川辺の出湯跡(かわべのいでゆあと)

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松江市玉湯町にある玉造温泉は、山陰有数の温泉であり、
奈良時代に編纂された出雲風土記(733年)に下記のように記載されている 
古代から続いている温泉です。

「すなはち川の辺に出湯あり。(中略)一たび濯げば
すなはち形容端正しく、再び沐すればすなはち万の病除ゆ。
古より今に至るまで験を得ずといふことなし。故れ俗人、神の湯と白ふ」

川のほとりに温泉がある。一度、湯で体を洗えば美しくなり、
ふたたび湯浴みすれば、どんな病気も癒えてしまう。
昔から今まで効果のなかった人はいない。
だから人々は「神の湯」と呼んでいる。(玉造温泉 温泉の歴史秘話 より

近年まで(大正時代に 開発され ここの下流でお湯を掘られるようになった)
一畑薬師という石灯籠が見える後方が、玉造温泉の中心街だったらしく
川辺には 石で囲われた露天風呂があったといいます。

湯薬師堂

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延慶2年(1309)に創建されたそうです。
“玉湯を治めた佐々木判官義綱が病にかかった際、
家臣が夢のお告げで玉湯川を掘ると、
薬師如来像が見つかって湯が噴き出し、
義綱が湯治をすると病が治ったため、
薬師堂を建てた伝承が受け継がれている”そうです。(山陰中央新報 風土記が伝える美肌の湯 より

つまりは、古代からの(いつが起源かわかりませんが) 温泉が一度埋まってしまい
中世で 再び堀りあてたというわけです。

湯閼伽の井戸(ゆあかのいど)

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湯閼伽(あか)とは仏様に出される供養水の事で
仏教では「塗香」、「華」、「焼香」、「飲食」、「灯明」と共に
六種供養の1つとされ、それを汲み上げた井戸を「閼伽井」と呼ばれます。
閼伽の井戸は 湯薬師堂に供える水を汲み上げる井戸だそうです。

現在、恋来井戸(恋 来る 井戸)とも命名され 玉湯川に泳ぐ錦鯉にエサを投げ
鯉が餌を食べると「恋が叶う」とされています。

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私も エサ(恋叶の素)を買って、玉湯川に撒きました。
しかし、鯉(恋)は 見向きもしませんでした・・・。



by yuugurekaka | 2015-01-29 17:03 | 玉造

鳥取県の大山の麓
妻木晩田(つまむきばんだ)遺跡に行ってきました。詳しくは→Wikipedia 妻木晩田遺跡
行ってきましたといっても、10日以上前です。
(遺跡・神社の記事は、時系列とは無関係です。)

妻木山地区 集落(復元) 2世紀後半の住居跡が多い。

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うわー、弥生のムラが復元されていました。
弥生時代の家がたくさんあります。
まずは、洞ノ原(どうのはら)地区西側丘陵の方へ行ってみます。
弓ヶ浜半島や米子市、日本海が見えます。
あいにく小雨でしたので、ぼやけて見えます。

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西端にある高床式倉庫(復元)

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山陰から日本海沿岸に多く分布する 独特の四隅突出型墳丘墓。


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復元された竪穴住居と掘建柱建物
実に900棟以上の建物跡があるといいます。

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どのように弥生時代の住居が作られたかという過程が
見れます。

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まずは穴を掘って 柱を組み立て

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木を組んでいきます。

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そして、草を葺き土をかけます。

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中にも入って見ました。
昔は この中で火を焚いて、家族が肩を寄せ合って住んでいたんでしょうね。

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しかし、こんなに広いとは思いませんでした。
ざっと公開されている地区を観るだけで 3時間30分以上かかりました。
たぶん20キロは 歩いたと思います。
まだ10分の1しか発掘されていない様子ですので
全部発掘されたら どんなものが出てくるのでしょう。
古代遺跡をあまり知らなくても
弥生時代を体験する教室なども企画されているようです。詳しくは→鳥取県立むきぱんだ史跡公園

そういえば、こんなに歩いても 指のしびれが強くなったりはしていません。
年末より 良くなっているようです。


by yuugurekaka | 2015-01-18 17:30 | 弥生時代の遺跡

昨日 出雲市斐川町の「富(とび)神社」にお参りに行きました。
神社の正面に 出雲地方の神名火山、現在の仏経山が見えます。

仏経山(神名火山)

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富神社 全景

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一見 どこにでもありそうな小さなお社です。
しかしながら、ここの説明版を見ると

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ここは大昔 出雲社(いずものやしろ)と云ったそうです。
つまり、出雲風土記の時代(733年)、出雲の国の 出雲郷の 「出雲の社」と
言うからには、出雲の重要な神社に違いないと思われます。詳しくは由緒書→富神社 由緒

どこが出雲社なのかという論争があるらしいですが、
近くに 郡家跡(昔の役所)の遺跡ー後谷遺跡→出雲郡家 島根県庁があるところを見ると
ここが古代出雲の中心地であり、
自分には、ここが出雲社だったように思えます。

富神社拝殿

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富神社 社紋

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ここの神社の社紋が、出雲系神社の亀甲紋の中に
大根のように見える 丁子(ちょうじ)が、交差したもののようです。
昔は、「銅剣交差紋」だったらしいのですが、それも元の意味合いは
男女の交差紋だったという話だったそうです。

斐川町には、荒神谷遺跡があり そこから出土した
銅剣358本のうち344本のなかご部分に謎の「×」印が
書かれているそうですが→荒神谷博物館
それは、東出雲王家の富家(向家)の神紋を記したという伝承も
あるそうです。

隋神門のしめ縄

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この神社のしめ縄には、海藻がかけてあります。
そういえば 出雲の長浜神社や松江の佐太神社にも 藻がけがありました。
しめ縄の起こりですが、蛇信仰からきていると云われています。

胞衣(よな)荒神

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ここの境内に祀ってある胞衣荒神です。ここの境内には、他にも
惣荒神があります。
わらで作った蛇が奉納してあります。
荒神さんは、現在スサノオノミコトと同神とされているのですが
ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトに
蛇を奉納するというのが 嫌味な感じがして 
私は 昔から しっくりきません。
大昔は、もしかしたら アラハバキ神(荒吐神)→アラハバキ ウィキペデイア
であって すりかわったのではないのでしょうか。あくまで個人の勝手な想像です。

三輪山の蛇というように
古事記の中では、出雲神族は蛇として描かれます。
ヤマト王権にとって、怨念のような たたり神という側面から
蛇なのかと 不勉強で勘違いしていました。

出雲神族そのものが 蛇信仰だったのです。
出雲大社や佐太神社でも毎年 海蛇を奉納します。

龍神祠

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ここの境内にあった龍神祠です。
蛇自体が、水を司る神でもあり、つまりは、農業の神でもあるようです。
ここの説明版では
「龍神祠
 黒龍、白龍と魔除けの霊妙神とし信仰される。
 元来龍神は水を司る神で農業と結びつき漁師にも信仰されている。創立年代不詳。」
と書かれています。



by yuugurekaka | 2015-01-04 23:27