鳥取県米子市彦名町にある粟島神社のある小山は
昔は 中海にある小島だった。
江戸時代宝暦期(1751年~1763年)に粟島周辺が干拓され
「彦名干拓地」一帯と地続きになったようである。 

粟島神社の杜  右手に見えるのは、大山(だいせん)。

e0354697_15055895.jpg


『伯耆国風土記』(733年)には、スクナビコナ(少彦名命)がこの地で粟を蒔いて、
実ってはじけた粟の穂に乗って常世(とこよ)の国へ渡り、
そのために粟島と呼ばれている、と書かれているそうだ。

この常世であるが、あの世、つまり、黄泉の国と同一視されているが
古神道における 現世(うつしよ)の対立することば、
永久に変わらぬ神域で、
死後の世界と言うよりは、現実の世界とは異なる次元の世界のようである。
また民俗学者 折口信夫氏によれば 海のかなたの理想郷であるらしい。

粟島神社の鳥居をくぐり、杜の右手に回ると、大岩神祠がある。
「難病苦難の守り神 お岩さん」の旗が立っていた。
この「お岩さん」の祭神のスクナビコナであるが
医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造の神様であるようだ。
ウィキペディア スクナビコナ
それを知っておれば、真っ先に参拝していたのに
などと思った。

e0354697_15055841.jpg


古事記では大国主命が美保の岬で出会ったと書かれているが、ここでは
大国主命が大岩に立っている時にスクナビコナが空豆の船でやってきて
上陸したという伝承があるようだ。

カミムスビの指の間からこぼれ落ちるほどの一寸法師のような
スクナビコナであるが、天界から落ちて
(古事記ではカミムスビの御子となっているが
 日本書記ではタカミムスビの御子となっている)
大国主命の国造りのパートナーになっていくわけであるが
高度な文化を持った渡来人であったのかもしれない。

またあるいは、親子で
共に国づくりに励んでいた象徴なのかもしれない。
そういうことを考えれば スクナビコナというのは
常世の大国主命の分身だったという説も成り立つ。

三輪山の神さんは大物主命であるが
そもそもスクナビコナを三輪山に祀る話が、古事記に載っていることを考えると、
大物主命は、大国主命と同神と云われているが
そうではなくて大国主命の息子であったのではないか…。
神様なので 親子とかという次元ではなくて
分身で 一心同体ということだったのではなかろうか。

大岩祠(おおいわし)
e0354697_15055967.jpg


さらに小山を奥に歩いていくと 
万葉集の歌に二神がいると歌われた「志都(しず)の岩屋」とされる
「静の岩屋」がある。

さらに 漁師が獲った人魚の肉を食べて
八百歳まで この洞窟で生きたと云われる
八百比丘尼(やおびくに)ー八百姫の言伝えもある。

八百姫宮

e0354697_15055973.jpg


さて この長い石段を登って行くと境内があるのだが
粟島神社は、元々は、山麓にあったようだ。
山頂にあった神社が、山麓に遷ったという話はよく聞くが
ここは 逆のようだ。

e0354697_15055991.jpg


粟島神社 本殿 境内には 椎の実が一面に落ちていた。

e0354697_15055990.jpg


本殿の裏手には、水鳥公園が見える。
眺めがいい。
遠くの海から スクナビコナがガガイモの実の船で(→ウィキペディア ガガイモ
やってきそうだ。

e0354697_15055946.jpg



by yuugurekaka | 2014-11-22 01:18 | 大国主命の国づくり

出雲大社 北島国造館

うちの実家は、正月に出雲大社を参拝した後 
北島国造館を参拝するのが習わしでした。
北島国造館の庭園には、天満宮があり 
いつも学問の神様の天神様にお参りしていました。

出雲大社には、出雲国造の二家があります。
出雲大社の西側ー神楽殿のある方が、千家さんの方で
東側が 北島さんです。


家の名前の北島さんの由来ですが
出雲国造家が、杵築に移ってきた頃
出雲大社のある島根半島は、
離れ小島のような有様だったそうで
出雲国造家を始めは「北根島の国造」と呼ばれていて
やがて「北島の国造」と呼ばれるようになったと
云われているそうです。

なぜ2家あるのか詳しくは →ウィキペディア 出雲国造

天満宮  学問の神様 菅原道真を祀っています。右に合格祈願の絵馬が見えます。

e0354697_14560451.jpg


しかし、この実家の「習わし」と云うものは、いつの頃からか
何の疑問も無くこの年まで、生きてきました。
いつの時代からだったのでしょう。

父が今年の1月 しりもちをついて骨をおり入院しました。
高齢になって入院したりすると、せん妄という
一時的に 幻覚が見える意識障害をかなりの確率で
起きるそうで、
父が骨が折れているのにも関わらず、歩き危険なので
病院側から付き添いを頼まれました。
私も一晩付き添いました。

付き添いを終え寝ずにそのまま出雲大社へお参りに行き
父の病状の改善を祈願しました。

その後、父の意識が戻り
なぜ、うちの家は北島さんを参るのだろうかを父に訊ねますと
祖父が病気になり
知人から北島さんが御利益があることを聞き
祈祷をお願いしたことが始まりだと言っていました。
代々のことと勝手に自分が思っていたことが
この年になって 初めて知りました…。


出雲大社北島国造館は、出雲大社宝物殿のところの
東の門を出たところにあります。詳しくは→ウィキペディア 出雲教
外に出ると川があります。

能野川(吉野川)
e0354697_14560530.jpg


説明版は、
“川幅 2間、出雲大社寛文の御造営にあたり
右岸の荒垣左岸の北島国造邸土居の石垣とともに整備された。
約350年前、江戸時代初期の河川景観を今に伝えている。”
と書かれてあります。

この川を渡ると北島国造館 出雲教の表示が見えます。

e0354697_14560541.jpg


北島国造家四脚門
出雲大社神域内の建築物の中では最も古く、
島根県の文化財に指定されているそうです。
出雲大社の寛文(1661-73)の造替で、寛文四年(1664)
本殿の後方にあった北島国造家の屋敷をが現在の位置に移動し
この時、二つあった国造家の門のうちの一つが移築されたようです。

e0354697_14560509.jpg



前方に3社見えます。左から稲荷社、天穂日命社、荒神社です。

e0354697_14560553.jpg


天神社と「亀の尾の滝」です。ここをお参りするのが子どもの頃不思議な感覚でした。
天神社は、少名毘古那神を祀っています。

e0354697_14560510.jpg


神殿 

「幽冥(かくり)のこと」をつかさどられる神
つまりは目に見えない世界の王  大国主命を祀っています。

e0354697_14560502.jpg



by yuugurekaka | 2014-11-11 09:39 | 出雲国造

出雲井社  後方より写す。
e0354697_14380715.jpg


私は 「猿田彦命」に対して 長い間良いイメージを
持っていませんでした。

それは、古事記や日本書紀で描かれる猿田彦命は、
同じ出雲の神様でありながら、
国譲りという決着後、 天孫族の神様の先導役を担っているからです。

“だから、経津主神は、岐神を先導役として、方々をめぐり歩き
 平定した。従わないものがあると切り殺した。帰順する者には
 褒美を与えた。この時に帰順した首長は、大物主神と事代主神
 である。”   日本書記 一書(第二) 宇治谷猛 訳より

しかしながら、岐神が出雲神族の祖神となれば、
だいぶ意味合いが変わってきます。
反抗する首長を黙らせるには、祖神の御旗が効果絶大です。
もしや、古代から、日本人はこういう性格をもっていたのでは。
出雲からヤマト王権にいかに血ができるだけ流れぬよう
平和的に国譲りをするために
岐神(くなどのかみ)の役割があったのではないのかと
想像しました。

『古事記』でも、黄泉比良坂のイザナギの禊の場面で、
最初に投げた杖から衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)が生まれています。
これが、古事記に描かれる岐の神です。
そして、峠や道が分岐するところに鎮座して
疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神とされています。

岐神  松江市東出雲町 黄泉比良坂 
e0354697_14380746.jpg


さて、出雲井社がなぜ ここに在るのか 想像しました。
島根半島の北山山系をはさんで、
出雲井社のちょうど逆の場所が、猪目海岸です。
ここは、猪目洞窟があり、古代から黄泉の国の入り口があると云われる
ところです。
出雲風土記(733年)には、松江市東出雲町の黄泉比良坂ではなく
ここのことが述べられているのです。
そこには、縄文式土器や弥生時代から古墳時代にかけての人骨が十数体出たそうです。
文化遺産オンライン 猪目洞窟遺物包含層

この猪目海岸もそうですが、
出雲地方の日本海沿岸部は、古代、朝鮮や中国からの渡来人が
流入してきたと考えられます。
スサノオノミコトも朝鮮半島から渡来した神だと云われており
近頃有名な韓竈神社(からかまじんじゃ)も猪目海岸の近くに
あります。
そういえば、ヤマタノオロチ伝説も
スサノオノミコトVS出雲神族(大国主命の祖先)の戦い
との説もあります。
つまりは、渡来神と土着神との戦いです。


渡来人は、高度な文化を持ち込むなどの良い面と
渡来人に支配されたりするかもしれないなどの悪い面が 当然あります。
そういう善悪両面ある渡来人の関所というか
空港の検閲みたいなところが 出雲井社の役割としてあったのかな
などという突飛な考えが浮かびました。

縄文時代は、出雲大社のあるところは、島でした。
弥生時代は、出雲市内が隆起しつつも、まだ湿地帯のようなところでは
なかったでしょうか。

弥生時代の出雲国の中心地が、出雲市斐川町のところであったろう
と思えば、島根半島の南側(出雲大社などがある方)で
渡来人の流入を一度止めて置く場所だったのかと…

もしかして、島根半島の東部の佐太神社(祭神 猿田彦)も同じ役割だったかな
などと さらに想像を広げました。斐川町の方から佐太神社は
北東にあたるので 鬼門を封ずるという意味あいがあるのでは
ないかと。

全くもって 特異な考えを思いつくものです。
インターネットでそういう説がないか調べましたが
どうもないようです。



by yuugurekaka | 2014-11-02 22:16 | 出雲大社

e0354697_15055405.jpg


出雲大社から、国道431線を東に車を走らせ約10分。
「みせん広場」という駐車場に車を止め、歩いて10分のところに
弥山の麓にこの小さな社があります。
春先に参拝すれば、桜が満開で さぞ美しかったろうと
思います。

e0354697_15055540.jpg


 この神社の説明版にこのように書かれていました。

 出雲大社摂社
  出雲井社いずもいのやしろ (出雲路社 いずもぢのやしろ)
  御祭神 岐の神(くなどのかみ)

 勇武にして地理に明るく、
 大国主神が“国譲り”の際、
 大神の命により経津主神(ふつぬしのかみ)に
 付き添い諸国を平定し
 国土を統一せられた巧神です。


国譲りの後、天津神を連れて 回った神様は
日本書紀では 猿田彦命です。
あと、天孫降臨神話では、ニニギノミコトの道案内をした神としても出てきます。

e0354697_15055541.jpg


この岐の神ですがウィキペディアではどうなっているかというと
「巷の神(ちまたのかみ)または辻の神(つじのかみ)とは、日本の民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神である。道祖神、塞の神(さえのかみ)とも」→Wikipedia 岐の神
交通の神、道祖神、賽の神… サルタヒコと同神ということになっています。

しかし、多くのブログでは、
『謎の出雲帝国』(吉田大洋氏著、
1980年、徳間書店刊)からの引用で
出雲神族の祖神として この岐神(くなどのかみ)が
クナト大神と されているようです。

また、民俗学者の谷戸貞彦氏によれば (「幸の神と竜: 古代が分る鍵」より)
主神を「久那斗の大神」妻神を「幸姫の命(さいひめのみこと)」で
息子神を「サルタ彦大神」ということであり
双体道祖神は、現在 猿田彦命とアメノウズメノミコトの夫婦神と
されていますが、そうではなくて元は
「久那斗の大神」「幸姫の命」の夫婦神と述べられていました。


by yuugurekaka | 2014-11-01 15:33 | 出雲大社