったと書かれていて、たいへんびっくりしたが、そうかもしれないと思うようになった。こうなると出雲臣=天神でも地神でもない。

出雲臣といっても、いろいろな系統があって当然である。
たとえば、兵庫の但遅馬国造家であるが、天日槍命始祖と思っていたが、開化天皇裔、火明命系の二祖が派生し、しまいには孝徳天皇を奉ずる日下部氏となるという、複雑怪奇なる系譜が古い家柄の氏族の特徴なのに、出雲国造家にいたっては表面上、天穂日命を祖とする純然たる一系
とされているのが不自然のようにも思われる。

自分のブログを知人に見せたら、「難しくてわからない、過去からさかのぼって読めばわかるか。」と聞かれて反省した。
一から読んでもわかる記事をと思い、「そもそも古代出雲」というのを書き始めた。



# by yuugurekaka | 2021-03-11 17:18 | 富家伝承 | Trackback | Comments(0)

闇見国(くらみのくに)

『出雲国風土記』(733年)によれば、島根半島に、出雲国風土記よりも前の時代には、闇見国(くらみのくに)ができていた。


"また、「北方の良波の国(えなみのくに)を、国の余りがありはしないかと見れば、国の余りがある。」とおっしゃられて、童女の胸のような鋤を手に取られ、大魚の鰓を衝くように土地を断ち切り、割き離して、三本縒りの強い綱を掛け、霜枯れた黒葛を繰るように、手繰り寄せ手繰り寄せ、河船を引くようにそろりそろりと「国来、国来」と引いて来て縫いつけた国は、宇波折絶(うはのおりたえ)から闇見(くらみ)がこれである。"(島根県古代文化センター編『解説 出雲国風土記』 今井出版)

良波の国というのが、どこかわからないが、隠岐島のどこかか?ともかく、闇見国があったようだ。

その闇見国の中心の場所とも言える、中海沿いの谷間に久良彌(くらみ)神社が鎮座している。この久良彌(くらみ)神社は、式内社・久良弥神社に比定される神社である。

久良彌(くらみ)神社 本殿  島根県松江市新庄町994  
祭神 闇於加美神 速都牟自別神

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この久良弥神社の「くら」であるが、暗闇ということではなく、「谷」の古語だと云われている。
"谷は山と山とがせまりあった窪みを意味し、典型的なV字の象徴物である。「クラ」は谷の古語とも言われている。"(『日本古代呪術』吉野裕子 講談社文庫)

そこから派生して、「神座」(かみくら)、磐座(いわくら)、幣(みてぐら)と言う言葉がある。神座、磐座は、漢字の意味から、神が降りる座あるいは依代(よりしろ)と理解されてきた。

『古事記』(712年)には、「くら」の名前がついた神が、四柱登場してくる。

①天之闇戸神(あめのくらどのかみ) 山の神と野の神との間に生まれた神で渓谷の神
②闇於加美神(くらおかみのかみ)  渓谷の水をつかさどる神
③闇御津羽神(くらみつはのかみ)  渓谷の水をつかさどる神
④闇山津見神(くらやまつみのかみ) 谷山をつかさどる神


谷に鎮座している 久良彌(くらみ)神社

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②から④の神が、イザナミの黄泉平坂の神話に登場してくる。イザナミは火の神カグツチを生み、亡くなった。イザナギから切られたカグツチの血が、手の股からしたたり落ちてきてできた神が、②と③。④の神は、死んだカグツチの亡骸から陰(ホト)になった神である。

"手の股、陰(ほと)もV字型の象徴である。V字型は三角形に近いもので、今日でも沖縄では三角形は女性のそれをあらわすものとされている。"(『日本古代呪術』吉野裕子 講談社文庫)

『古事記』の記述から考えると、女陰(ホト)→「クラ」になったとしか思えない。

参考文献 『日本古代呪術 陰陽五行と日本原始信仰』吉野裕子 講談社文庫



# by yuugurekaka | 2021-03-04 14:33 | 出雲国風土記 | Trackback | Comments(0)

売布(めふ)神社と林郷

古代は、当然ではあるが、自動車も無く移動の手段の主なるものは、船であったと思われる。
玉造の勾玉も全国で発見されるが、歩いて持ち運んだということよりも、むしろ船で運んだと考える方が自然である。
現代人の感覚から物を考えると現実とは違うことも多々あるのではないかと思う今日このごろだ。

林古墳群のある宍道湖ふれあいパークから見える鼻高山附近    写真が間違っていまして、替えました。

売布(めふ)神社と林郷_e0354697_08581191.jpg


松江市の市街地にある売布神社は、奈良時代には林郷(拝志郷)にあったという伝承がある。
「古代出雲への道」 更新しました。→ (6) 売布神社 拝志郷

かなりの距離の移動だ。
しかし、売布(めふ)神社のみならず、たいがいの神社の場所は変わっている。
現在の神社の位置から、古代を想像すると何かしらの間違いも発生するのではないか。

伝承では、玉造の近くの鏡近くにあったそうである。
近くには、約50基の古墳がある林古墳群がある。古墳の形状の構成が面白い。
ほとんどの古墳が小さな円墳であるが、最も大きな古墳が8号墳で、唯一の方墳である。

林古墳群  画像出典『玉湯なんでも大事典』(玉湯町教育委員会発行)

売布(めふ)神社と林郷_e0354697_09484291.jpg

そして、出雲国で最初の横穴式石室とされている43号墳が前方後円墳で、その近くに3基の前方後円墳ある。(計4基の前方後円墳)
古墳時代にどういう氏族が分布したのか、奈良時代の状況から、円墳でない古墳が出雲臣、林臣と仮定するのはたやすいが、氏族分布も古墳時代そのままであったのかどうかそれも定かではない。

歴史は動く。氏族分布も変わっていても不思議は無い。


# by yuugurekaka | 2021-02-28 10:40 | 賣布(めふ)神社 東遷の謎 | Trackback | Comments(0)

言向け

高群逸枝氏の『母系制の研究』の一節である。この『母系制の研究』は、『姓氏録』の分析をしたものであり、1938年(昭和13年)6月4日に世に出た、つまり戦前に発表された書物である。

我国には、征服の語に相当する古語がない。征服、征伐、征平等の文字を、わが古語では、コトムケ、コトムケヤハス、ヤハスなどと訓んでいる。コトムケは言向(ことむ)けであり、ヤハスは和(やは)すである。
それは他を征服するのに説得や宣伝が本旨とされたこと、もしくは少くともそうした言挙げ(名目)が必要とされたことを示す証左とはならないだろうか。私は血縁原理の社会は排他的だと考えていたが、古代を研究にするにしたがって、むしろその逆ではないかということに気がつきはじめている。血縁時代では、ふしぎなことに血縁感は却って漠然としており、すべての人間を同祖から出たものと信じる傾向さえある。人間のみではなく、山川草木鳥獣の類さえ同胞視する。
この血縁原理の感情をもととして族制がかためられ、氏族かっら氏族聯合にまで発展したときには、これが宗教的教義とさえなり、征伐行為にまで利用されてくるのではなかろうか。〟(高群逸枝『母系制の研究 (下)』 講談社文庫)

自分も明治大正の血縁原理に対する嗚咽感から、血縁原理は排他的で嫌な物と既定していたが、氏族系譜の勉強するにつれて、そうではなくて、むしろ血縁原理で抱合するような社会が日本の古代国家の作られ方、つまり「家族共同体国家」でなかったのかと思う。

だから、氏族系譜の見方として、血統書付きの動物の如く、「純血度」が重要ではなくて、むしろ、「混血度」の方が重要ではないかと思うようになった。出雲族VS物部族とか、国つ神VS天つ神という原理にこだわっていると、かえって歴史の真実からそれてしまうのではと。

例えば、出雲大社別火家のように、物部氏でありながら大国主の子孫という氏族を考えると、高群逸枝氏の言うような血縁原理で抱合してしまう治め方というのにたいへん納得してしまう。



# by yuugurekaka | 2021-02-26 12:39 | Trackback | Comments(0)

向山古墳群 米子市

向山古墳群の岩屋古墳の前から見える夕暮れの日本海の景色が絶品である。
秋に行ったので柿の実が見える。向こう側は、島根半島だ。

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向山古墳群は、鳥取県米子市淀江町福岡にある古墳群であり、大きな古墳は前方後円墳である。間に方墳や円墳がある。

向山古墳群のパンフレットより 
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古墳の形が前方後円墳というだけで、ヤマト王権に牛耳られた出雲族みたいに言う人がいるが私は違うと思う。
出雲国での古墳の形状でも、混在している場合も多く、方墳が一番大きい場合もある。
なんらかの系統を表わしたものと思えるが、古墳時代になると出雲族のいくつかは前方後円墳も作ったのではないのかなあ。

岩屋古墳の石室の入り口
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大きな造り出し部が付けられた古墳が多い。


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岩屋古墳 出土品の水鳥埴輪と武人埴輪  上淀白鴎の丘展示館

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# by yuugurekaka | 2021-02-23 15:50 | 古墳 | Trackback | Comments(0)