2000年当時の田和山  松江市教育委員会発行パンフより(2005年8月版)   
※ 野白神社跡地は、後方の樹木におおわれた場所にあります。

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尼子・毛利の戦国時代まで 野白神社のあった田和山は、
江戸時代までは、舳田(ともた)山と呼ばれていました。
それゆえ、野白神社の神様は、友田大明神あるいは舳田大明神とも言われています。
舳とは、今 船首の意で「へさき」に使われていますが、昔は 船体全部を意味していたようです。
しかし、船尾を艫(とも)と書きますが、舳田を「ともた」 と読ませるんでしょうか。

現在は、史跡 田和山と、「自然学習の森」の二つの山になっていますが
パンフレットの写真のように、元々は一つの山です。
真上から見ると、船首のような形に見えます。回りを水田がおおっています。
一説では、その形状から、舳田山と呼ばれるているらしいのですが、
ヘリコプターのような上から見れば 、確かに船の形ですが
地上から見ると、よくある小山にしか見えません。
だとすれば、他所にも舳田山という山があってもいいような気がします。

史跡公園のガイドさんになぜ田和山は
昔 舳田山と呼ばれたのか お聞きしました。
大昔、田和山の周りは、田下駄を履くような湿田、深水田で 
宍道湖とつながっており、船が水田や宍道湖を行き来したのではないかと。
(近くの雲垣遺跡で、弥生中期後半の稲刈り田下駄も出土しています。)
この話が山の形状の話より、しっくりします。

夕暮れの入海(宍道湖)

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この田和山は、ちょっと北に行くと、すぐ宍道湖の南側です。
宍道湖の対岸の北側の西方に「艫田(ともた)大明神」(艫取大明神とも云われる}を祀る社が
二つあります。ここでは、船尾の「艫(とも)」の字になっています。
そして、二つの神社共に 猿田彦命を祀っています。

艫田神社(ともたじんじゃ) 多太神社 飛地境内社
 松江市岡本町友田1090  松江警察署秋鹿駐在所 隣 

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神社の前の説明書きに 国譲り神話での由緒が書かれていました。
以下 抜粋。
「— 前略 —
 その時、事代主命は出雲国三穂ノ崎(美保関)にて釣りなどを
 業(なりわい)としておりました。そこで熊野の諸手船を以って
 大己貴命(大国主命)は使者 稲背脛命(いなせはぎのみこと)を
 三穂ノ崎に遣わします。
 猿田彦命はその熊野の諸手船に乗り、その御船の艫(とも)取りて
 この所に着きました。故にこの地を艫田(ともた)というとあります。」

猿田彦命は、ここでは、船頭さんのような役割です。
そして、船着き場のようなところが、艫田のようです。

奴多之神社(ぬたのじんじゃ) 松江市大垣町名原   内神社境外社

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ひっそりと 田んぼの奥の小山の麓にありました。
山陰では珍しい両部鳥居でした。
大昔の神社が そのままあるのではないかと錯覚するような
神秘的な雰囲気がただよう境内です。

奥原碧雲著 島根県秋鹿村誌(大正11年)によれば
“由緒 
 社記二古老傳トテ曰ク、高姫命女嵩野山二降臨ノ時 
 猿田彦命ハ躬ラ船ノ艫ヲ取リ給ヒテ、
 大神ヲ導キ給ヒタリ、カクテ高姫命ハ女嵩野山二命ハコノ地二
 鎮リ座セリ ー後略ー”

高姫命とは、出雲攻略として高天原より遣わされたアメノワカヒコと結婚した
大国主命とタキリビメの娘で
古事記では下照比売命と呼ばれる姫神です。

猿田彦命はここでも船の艫(とも)をとり
大神をお導きになられて(大神とは、ここでは高姫命か?)
後に 高姫命は嵩野山に、猿田彦命はこの地に鎮座されることになったと言います。

奴多之神社 お猿様

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ここでは、柏犬(こまいぬ)ではなくて お猿様でした。

奴多之神社 猿坐像

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本殿の下には、たくさんの猿坐像がありました。
猿田彦命を祀っているので、猿ということなのでしょうが、
そもそも、猿とは、伊勢大神の使いなのです。(日本書紀 皇極天皇記)

松江市では、
艫田大明神あるいは舳田大明神は、イコール猿田彦命であり
船で導く神様であったのです。


by yuugurekaka | 2015-06-30 21:48 | 野白神社と田和山遺跡

野白神社本殿

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野白神社の拝殿の右横には、いわゆるオカメ、お多福こと、
アメノウズメ(古事記では天宇受賣命)のお面があります。
概観としては→wikipedia アメノウズメ

最古の踊り子で芸能の神として祀られていると同時に、元祖巫女とも
言われております。

古事記、日本書紀では、天の岩戸神話と
天孫降臨神話に出てきます。
天の岩戸神話とは、
“天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、
神々は大いに困り、
アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、
背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、
女陰をあらわにして、低く腰を落して足を踏みとどろかし、
力強くエロティックな動作で踊って、八百万の神々を大笑いさせた。
その「笑ひえらぐ」様を不審に思い、
戸を少し開けた天照大神に「あなたより尊い神が生まれた」と
ウズメは言って、天手力雄神に引き出して貰って、再び世界に光が戻った。”
という話です。(Wikipediaアメノウズメ より引用)

この神話は、一般的に、日食や冬至、などと解釈されております。
しかし、アメノウズメの、本来的役割の「ウズメ」は何なのでしょう。

葬儀のウズメ

還し矢で果てた天つ神 アメノワカヒコの葬礼で
ウズメの役割分担が出てきます。
“カワカリをきさり持ちとしての、サギをははき持ちとしての、カワセミを御食人としての
スズメを碓女(ウズメ)としての、キジを哭き女としての、それぞれの鳥たちの受け持ちを
定めて”(「古事記 神代篇 」 三浦佑之  訳・注釈)

葬儀の分担で なぜ鳥なのだろう。
古代 風葬であったようで もしや 鳥が巫女のごとく見えたのではあるまいか?

この葬礼は何か?
“古代人は生から死へ移行する境目に死者の復活儀礼をおこなった。
 死体が腐敗してはじめて、魂は死の国に旅立っていく。それまでは死者は
生き返る可能性を持っていると考えられていた。”

“これについては松前健が『日本神話の新研究』の中でー中略ー『折口先生は、これ等の葬礼の儀式には鎮魂の意味が
あると言われている。即ち掃持は、玉ハハキ(霊魂用の箒)で離散した魂を掃き集める者、
春女は生成の呪術として臼をつく女、御食人は食物の有する活力で死者の蘇生を図ろうとする者(枕飯の起源)で
また八日八夜の遊びは、魂の蘇生を図る手段であると説かれる』”
(谷川健一 『日本人の魂の行方ー古代日本と琉球の死生観』より)

つまりは、(アメノ)ウズメのいる所 死者の復活儀礼のようです。
天の岩戸神話も、アメノウズメの踊りによって、お隠れになった天照大神が
復活した話と読むことができるのではないでしょうか。

拝殿のアメノウズメ
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猿女の鎮魂

今日では「鎮魂」の語は、死者の魂(霊)を慰めること、
すなわち「慰霊」とほぼ同じ意味で用いられていますが、
元々は、
生者の魂を体に鎮める(安定させる)儀式を指すものです。
神道では、生者の魂は不安定で、放っておくと体から遊離してしまい
魂が弱くなると考えるのです。
これを体に鎮め、繋ぎ止めておくのが「たましずめ」であり、
「たまふり」は魂を外から揺すって魂に活力を与えることです。(Wikipedia 鎮魂より)

死者のみならず、魂の活力を高めるために行われる儀式です。
これが宮中で新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式である鎮魂祭です。(→ウィキペディア 鎮魂祭

この鎮魂祭の宇気槽(うきふね)の儀は、猿田彦の名前を受け継いだ
アメノウズメの後裔である猿女君の女性が担ってしました。
宮中のみならず、物部氏ゆかりの神社でも執り行われます。
(たとえば島根県 石見一之宮 物部神社 →物部神社の鎮魂祭

マナ(外来魂)を集め、神に附ける

さらに“折口信夫の『上世日本の文学』によれば、カミアソビは「たまふり」の儀礼であり、岩戸で行なったウズメの所作は「マナ(外来魂)を集め、神に附ける」古代の行為である。”(→Wikipedia アメノウズメ

このことを拡大解釈すると、天孫降臨神話の時、
アメノウズメが猿田彦命と応対した話は、
ニニギノミコト(天孫)に外来魂としてマナを付けるために
猿田彦命の御魂をアメノウズメが呼び寄せたという話ではないのかなと、
思いました。
この時点で 既に 猿田彦命は、大国主命より代理執行を任せられているので
国つ神 最大の神です。

大国主命の復活儀礼

さて、猿田彦命に全権委任した大国主命ですが
2度の死と再生神話があります。
(根の国に行ってスサノオの神の試練もいれると3度の復活のように思います。)
大国主命 死と再生の地を訪れる--赤猪岩神社 手間山

その一度目の、赤貝の女神とハマグリの女神が出てきて 
あれも巫女さんの復活の儀礼のように感じます。
なぜ 女神は貝だったのでしょう?

古代出雲には風葬の他に水葬という葬礼方式があったようです。第82代出雲国造千家尊統氏は、『出雲大社』という著書で、出雲大社の国造の葬礼方式が平安時代くらいまでは水葬ではなかったかと書いておられるようです。
そういえば、事代主命も猿田彦命も海で「お隠れ」になります。

あと、猿女の君の一族が、稗田氏ですが
ふっと思い浮かぶのが、古事記の暗誦者  「稗田阿礼」の名前です。
むむむ・・・、アメノウズメを調べて行けば行くほど 深みにはまっていきます。


by yuugurekaka | 2015-06-01 17:30 | 野白神社と田和山遺跡