神魂神社と出雲国造

松江市大庭町にある神魂神社です。
神魂と書いてカモスと読みます。
神魂の名の由来ですが、神坐所(カミマスドコロ)が
カンマス、カモスとなっていったのではないとと 云われています。

古く由緒ある神社ですが、
延喜式神名帳(927年) 出雲風土記(733年)にも記載がありません。
出雲国造の私的な神社ではなかったかと云われています。

神魂神社 入口

現在の本殿は、天正11年(1583年)の再建と言われます。
天正11年と書かれるとピント来ませんが、
豊臣秀吉の大阪城の築城が始まった年です。

現存する本殿は「大社造りの中では、最も古い建築物」で
昭和27年3月に国宝に指定されています。

神魂神社 本殿 正面

この神社は、案内板によれば
「出雲国造の大祖アメノホヒがこの地に天振られ出雲の守護神として創建」
となっており、女神イザナミを祀っており、女千木です。(男神イザナギ合祀)

神魂神社 本殿1

同じ境内にある貴布祢稲荷両神社。
この社殿も天正11年の建立で重要文化財となっています。
社殿は珍しい二間社流造だそうです。
「珍しい」と言われても何が珍しいのかわかりません。
ウィキペデアを調べてみました→ウィキペデア流造(ながれづくり)

“正面の柱間が1間(柱が2本)であれば一間社流造、
3間(柱が4本)であれば三間社流造という。”
柱が3本である流造(ながれづくり)はあまりないということなんですね。

お稲荷さん

下記の写真は、本殿の天井に書かれている
「五色の九重雲の図」です。
社務所で、本殿の壁画の葉書が売られており買いました。
「出雲国造神火相続式を終え社務所にて鶴山亀山と呼ぶ
祝相撲観覧の図」「当社の神在祭に因む佐太神社及加賀
の潜戸の図」などの壁画の写真も入っていました。

出雲大社本殿の天井には「八雲の図」と言いながら
七つの雲の絵しか描かれていません。
“もう一つの雲は、ここ神魂神社に飛んでいったのかもしれません”
などと云われていますが、神魂神社には九つの雲が描かれています。

かもす神社 壁画 

出雲国造と言えば、出雲大社に参拝された方はわかると思いますが、
出雲大社の東側に、北島国造館、西側に千家国造館があります。
北島・千家 の出雲国造家はいまでこそ 出雲大社のある杵築に住んでいますが
昔は、神魂神社の参道から出た所に、住んでいたようです。
一説によれば、716年第26世のころから、杵築に移ったそうです。

参道の先に説明板が、ありました。

出雲国造館跡推定地

出雲国造が住んでいた頃は、出雲大社のある杵築ではなく
現在の松江市東部が、政治や祭祀の中心地だったようです。




by yuugurekaka | 2014-07-31 15:56 | 出雲国造

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「出雲王朝」で インターネットで検索したら
故・司馬遼太郎さんの本がヒットしました。
その本は、「歴史の中の日本」(中公文庫)という本なんですが
司馬遼太郎さんの随筆集でした。

まだ全部読んではいないのですが
いわゆる歴史小説を書いている司馬さんが
その登場人物に対して感じておられることー例えば坂本龍馬、武市半平太・・・
それや三島由紀夫氏の事件などについて
書かれていて 面白いです。

概ね 昭和40年代に書かれた随筆ですが
「生きている 出雲王朝」という表題のものは
昭和36年に書かれています。

ですから、この随筆に登場される方達
司馬遼太郎氏の同僚のW氏ーこの方が
なんと大国主命の末裔で、
語り部だという(ギョッギョッ)
も、故人になられております。
その後、この方の世継ぎは行われているのか
興味深い所です。

“哀れにも出雲民族の王族は身柄を大和に移され
三輪山のそばに住んだ。三輪氏の祖がそれである。”
そうなんですか。
それで、大国主命およびその血族は、すでに神代の
代から出雲から一掃されて根絶やしにされていると
思ったら、このW氏でつながっているらしいです。

インターネットで検索するとそれがどなたなのか出てきますが
そのことの真偽について どうこういうつもりはありません。
ただ言えることは、古事記に出てくる神様の末裔である方が
現実おられるので、大国主命の末裔である方が
おられても不思議はないです。

古事記や記紀神話が、やっかいな点は、
単なる神話ではなくて、今の世の中とつながっている点です。
だから、記紀神話を使って 戦前のような皇民化教育を復活させようと
する考え方の方もおられるのです。
 
私が古事記や記紀神話の「国譲り神話」については
感ずるのは
大国主命が、せっかく国造りしたのを、国つ神だから
天孫族にとりあげられたという 屈辱感です。

司馬遼太郎さんのこの文章には、大庭の神社の話も出てまいります。
大庭神社の宮司さんである秋上さんも 「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」
の末裔であることが書かれています。
神代から血脈をつなげておられる方がここにも出現します。

大庭神社としか書かれてないですが、神魂神社のことです。
司馬氏の記述では、
「天穂日命が最初に進駐した出雲攻略の根拠地」とされています。
今の神社は、もっと後代のことのような気がしますが、
出雲国庁跡が近くにあり、出雲国造(いずもこくぞう)の私的な
神社ではないかと云われています。

神魂神社 石段と拝殿
石段の石が大きく 石段からして 古式雰囲気のある神社です。

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by yuugurekaka | 2014-07-26 00:27 | 出雲王朝

雲南市加茂町岩倉にある
加茂岩倉遺跡ですが、
私があれこれ書いても 切り貼りみたいな記事になるので
詳しくは→加茂岩倉遺跡のホームページ

1996年10月 農道の工事のため 重機で谷を掘削作業中
銅鐸が発見されました。発見された物は製作されたのが
弥生中期~後期頃の銅鐸で、
1か所から39口の銅鐸の発見は、全国最多です。

今まで出雲は、記紀神話だけの創作の世界だけで
古代文明が発達した場所ではないというのが通説だったので
荒神谷遺跡と合わせ
それを見直す事件になったと言われています。

さて、入り口に入っていきます。ここからは車では入れません。


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銅鐸が発見された谷に来ました。あっ 急な階段が…。

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ひーはーしながら、なんとか上にたどり着きました。
発見当時のレプリカが、丁寧に作ってありました。
ふーん、このような形で発見されたんなあ。

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銅鐸を入れる土坑も再現されていました。
なお、この土坑には、銅鐸が1口も入ってなかったそうです。


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この谷を削っている最中、銅鐸が発見されました。
この谷に回廊が設置してあり、いろいろな角度から、この谷が眺められます。

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さて、加茂岩倉遺跡を出て 一番遠くの駐車場から大きな岩が見えます。
まるで加茂岩倉遺跡の方を見つめているような感じです。
この岩にも、金鶏の伝説があります。


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この大岩の裏手に、細い道があり、矢櫃(やびつ)神社跡へつながっています。
つまり、元 参道です。

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森の中に突き進んでいきました。
道があっているのか不安になりましたが、10分後到着。

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たて約5メートル、横約6メートルの大きな岩です。
見ようによっては、大きなガマの口にも見えました。
古い神社には、こういう巨大な岩があります。
神霊がやどる岩を 磐座(いわくら)と言います。→ ウィキペデア 磐座

こういう巨岩が多いので、ここの地名を岩倉というらしいです。


by yuugurekaka | 2014-07-22 22:30 | 弥生時代の遺跡

大国主命の古事記での伝説は
因幡のウサギから始まり
ウサギを助けたことで 因幡のお姫様 八上姫に見初められた大国主命。
だけど、そのことで 妬んだ八十神達に2度も殺されるのですが
その都度 生き返り、紀国に逃げます。
そして、根之堅州國に行き スサノオて出会い
スセリ姫と結ばれ八十神達を倒す力を得ます。

その後、八上姫はどうなったのか。
古事記では、このような形で出てきます。
“はじめの契りどおりに、稲羽のヤガミヒメを出雲の国に
 連れてきたのじゃが、ヤガミヒメは、あの正妻スセリビメの
 妬みに怖れてしもうての、みずからが生んだ子を
 木の俣に刺し挟んで稲羽の国に帰ってしもうた。
 そこで、その子を名づけて、キノマタの神と言い、
 またの名をミヰの神と言うのじゃ。”
(『口語訳 古事記』 三浦佑之訳・注釈より)

出雲市斐川町直江に その伝説の残る
御井神社があります。→ウィキペディア 御井神社(斐川)
安産と水の神様です。

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本殿です。

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訪れたのは夕方です。私は、カーナビも無く、地図もなく
あてずっぽで 探すのですが ここだけは探すのに時間がかかりました。
神社の入り口に、八上姫と木俣神の像がありました。


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この神社の外には、3つの井戸の遺跡があります。
木俣神が産湯をつかったという伝承があり、信仰となっている
日本で最も古い井戸の遺跡だそうです。

神社の駐車場に車を置き、歩いて南方に少し歩くと
『生井(いくい)』が、ありました。


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そして、さらに南方へ歩くと 民家の前に 『福井(ふくい)』、がありました。

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もう一つの井戸は、南方ではなく、神社よりも北の方向でした。
『綱長井(つながい)』という井戸です。


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神社の説明板に書いてありましたが、
三省堂刊「広辞苑」に次のように記載されているそうです。

生 井 生気ある神 子安 無病息災
福 井 (栄久井)栄える井 母子の発展 家運隆昌
綱長井 つるべの綱の長い井 母子の長寿 家内安全


by yuugurekaka | 2014-07-20 23:17

この川底にできた丸い穴(甌穴)は、出雲市東神西町にある「岩坪」
という天然記念物、史跡です。→ ウィキペディア 甌穴

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下に降りて、近くから見てみました。
礫がくるくる回転して、固い岩底を円形にする様は不思議です。


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この穴で、大国主命の正妻であるスセリ姫が産湯をつかったという
言い伝えがあるそうです。
このスセリ姫ですが、
古事記では、昨日の記事で書いたヌナカワヒメと大国主の
恋歌の掛け合いの後、
大国主命を引き留める歌を歌います。
大国主が結婚したお姫様は、古事記や日本書紀、出雲風土記に出てくるだけで
15人に上ります。いくら一夫多妻制の時代とはいえ
スセリ姫は、気が気でなかったようです。

この岩坪の前に、説明版がありました。
こういうことが書かれてありました。少し表現変えています。

“『出雲国風土記』(733年)には、ここに須佐之男命の娘
スセリヒメは住んでおられ、そこへ大国主命が通ってこられたとき
この谷川の水が岩面を滑らかに流れる様子を見て
「滑石磐石(なめしいわ)なるかも」とおっしゃったので
この地方を(神西・江南)を滑狭郷(なめさのさと)と言うようになりました。
すなわち、郷名の発祥地は、ここの岩坪の地です。

また、『雲陽誌:』(1717年)にはニ~三尺四方の岩穴が五つあって岩坪といい
近くに二神(スセリヒメと大国主命)を祀る岩坪大明神(那売佐神社のこと)が
あると記載されています。”

この岩坪の上には、岩坪明神がありました。

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さて、昔の岩坪大明神ー那売佐(なめさ)神社に参拝してみます。
なんて急な長い石段でしょう。

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本殿です。スセリ姫と大国主命を祀っています。
他に境内には、イザナギを祀った社があるのみでした。 ウィキペディア 那売佐神社


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しかし、ここがスセリ姫が生まれ住んでいた土地となると
古事記の書かれている 
大国主命がスサノオノミコトの根之堅州國からスセリ姫を
略奪逃走したという伝説の場所は、
安来市方面(黄泉比良坂の近く)では無く
案外 ここらへんなのかもしれません。

ここから南進した所に スサノオノミコトを主祭神とする
須佐神社のある須佐郷(出雲市佐田町須佐)があります。


by yuugurekaka | 2014-07-19 13:44

美保神社

揖屋神社の恵美須さんの話を書いた流れから言いますと
美保神社のことを書くと、話が連動してわかりやすいです。
しかしながら、美保神社の写真が無い!
これではいけないと思って、仕事が終わって写真を撮りに行きました。
(二日前のことです。)

朝方 晴れていましたので
夕方行くと 夕焼けに照らされて なお美しい美保神社が
観れるなと 思っていましたが、
午後から 曇ってしまいました。こうなると、暗くなって 写真が撮れなくなってしまいます。

美保神社は、島根半島の最東端にあります。
漁業の神、商売繁盛の神の
恵美須さん(事代主命系の)総本山として 有名な神社です。
日本海の海岸べりの曲がった道路を松江市内から走って約40分。
着いたのは夜の7時過ぎで、もう少し暗くなっていました。

セミのシャンシャンシャン…が何百もの大合唱で、不思議な音に聞こえます。
久しぶりです。何度か来ましたが、巨大で美しい神社です。

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ここの拝殿もすばらしいです。本殿とこれほどマッチした拝殿はあまり見たことありません。
ここの本殿は、文化10年(1813年)の造営です。
大社造の左右二殿連棟の特殊な形式で「美保造」または「比翼大社造」と呼ばれています。

左側の本殿(向かって右)が、三穂津姫命で
右側が、事代主神を祀っています。
並列に並んでいるので、夫婦だと勝手に思われそうですが
三穂津姫命は高天原から大国主命に嫁いだ妻で
事代主神の義理の母になります。
 
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本殿の後ろ側です。左が、女千木(上が水平になっています)、
右が男千木(横側が水平になっています)になっているのが
よくわかると思います。

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外側からは見えませんが、二つの本殿の間に末社・大后社があります。
大后社は、神屋楯比売命(カムヤタテヒメ),沼河比売命(ヌナカワヒメ)を祀っています。
(二神とも大国主命の奥さんです。)
神屋楯比売命は、事代主神の母でわかりますが
なぜに沼河比売命?

沼河比売命は、古事記の中で、大国主命の高志(昔の北陸地方)の妻問いの話に出てくるお姫様です。
ウィキぺディア 沼川比売

実は、出雲風土記(733)には 以下のように述べられています。
「美保郷。郡家の正東二十七里一百六十四歩の所にある。
所造天下大神命が、高志国にいらっしゃる神意支都久辰為命の子、
俾都久辰為命の子、奴奈宜比売命(ヌナカワヒメ)と結婚して
お産みになさった神、御穂須須美命(ミホススミ)、この神が鎮座して
いらっしゃる。だから美保という。

(『解説 出雲風土記』島根県古代文化センター[編]より)

つまりは、出雲風土記成立頃には
美保神社の美保は、三穂津姫命の「ミホ」から来ているのでは無く
ヌナカワヒメの子どもの御穂須須美命から来ているのです。
このことから美保関の岬が、古代 北陸とつながる海上交通の要であったと
想定できます。
そして、当時は、御穂須須美命を祭神とする大きな神社が美保関に
あったのだろうと思われます。

古事記では、最後まで国譲りに反対して、タケミカヅチと戦って 敗北して
追いつめられ 長野の諏訪大社の祭神となったとされるタケミナカタも
ヌナカワヒメの子と言われています。(『先代旧事本紀』など)

ヤマタノオロチが高志(越)の国からやってくるなど
どうも高志の国は、悪者役として設定されています。
ヤマト王権にとって 当時 高志は都合が悪かったのかもしれません。

そのことが原因なのか 今は御穂須須美命の名は
美保関の神社に ほとんど残っていないようです。
神社の記紀神話的変容みたいな形で 風土記の時代より後
再編されたのでしょう。


by yuugurekaka | 2014-07-18 22:17

えびす様と鶏

揖夜神社の対面に荒神さん、恵美須神社が二つあります。
天満宮が一つあります。

荒神(こうじん)さんです。
雌雄一対の藁蛇(わらで作った蛇)が奉納されています。
この写真ではわかりにくいですが、藁蛇が木に巻かれています。
出雲・伯耆地方では、荒神祭りが行われています。詳しくは→文化庁 無形文化財
ちなみに荒神さんは、出雲地方では、スサノオノミコトです。

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なんで二つもあるのか、社務所で聞きました。
もともと揖夜神社の境内にあった神社ではないですが
同じ境内で祀ることになりました、別々の集落で祀られていた恵美須さんを
お祀っているので集落ごとに恵美須さんがあるとのことでした。

恵美須さんは、出雲地方では、
大国主命の長男 事代主命(コトシロヌシノミコト)を恵美須さんと言います。
美保神社という恵美須さんの総本山という神社が、島根半島の美保関にあります。
なぜに東出雲町揖屋地区に 恵美須さんがたくさん祀られているのか。

揖夜神社境内の恵美須神社
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黄泉比良坂の入り口で出会った地元のご老人が話されたこと。
「えびすさんが、揖屋のお姫様に船に乗って夜通っておられた。
 ある鶏が間違えてコケコッコ—と鳴いて
 えびすさんが、その声を聞いて朝になったと思って
 あわてて 船に乗って帰ろうとしたんだけど
 船を進める櫂を流してしまった。仕方がないので
 自分の足で漕いで、船を動かしたんだが
 ワニ(ワニザメ)に足を食べられてしまった。

 そういう話があるので揖屋では
 戦前までは、鶏や卵を食べなかった。」

美保関では、鶏や卵を食べないというのを知っていたが
東出雲町揖屋でも 食べないという話を、私は知りませんでした。
神社の古さよりも こういう習わしというか タブーが
ずっと生きていることにびっくりしました。
神話はずっと生きているのです。 
詳しくは→恵美須様と鶏 松江市観光協会



by yuugurekaka | 2014-07-16 00:48 | 黄泉比良坂

黄泉比良坂から車で約5分 揖屋町の街中に
揖夜(いや)神社があります。
御祭神  伊弉冉命 (イザナミノミコト)・大己貴命(オオナムチノミコト=大国主命)
       少彦名命(スクナヒコノミコト)・ 事代主命(コトシロヌシノミコト)

揖夜神社鳥居

中には、黄泉比良坂の入り口と同じような鳥居がもう一つあります。

鳥居2 揖屋神社

拝殿 奥に鏡があります。
不思議な拝殿です。

揖屋神社拝殿

立派な大社造りの本殿です。
主祭神が、イザナミノミコトなので 女千木です。
中の御神座は、出雲大社と反対向きになっているそうです。
松江市大庭町の神魂神社と同じなんでしょうね。

左わきに見えるのが 韓国伊太氐神社(からくにいたてじんじゃ)です。
スサノオノミコトと息子のイソタケルノミコトを祀っています。

本殿と韓国伊太氐神社


御神座


本殿の右わきには 三穂津姫神社(みほつひめじんじゃ)があります。
この三穂津姫は、美保関の美保神社に祀られていますが
事代主命の奥さんではなく、その父である大国主命の奥さんです。

三穂津姫神社

三穂津姫は、『日本書紀』の葦原中国平定の場面(国譲り)の
第二の一書にのみ登場します。
高天原の司令官 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の娘で
高皇産霊神が、大国主命に向かって
「もしお前が国津神を妻とするなら、まだお前は心を許していないのだろう。私の娘の三穂津姫を妻とし、八十万神を率いて永遠に皇孫のためにお護りせよ」と詔したと言われます。 →Wikipedia 三穂津姫
つまりは、三穂津姫は、国津神ではなく天津神です。

拝殿の前には、恵比寿さんが二つ祀られていました。三穂津姫といい
恵比寿さんといい、美保神社との関係も強いと思いました。



by yuugurekaka | 2014-07-14 23:29 | 黄泉比良坂

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この巨石は、安来市宇賀荘町にある嵩神社の裏山にあります。
出雲風土記に書かれている「天石楯」(あめのいわたて)ではないか
と言われています。(宇賀荘村誌)

天石楯は、大国主命に国譲りを言いに来た高天原(たかまがはら)の神様
経津主(フツヌシ)(布都努志命)が、高天原から持ってきたとされています。
意宇郡楯縫郷(おうぐんたてぬいのさと)は、
現在の安来市宇賀荘町、清瀬町、清井町、九重町、清水町、早田町辺りだで、
天石楯を縫い直したから、楯縫郷と記されているそうな。
固い石をどうやって 縫うんでしょうか。

嵩神社は、高天原の経津主(フツヌシ)を祀った神社ですが、嵩山という山の上にあります。
この嵩神社を車で探すものの 道路標示では到達できず
宇賀壮町の街中で、どこにあるのか地図を書いてもらいました。

その地図をたよりに、車で行きましたが、迷いながら行きました。
安来市の清水寺方面に車を走らせ、この看板を山の方に入りました。
車だと、身動きとれないんじゃないかと思い、空き地に止めて
歩きました。

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それで、どこかの会社の空き地に到達。これを左に曲がりました。

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これで、左に曲がらないといけませんが、右に曲がってしまって
間違え、草刈っているおじさんに、嵩山の場所を聞きました。

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車でも行けそうですが、狭いので草で車に傷つきます。
途中にまた表示が…。暗くて わかりませんが、右側に嵩神社の名前が!

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さて、右に行きましたが・・・!
み・・・ 道が 草がぼうぼうで 見えないのです。
しばらく人が通った感じがしません。

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それでも5分ぐらい歩くと ついに山の麓に着きました。
ほっとしました。マムシにかまれなくてよかった。さて、登山です。

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10分ぐらい山を登っていくと 鳥居が。おお! 結構早く着きました。

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鳥居で深々とお辞儀をして入ります。
本殿が、輝いています。

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2011年4月に遷宮されて、社殿が美しいです。

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さて、参拝した後は、帰りますが、
急な坂なので、すべったらたいへんなことになります。
こけのところを歩かないように
わざと草が生えているところを歩きました。
暑かったですが、ジャンバー着て良かったです。
半袖のTシャツだと、草で切れたり虫にかまれたりします。
おかげで、0.5キロは痩せたと思います。



by yuugurekaka | 2014-07-13 22:26 | 国譲り

黄泉比良坂を歩く

明日に続くと書きながら、昨晩はごはんを食べたら
そのまま眠ってしまいました。
すみませんでした。

最近、体温が高く、36度5分前後ですが…
体重も減っています。
常に疲労感があり、
気を許すと眠ってしまいます。

さて、黄泉比良坂ですが、
入るまで、入り口で、地元のお年寄りの方とお話しました。
子どもの頃は、ここを遊び場だったとか。

中まで入ったことありますかと、尋ねられたので
「あります。」と答えましたが、
「峠に塞の神(さいのかみ)が、道祖神ともいわれるが。おられたでしょう?。
 ここを通る時、石を供えたものです。」

塞の神さん?この前来たのが7年ぐらい前でしたが
正直なところ塞の神のことを覚えていませんでした。
いろいろなお話を伺いました。
私は、古い遺跡が残っていることよりも
風習や言い伝えがいまだに生きている方に
驚くます。

せっかくお話を聞いたので
黄泉比良坂に入っていきます。
ここに北川景子さんも入っていくシーンがありました。

入り口

坂を上っていきます。
黄泉比良坂 ②

この峠を越えました。
峠が、あの世とこの世の境ですので
もう あの世ということになります。

もっと突き進むと明るくなってきました。

住宅地

あの世の向こう側は、住宅地でした。
看板があり、こちらからも入れます。
しかし、入り口は千人石のある所です。

住宅地からの入り口

また戻っていきます。 峠に向かって登っていきます。

峠

峠の塞の神様です。
恐山の積み石が思い浮かびました。
ここで無心で拝みました。
塞の神様は、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が集落に入るのを防ぐとされる神です。

塞の神

ここの坂を急いで下って、入り口に来ました。
改めて 生きている ということを考えました。

黄泉平坂 入口にもどる

千引石の近くには山桃の木が植えてあります。
あの世から追いかけてきた鬼たちに桃を
投げつけたら、鬼たちは逃げ帰ったという
話が古事記にあります。
新たに3本苗を植えたという話を
地元の方に聞きました。

やまももの木




テレビドラマ 「一リットルの涙」の主題歌。
悲しみの向こう岸に 微笑みがあると云う。
悲しみを乗り越えるには、どうしても時間が必要です。
時間が必要ですが、どこかでスイッチを入れて切り替えないと
いけません。この当たり前のことがなかなかできません。



by yuugurekaka | 2014-07-11 10:36 | 黄泉比良坂