宇賀郷(うかのさと)の綾門日女命(あやとひめのみこと)は、
神魂命(かみむすびのみこと)の御子です。

出雲風土記では、「神魂命」ですが
古事記では、神産巣日神、日本書紀では神皇産霊尊と表記されます。

古事記では、天地開闢(てんちかいびゃく)のとき,高天原に出現した造化3神の1神で
性別はなく、独身のまま子どもを生まないとなっていますが、
出雲風土記(733年)では、たくさんの御子が登場してきます。

生馬神社(東) 島根県松江市東生馬町235

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生馬神社(東)は、神魂神の御子「八尋鉾長依日子命」(やひろほこながよりひこ)を祀っています。
西方に生馬神社がもう一つあり、なかなかわかりにくい所に鎮座しています。 →生馬の里 ガイドブック

法吉神社 島根県松江市法吉町583

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宇武賀比売命(うむかひめ)を祀っています。古事記では、蛤貝比売となっており、
大国主命を助けた、いわゆるハマグリの女神です。

加賀(かか)神社 松江市島根町加賀1490

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枳佐加比売命(きさかひめ)を祀っています。佐太大神を生んだ女神でもあり
大国主命を助けた 赤貝の神です。

朝山神社 出雲市朝山町1404

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眞玉著玉之邑日女命(またまつくたまのむらひめ)を祀っています。
大国主命が妻問いした姫神です。

この他の神魂命の御子としては、
天御鳥命(あめのみとり) が、 楯縫郡(たてぬいのさと)で 登場します。
出雲国造の祖とも言われる 天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)と同神説もあります。→ウィキペディア 建比良鳥命

都牟自神社 出雲市斐川町福富133

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祭神は、薦枕志都沼値命ですが、風土記 出雲郡漆沼郷に登場する
神魂命の御子 天津枳値可美高日子命(あまつきちかみたかひこ)と同じ神名とされています。

こうして調べると 出雲の国や古事記の記載(スサノオノミコトや大国主命を助ける)では
ものすごい存在感です。
でも、その割には、神魂命を主祭神として祀っている神社が
出雲の国にも、全国的にも少ないです。それは、なんなのでしょうか。

神魂命を祀っている 出雲大社境外摂社 神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)

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それと、イザナギノミコト・イザナミノミコトの国生みの神より
はるかに古い神なのに、その娘が、大国主命の奥さんに 二神なりますが
どうも時代のつじつまがあいません。
実際は 神魂命の御子というより、一つの族というか、系統を表しているのでしょう。

修造中の出雲大社 (2015年8月下旬)

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赤い矢印は、宗像三女神の多紀理比売命(たぎりひめのみこと) を祀っている
筑紫社とも呼ばれてる神魂御子神社ですが、
延喜式神名帳(927年)でも、「神魂御子神社」となっているようです。

確か宗像三女神というのは、スサノオノミコトと天照大神の誓約の時
生まれた神です。さらに古代にさかのぼれば神魂命の御子なのかもしれませんが
そうなると、出雲の神々は 全部 神魂命の御子というように表現が可能となります。
決して そういうことではないでしょう。

もしや、神魂命は、海人系の神で、西方より 寄りくる
来訪神ではなかったのか?と 直感的に思いました。

by yuugurekaka | 2015-09-22 13:10 | 出雲風土記

宇賀郷(うかのさと)には
出雲風土記(733年)によれば『黄泉の坂・黄泉の穴』があります。

北海の浜に磯がある。名は脳磯(なづきのいそ)。
高さ一丈ばかり。上に生えた松が生い茂り、磯まで届いている。
邑人が朝夕に往来しているかのように、
また木の枝は人が引き寄せたかのようである。
磯から西の方に窟戸(いわやど)がある。
高さ・広さはそれぞれ六尺ばかりである。
窟の中に穴がある。人は入ることができない。
奥行きの深さは不明である。
夢でこの磯の窟のあたりに行くと、必ず死ぬ。
だから、土地の人は古より今にいたるまで、黄泉の坂・黄泉の穴と名づけている。
                  『解説 出雲風土記 』島根県古代文化センター編より

ここの「黄泉の坂・黄泉の穴」と比定されているのが
猪目町の猪目洞窟です。
しかし、最近は、郷土史家の研究で、この猪の目洞窟ではなく、
鷺浦(さぎうら)と鵜峠(うど)の境界にある洞窟ではないかと言われています。→黄泉の穴考 たいしゃ情報壱番地

猪目湾

猪目洞窟の反対側にも洞窟があるようですね。

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猪目洞窟の近くには、海水浴場があります。
美しい風景です。
小さなお子さん連れの家族が、海水浴を楽しんでいました。

昔初めて、ここへ来るのが怖かったです。
“夢でこの磯の窟のあたりに行くと、必ず死ぬ。”
などと書かれているからです。
でも、そこで住んでおられる人たちがおられるので
そこへ行ったからといって何か起きるわけがありません。

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いよいよ猪目洞窟にたどり着きました。
黄泉の国の入り口になぜ漁船が?と思われる方もおられるかもしれませんが
ここの洞窟は、1948年(昭和23年)10月、漁船の船置き場として拡張工事をした時に、
堆積土を取り除いたときに発見された洞窟です。

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この洞窟は「海蝕洞」で、洞口は東に向き、幅36メートル、
高さ中央部にて約12メートルで、奥に進むにしたがって
狭くなっているそうです。

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縄文時代から古墳時代にかけての埋葬や生活を物語る遺物が
数多く発見されており、土器類、貝釧(かいくしろ)、木製品などのほか、
人骨十数体分も発掘されたそうです。  出典→猪目洞窟遺物包含層 コトバンク 

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洞窟とは、暗くどこにつながっているかわからない、
つまり、黄泉の世界への入り口という発想をしまいがちですが、
大国主命と少彦名命が、仮住まいしていたという伝承の「静之窟(しずのいわや)」も→Wikipedia 静之窟
海蝕洞で、長さが約45mもあります。

長い海蝕洞が一概に 黄泉の世界につながる穴というわけではないのでしょう。
横穴ではなくて、下に降りていく穴の方が、下に落ちて行く恐怖感を抱かせますし、黄泉の穴だったのではないでしょうか。


by yuugurekaka | 2015-09-04 22:08 | 出雲風土記