■肥前国の能美郷の由来

因幡国以外の能美郷には、どんな意味があるのか。『肥前国風土記』には、『能美』の由来が書かれている。

 "能美の郷。 郡の役所の東にある 昔、纏向の日代の宮で天下を治めになった天皇(景行天皇)が、行幸になった時に、この里に土蜘蛛が三人いた。兄の名は大白、次兄の名は中白、弟の名は少白である。この人らは、とりでを造って隠れ住み、降服を承知しなかった。そのとき、天皇の従者、紀の直らの祖先の穉日子(わかひこ)を遣わして、罰し全滅させようとなさった。それで大白ら三人は、ただ、頭を地につけて、自分達の罪を述べて、ともに命乞いをした。これによって能美の郷という。"(中村啓信 監修・訳注『風土記 下 』角川ソフィア文庫)

纒向日代宮跡(まきむくひしろのみやあと)  奈良県桜井市

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それで肝心の能美であるが、「頭を地につけて」という所が、「叩頭(のみ)て」で、「能美」の由来だそうだ。
一般的には叩頭(こうとう)と読み、高度な忠誠と尊敬の念を表す礼儀作法の儀礼のようだ。

「肥前国風土記」の他の地名由来を見ると、景行天皇の巡行ー土蜘蛛の制圧というのが多いのに気づく。「出雲風土記」では、景行天皇に由来するのは、出雲郡建部郷だけのように思う。
土蜘蛛は、朝廷・天皇に恭順しなかった土豪たちを示す名称である。出雲族も、崇神ー垂仁天皇時代においては、似たような立場であると思う。
もしや、国の盟主から滅ぼされて、ついには頭を下げて、忠臣になるという、そういう意味あいが、「のみ」にあるのかな?などと思いが浮かんだ。


by yuugurekaka | 2017-11-29 22:50 | 野城大神

■切川神社の御由緒

『神国島根』(島根県神社庁 発行 昭和56年4月29日発行)の切川神社の御由緒を読んでいて、おやっと思えるところがあった。
「もと能美神社と称し祭神は野見宿禰命菅原道真公の二神なり。」「此の辺地名を天神原と申して野見宿禰命の霊所と言い伝う。昔御領地にて能義郡と言う説古書に見えたり。

切川神社(きりかわじんじゃ) 島根県安来市切川町1150番 
主祭神 野見宿禰命・菅原道真
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これだけの文章だと、「御領地」は、だれの御領地(直轄地)と解するかわからないが、文書の流れから考えると野見宿禰の御領地で、野見郡→能義郡となったのではないかと、思える。

切川神社本殿

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『出雲鍬』(18世紀中頃)の能儀郡の箇所で「能儀郡ト云ハ 或書二能美郡トカケリ、予按二義ト美トハ同内相通ナレハニヤ、但両字の形ヨク相似タレハ後写ノ誤カ、然共延喜式ニモ須カ和名抄ニモ能義郡ト書タリ、去ハ義ノ字二シタカハンモノ也、古者意宇郡ノ中也ト見タリ」
また、『雲陽誌 巻之四』(1717年)には、「能義郡 或書に能美之郡に作、義と美と相通なれはにや、按に兩字の形よく相似たれは後寫のあやまりならむか」「古老相傳松井村に野城明神の社あり、是をもつて郡の名とせり」

つまり、能美郡(のみぐん)は、「のぎぐん」とも読む、「美」と「義」の両方の字は、似ている、能義は写し間違いなのかとの説もある。また、古老の伝承では、能義神社の野城大神(のきのおおかみ)から、のぎぐんになったということとも。

『和名類聚抄』の郡名の記載

平安時代中期に作られた辞書『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)の能義郡記載の箇所を見ると、出雲国の郡名のみ表記のところには、「能義郡」と記載してあり、読みなのか?小さく「乃木」と書かれてある。ああ やっぱり能義郡なのかなと思いきや、郷名記載の場所には、「能美郡」と書かれてある。ええっ? 国立国会図書館デジタルコレクション 和名抄
四巻第七にはこのようになっている。

能美郡

  舎代 安來 楯縫 口縫 屋代

  山國 母理 野城 賀茂 神戸


郷名に「野城郷」がある。それが郡名の由来なら、郡名は「野城郡」のはずだと思う。なぜならば、「出雲郡」「飯石郡」には、郷名にそれぞれ「出雲郷」「飯石郷」がある。郡名と名を違う漢字で書く必要もない。おそらく別の意味があったのだろうと思う。


出雲

  建部 漆沼 河内 出雲 許筑

  伊勢 美談 宇賀

飯石

  能石 三屋 草原 飯石 多禰

  田井 須佐 波多 


■各地の能美郡・能美郷

能美郡は、出雲国だけではなく、石川県南部の加賀国にもある。加賀国は、弘仁14年(823年)に越前国から分離したものだ。

能美郡

  野身郷・加美郷・也万加美郷・也万之多郷・兎橋郷


ここも野身郷から由来して能美郡となったとする説があるが、はたしてそうなのであろうか。

ここの野身郷にしても能美郡にしても、野見宿禰に関係しているとは式内社の祭神からもどうも思えない。


他に、この「能美」の漢字を当てた郷名が古代地名に存在する。   


因幡国高草郡能美郷   現 鳥取県    

安芸国豊田郡能美郷   現 広島県

肥前国藤津郡能美郷   現 佐賀県


それで、野見宿禰に由来しているかと調べると、確認できるのは式内社大野見宿禰命神社(鳥取市徳尾)が存在する因幡国高草郡能美郷のみである。だから、ここ出雲国能美郡が、野見宿禰に由来しているという説があっても不思議はないと思うのである。


by yuugurekaka | 2017-11-19 08:26 | 野城大神

■野城の大神

安来市の能義神社(のきじんじゃ)であるが、出雲路幸神社以上に、謎の神社である。
そもそもの能義神社の祭神、野城大神という出雲国四大神(所造天下大神・熊野大神・佐太大神・野城大神)の一柱であるが、どういう神なのかはっきりしない。旧能義郡だけではなく、現在の松江市市街地の西部の野白(のしら)神社、野代神社などの、「野白」「乃白」「乃木」の地名もあり、古は、おそらく「野城大神」(のきのおおかみ)を祭っていたのだろう。当然、現在の神社の祭神は、猿田彦命であったり、もともとの祭神とは違う。

旧能義郡の安来市 能義神社の現在の祭神は、天穂日命である。
しかし、昔からずっとそうかと言えば、違うようである。江戸後期の『出雲神社巡拝記』には、「たかみむすび命」とある。むむっ、出雲路幸神社の宮所は、元は天神社で、菅原天神ではなく、少彦名命を祭っていたという話だから、その父神ということで、高皇産霊尊なんだろうか?

また、『出雲鍬』(18世紀中頃)には、〝出雲風土記鈔曰、大穴持命ト記セリ、俗伝二曰、此社野見宿祢ト云人アリ〟と、あり、表向き天穂日命であるが、実にいろいろな説がある。

能義神社本殿  島根県安来市能義町366

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富家伝承本『出雲と大和のあけぼの』(大元出版)によれば、野城大神は、サイノカミ三神のうちの女神(つまり幸姫)というらしい。
となれば、幸姫に由来する場所に、「のしろ」あるいは「のき」の類の地名があっても不思議はない。

出雲と石見の境界に三瓶山という山がある。出雲国風土記では「佐比賣山」と云う女神山である。いわゆる幸姫だ。だとしたら、三瓶山の周りに、野城に由来する地名があるのではないか?と、調べると、「野城」(のじろ)という地名があった。

日御碕方面から見た三瓶山  

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が、しかし、この「野城」という地名は、明治8年(1875年)、円城寺村・市野原村が合併して野城村となったものである。たいへんがっかりしたが、気を取り直して、『角川日本地名辞典』を見ると、ここの合併して発生した「野城」とは別に、中世に「野城」といった地名があったと書かれていた。


by yuugurekaka | 2017-11-12 08:00 | 野城大神

■ どこの鬼門にあたるか 

京都の出雲路幸神社は、京の御所の鬼門封じということだった。出雲国の出雲路幸神社の南西はどこか?と考えると・・・。
あっ 月山 富田城(とだじょう)がある。
中世の出雲国の中心は、現在の松江城ではなく広瀬町の富田城なのだ。

富田城跡のある月山 

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もしかしたら、狭井の社は、富田城の鬼門の守りとして、出雲路幸神社として、遷宮されたのかしら。
まあ 想像でしかない。
飯梨川自体が、北東に流れているので、能義神社も概ね北東である。
たんに宗教上の意味だけでなく、戦国時代には寺社が、急きょ本陣や宿営地となる。そういう実体上の守りの意味もあったという。

■ 京都の賀茂神社

出雲路幸神社の東側の神社を見ると、京都由来の神社が多いことに気付く。安来町の賀茂神社、赤崎町の貴布祢神社、利弘町の賀茂神社などである。

グーグルアースの地図

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貴布祢神社であるが、ご由緒によれば、「醍醐帝の御世延喜二〇年、山城国愛宕郡より後背の足引山に勧請」とある。延喜二〇年とは、920年であり、平安時代である。安来の賀茂神社は、「宝亀九年この地の人藤原実重・元重なるものが供物として雲州の物を度々献上して、勧請した」とあり、これは778年であり、もっと古い。利弘町の賀茂神社については「白鳳年中に国中天災地変続発して止まず、平治の為に勧請」とあり、白鳳時代となると7世紀後半から8世紀初めで、さらに古い。

賀茂神社鳥居  島根県安来市安来町安来541 
祭神は、別雷神、神日本磐余彦命
 
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和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)(931年 - 938年)は、平安時代中期の出雲国「能美郡」(美は義の写し間違いというのが通説であるが・・・)の郷名に「賀茂郷」と「神戸郷」が別々に載っているところを考えると、賀茂郷はおそらく、京都の賀茂社(安来町宮内の糺神社との関連もあるので たぶん下鴨社)であって、神戸郷は、出雲風土記に見られる賀茂神戸(奈良の鴨社ー鴨都波神社あるいは高鴨神社と云われている)だろう。京都の鴨と奈良の鴨で、頭の中が混乱しそうである。

賀茂神社 拝殿  島根県安来市利弘町521 
主祭神は、神日本磐余彦命

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■ 意多伎神社(おたきじんじゃ)

能義神社からすぐ東に行った所に、その神社はある。出雲風土記にも記載のある古社だ。創立年代は、不詳であり、勧請したものとは違う神社で、京都とはなんの関係もない神社だと思っていた。しかし、この「おたき」の読みは、どこか聞き覚えのあると思っていたが、京都の出雲郷があるのは、愛宕郡(おたぎぐん)というところである。愛宕山(あたごやま)から、由来して、愛宕郡となったと思う。でも、愛宕(あたご)というのは、丹波国の阿多古神社(亀岡市の愛宕神社)の阿当護神を勧請して、後から愛宕になったようにも思われる。(→ウィキペディア 愛宕権現 

もしや、愛宕郡となる前は、意多伎郡でなかったのだろうか? 
イザナミと火の軻遇突智を祭っており、火の神を生んだために母親であるイザナミを亡くならせたということで「仇子」(あたご)とよばれ愛宕となったとする説(本居宣長『古事記伝』)もあるが、よくわからない。

意多伎神社 鳥居   島根県安来市飯生町679

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ここの「おたき」であるが、意多伎神社の御由緒によれば、「意多伎は於多倍(おたへ)で、食物を多布留(たふる)の義であり、これも穀物に関連する意味であろう。」(『神国島根』)ということである。また、「オタベ」は古語で
物を食べるという意味とも『平成祭データ』に書かれている。となれば、愛宕郡もそういう食べ物のことに由来したのかもしれない。

出雲国風土記(733年)に「意陀支社」が二社あり、ここの地域の地名由来が書かれている。

飯梨郷(いいなしのさと)
〝郡家の南東三十二里なり。大国魂命、天降りましし時、ここに於て御膳食し給いき。故に飯成(いいなし)と云う。神亀三年(西暦726年)に字を飯梨と改む。

ここの祭神『大国魂命』であるが、『大国主命』と名前が似ているので、大国主命とされることが多いが、在地の神なのに「天降りましし時」というのが、どうもなじまない。それに出雲風土記では、大国主命のことを「所造天下大神命」としていて、ここは違うと思う。
私は大国魂命』とは、京都府宮津市の籠神社祭神、天火明命だと思う。『日本書紀』崇神天皇のところで、大物主神と倭大国魂神(大和神社祭神)の祭主をそれぞれ大田田根子命と市磯長尾市にしたところ、うまくいったという記述、つまりは子孫を祭主にしたということだ。市磯長尾市は、倭直の遠祖である。古代豪族 海部氏がこの辺りにもいたのだろうか?

意多伎神社 拝殿

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ここの神社は狛犬ではなくて、おいなりさんだ。ここの地名は現在飯生(イナリ)であるが、奈良時代に「飯成」と書かれてたのでもともと、稲荷神社の「いなり」の関係があったのではないかと思われる。稲荷神社は、どこの神社の境内でよく見ることができ、後から奉祭されたものが多いが、その本源地である京都の伏見稲荷大社の創建は、かなり古い。深草の秦氏族が、和銅4年(711年)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し、伊奈利社(現・伏見稲荷大社)を建てたということになっているが、『日本書紀』欽明天皇が即位(539年?または531年?)するまえに山背国紀伊郡深草里の秦の大津父の話が出ているので、秦氏の奉祭した神社はもっと古くからあったのかもしれない。→ウィキペディア 稲荷神 

稲荷神が、食物神の宇迦之御魂神と同一視されたとも云われているが、出雲風土記から見るに奈良時代には既に農業の神と食物の神との習合が始まっていたように見える。あれこれ考えると、京都一帯に地盤をもっていた秦氏との関連も考えられる。

さて、本題のなぜ京都の出雲路幸神社と同名の神社があるのかとの疑問であるが、この地域がかなり古い時代より、京都と関連があった場所であったことが一番考えられる理由である。サイノカミの社というのは全国にあり、出雲路幸神社の神徳というか、縁結びと鬼門封じ(封じというよりは、幽界と現世の架け橋の神のような気がする)は、出雲路幸神社だけでなく、サイノカミの社の特徴だと思われる。
そういえば、出雲大社の大国主命が、縁結びの神と同時に、「幽冥主宰大神 」(かくりごとしろしめすおおかみ)とも呼ばれるのは、サイノカミの神徳を体現しているのかもしれない。


by yuugurekaka | 2017-11-05 19:38 | 塞の神